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2011 / 02 / 01 ( Tue ) 16:00:53



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父の看取り…私の場合
2008 / 12 / 17 ( Wed ) 18:47:22

今年の1月に「最後の1ページ」を書き、幕を下ろしたこのブログですが、約1年振りにこのブログのまとめの意味を込めて「付録」を付けることにしました。

先日、12/13(土)に私が勤務する特養の家族会で「看取り」についてのセミナーがあり園長と家族会からの依頼で全3例を紹介し、その例の一つとして私が父の看取りについての講師をさせて頂きました。
元特養入居者家族、現在この特養の介護職員という立場での発表でした。

講師と言っても素人の私ですから、父の介護と看取りに関する話を、特養に入居されているご家族と一般の方々約50名の前でお話ししたに過ぎません。
一人15分位の発表予定でしたが、私はダラダラ20分以上話してしまったように思います。
前日に話す内容の原稿を書いて、それに沿って話したので殆ど上がらずに済みました。

下記にその原稿を載せますが、所々話したことと異なる部分もあります。

参加された方々からのアンケートでは、とても良かったとのお言葉を沢山頂き大変恐縮しております。
当日、主催者側でビデオ撮影がなされました。
私が話した内容の原稿をここに載せるのはどうなのか?迷いましたが、「亡くなった父に報告したい」という気持ちとして掲載します。

父の三回忌を10月に無事済ませ、今回の発表もあり、父の死とその後は、天国の父に喜んでもらうことが出来るように思います。
お父さん、本当に有難う!!


<セミナー>
自分らしい人生:いろいろな生き方・異なる幕引き
 事例 「家族(娘)として、いかに父を看取るか。
        心の準備ができないままに…」

只今、ご紹介頂きました介護職員のえすえです。
実父がこの特養で2年前に亡くなるまでは私も家族会の一員でした。
このような催しにはいつも参加させて頂きましたが、
まさか自分が話す立場になろうとは考えもしませんでした。

父は今から4年半前に特養に入居し、2年半過ごし、
2年前の秋に85歳で亡くなりました。要介護4でした。

この特養に父が入るまでの在宅時、私は父の家に毎日通う
「通い介護」という形を取っていました。

父が認知症になったかもしれないと分かったのは今から、15年前の1993年頃。

父は妻に先立たれ、私の独身の弟と千葉県で二人暮しをしていたのですが、
ボケた父と弟の二人だけにしてはいけないと考え、
また、私は父と同居は出来ない状態だったため、
私が住む家のすぐ近くに(自転車で7〜8分)弟と一緒に引越してもらいました。

父には半年位時間をかけて引越すことを承諾してもらいました。
父は弟と同居といっても日中一人になってしまうため、
毎日父の家に通い、10年間通い続けました。

当初は認知症の父の状態は進行も遅く、体は比較的丈夫で
内科的な入院が2〜3回あったものの、何とかなる時期でした。

足腰丈夫で、昔からお出掛け好きな父と、この時期は、
通院ついでにあちこちに出掛け、
色々な話しをして楽しい思い出が沢山あります。

2000年の介護保険制度が始まった翌年辺りから、失禁や徘徊が始まり、
2002年からこちらのデイ、ショートを定期的に利用するようになりました。
父はお出掛けが大好きな人だったので、デイには喜んで通ってくれて、
とても明るくなりました。
                                                              
朝、父がデイに出る前に私が父の家に行き、父の支度をして送り出し、
父の洗濯など家事をして、
私は仕事に出、父がデイから帰る前に仕事を終え、
父の家に行き、デイから帰る父をお迎えし、
父が寝る頃まで父の家に居て、
仕事から帰ってきた弟とバトンタッチする毎日でした。

ちなみに、父は入浴に手こずるので、デイでの入浴は一切せず、
一日おきに私が父の家で入浴させていました。

こんな日々がいつまで続くのかと、不安な反面、
父と共に散歩をしたり、いろいろな話しをしたり、一緒に歌を歌ったり、
今、振り返ってみると、父とこんなに密着して過ごしたことは、
親子になって始めてのことで、大変だったけれど、
楽しかった日々だったと今は思えます。

私は元気だったのですが、父と同居の弟が心身共に弱かったため、
仕事に出る前の早朝や夜間、
父の面倒を看ることが相当辛くなってきていました。
二人のどちらかが倒れたら、成り立たない状況でした。

そのため、一時期父は2ヶ所のグループホームに入所したこともありますし、
訪問ヘルパーさんを利用したこともあります。

この頃、父は「頭はバカになっちゃったし、生きていてもしょうがない。
早く首をくくって死にたい」と漏らしていたこともありました。
また、「下の世話にだけはなりたくない」と言っていましたが、
すでに下の世話にはなっていました。
そして、「死ぬなら、コロッと死にたい」「ポックリ逝きたい」
「体に管など色々付けて死にたくはない」
そういつも言っていました。

ボケてはいても、まだまだ話が出来ていたこの頃、
私は父から、もしもの場合に備えて色々と聞けることは聞いておきました。

私の母は53歳で肝臓癌で亡くなったのですが、                  
父は妻を病院で懸命に看ていました。(当時父は61歳)
当時、私も父と共に病院に泊り込んで面倒を看ていたのですが、
父の懸命さに心打たれました。

この時のことがあったため、その後、父を介護するようになって、
父に何かが起きたら、父が母にしていたように、
最後まで父を守りきってあげたいと思うようになりました。

父は弟に比べ、私にはとても厳しい人だったため、
私は恨んでいた部分もありましたが、
介護するうちに、そんなことを思っている場合ではなく、
そんな思いはつのまにか吹っ飛んでしまいました。

私の通い介護が10年続いた時、
申し込んでいた特養に入居出来ることになりました。

突然入居の話が来て、まだもう少し家族で面倒をみたい、
父と離れるのは寂しいという気持ちと、
いえいえ、弟がもう一杯一杯だから…家族が無理な部分は
施設にお任せして、
家族は家族でなければ出来ないことを
施設に入ってからもすれば良いと考えました。

この頃、父を10年介護した集大成として、ヘルパー2級の資格を取りました。
この時、介護を仕事にするかどうかは、はっきり考えておりませんでした。
ただ、父を10年看たことの形を残しておこうと思ったのです。

この特養に入居した時、父は83歳。
さあ、これから、新たなスタートでした。

施設に入っても、家族でなければ出来ないことを
父のためにしていこうと思いました。
そして、その時その時が楽しく、
居心地良く過ごしてもらえればそれでいいと思いました。

在宅の頃、父といつも歌っていた歌を一緒に歌いました。
時には同じユニットの方々とも一緒に歌いました。

父の繰り返しする同じような話にも、
家族でなくては分からない部分があって
いつも聞き役に回り、話しを引き出しました。

在宅の頃と同じに、爪切りやヘアカット、髭剃りは私がやりました。
職員さんは忙しく手が回りそうもない、たんすの中の整理や
居室の拭き掃除は行くたびにしていました。

私は仕事があるので時間は限られてしまいますが、週2〜3回は通って、
何かあったらすぐ駆けつけられる体制でいました。
                                                               
また、父が入居したことで手が空き、今まで出来なかった父の
残務整理などを少しずつ片付けることが出来ました。

父は入居しても元気に過ごしていたのですが、
亡くなる1年前に父の最期を考えるきっかけが起きました。

脱水症状を起こし、意識朦朧となり病院受診となったのです。
点滴だけして帰ってきたのですが、この頃、腰も痛めていて
悪いことが重なったため、弱々しく、
父も先が長くないかもしれないと初めて感じました。

この時、まだ父の葬儀のことなど考えておらず、このまま亡くなったら困る。
もしもの時のことを具体的に考えておこうと思いました。

メモ魔の父の影響もあり、
父のことを手帳などにそれまでも記録していたのですが、
父の先が長くないと感じて、今まで以上にしっかり記録をつけました。
父の言葉などを残しておこうと思いました。

亡くなる数ヶ月前から、インターネットで
父のことを日記のように記したブログを始めました。

ブログとは、ネット上から誰でも見ることが出来る
簡単なホームページのようなもので、
公開日記のようなものでもあります。

見られることを前提にして書いているので、気持ちの整理もつきましたし、
父のそれまでの介護の記録なども載せ、介護する方の参考になるように、
また、同じ介護者同士の交流の場にもなりました。
父の看取りについても考えるようになりました。

このブログは父が亡くなったあとも続け(通算1年半続け)、
現在はもう更新はしていませんが見る事は出来ます。
父の一周忌が過ぎ、ひと段落したところで
ブログを編集して全4巻の本にしました。
書店で売る本ではなく、自分と家族用だけ作った個人本ですが、
本当は父に最も見て欲しい本です。

特養入居前から、なぜか体重が減ってきていたのですが、この頃
父は歯の具合が悪く、食が進まなくなり、その後、嚥下障害を起こし、
飲み込みにくくなり、ますます体重は減り続けました。
 
食事は介助されることを嫌がり、かといって自力では上手く食べられず、
亡くなる数ヶ月前から、私は夕食の食事介助に
一日おきに通うようになりました。
夜は職員さんも少なくなるし、
夕食時でないと私の都合がつきにくかったからです。

この頃、亡くなる3ヶ月程前、
父は私に「今まで色々有難う」と言ってくれています。

亡くなる2ヶ月前に誤嚥性肺炎で1ヶ月入院しましたが、
病院での夕食介助は毎日通いました。
父は病院のナースではダメでも、私ならよく食べてくれました。
食べて体力をつけて元気になってもらいたい一心でした。

父の死は突然やってきました。

退院後1ヶ月たった頃、再び誤嚥を起こし、緊急入院となり、
病院に入って5時間余りで急に容態が悪化、
突然亡くなってしまいました。

退院後、特養でおぼつかないながらも日ごとに元気を取り戻し、
亡くなる前日も私と歩行練習をしたり、笑ってもいたのに、
亡くなる日も普通に過ごしていたのに。
いつかは来る日でしたが、思いがけず突然でした。

医師もこの日、亡くなるとは思っていなかったようで、
翌日の検査予定などを組んでいたところでした。

私も父の様子から、単なる入院で、
まさかこの日に亡くなるとは夢にも思いませんでした。

病院に着いたばかりの時、
「お父さん、大丈夫?」と私が聞き
「すみません」と父が答えたのが最期の言葉でした。

ずっと付きっきりでいて、
亡くなる数時間前から父の意識はなかったのですが、
亡くなる寸前、目を開けて私を優しい眼差しで見てくれました。

「お父さん、分かるの?!」と声を掛け、
ひょっとして持ち直すのではないかと思える穏やかさでしたが、
その数分後静かに亡くなりました。
私に最期の挨拶をしてくれたのかもしれません。

この時、父は酸素マスクをつけていただけ。
延命措置など取る余裕もありませんでした。
「コロッと死にたい」「ポックリ逝きたい」と
以前から言っていた父の言葉通りになりました。

延命措置について、どうするか以前から考え迷っていたのですが、
それどころではないあっけなさで、父の望み通りでした。

けれど、これで良かったのだと、この1年だんだん弱々しくなる
父の様子をみてきて思いました。

私は病院に入ってからの父の急変にも意外と冷静で、
父が危ないから早く来るよう家族に指示をしたりしました。
もしもの時のことを考えておいたため、冷静でいられたのかもしれません。

ただ、まさかこの日に亡くなるとは思っていなかったため、
以前から決めていた葬儀屋さんの電話場号の控えを持っておらず、
慌てて病院の電話帳からその番号を探し出し連絡しました。

父の場合、認知症13年ではあっても、
亡くなる日まで、的外れでも何とか受け答えが出来ました。

話しを聞いてもらいたい父の、どうどう巡りの話を聞いてあげること。
歌が好きな父と歌うこと。
父の笑顔を引き出すこと。
父の好きなおやつを一緒に食べること。

こんな風に、在宅でもしていたように、父との時間を持つことが、
私の場合の看取りと言えるかもしれません。

戦争にも行き、様々な苦労をした父の人生の重みを
良い部分も悪い部分もひっくるめて理解することが出来たのは、
父を介護するようになってからでした。

父の人生の重みを理解し晩年を大切にすること。
父と出来るだけ共に過ごしたこと。
これが私の場合の看取りだったように思います。

悔やまれることといえば、認知症の初期の頃や特養に入ってから、
もっともっと父とお出掛けや旅行、墓参りなど出来れば良かったことです。

亡くなる数ヶ月前に職員さんの提案で、
昭和記念公園に行けたことはとても良い思い出になりました。

今、ここの職員になって、改めて思うことは…。
家族の立場で思っていた以上に、施設では手が足りないし時間も足りない。
それでも職員は想像していた以上に頑張っています。

そんな中で、家族でなくては出来ない触れ合いが必要だと
つくづく感じています。
私は父にそれが出来て良かったと思いました。

余談ですが、現在、主人の父も要介護状態で別の施設におります。
義理の父となると、実父とはまた違って色々難しいです。
こちらは、先に逝った父の事例を踏まえつつ、
何とか現在進行形で頑張っているところです。

世の中には、もっと介護や看取りで苦労された方もおられると思います。
そんな中で、私のような若輩者の話に耳を傾けて頂き、
本日はお忙しい中を有難うございます。
このような場で、父の介護や看取りの話しをする機会を頂いた事を
大変嬉しく思います。


タクさんの死 admin page top↑
最後の1ページ
2008 / 01 / 04 ( Fri ) 19:19:19

明けましておめでとうございます。
今年は穏やかな天気に恵まれた年明けでした。
皆様の所は如何だったでしょうか。

さて、昨年末は念願だったブログ本を作ることが出来ました。
ブログから本にすることが出来て本当に感無量です。
ページをめくるたびに、ブログとは別の思いが募ってきます。

亡くなった父タクさんについて、公開出来る範囲のことは書き尽くしたように思います。
タクさんの晩年の記録が出来て、しかも本になって、私はタクさんの娘としての役割を一つ果たしたように思っています。

イズさんは有料老人ホームで、イズさんなりに馴染んで暮らしています。
月2回程度しかイズさんのホームへ行かれませんが、イズさんに大きな変化がない限り、私は自分の仕事を優先したいと思っています。
今のイズさんは、それで大丈夫な状態です。

そして、本が出来たことで一区切りつけ、私は介護の仕事に専念したいと思っています。
私の力量では専念しないとやって行けない程、私にとっては結構大変な仕事です。
タクさんの介護でアップアップしていましたが、それどころではありません。

本日、ブログのランキングも辞めました。
今まで応援のクリック、本当に有難うございました。
昨年秋から更新がめっきり減ったブログでしたが、皆様のお陰でランキングは安定して上位にいることが出来ました。

しばらくは、何かのお役に立てればと、このまま公開しておきますが、年明け最初の記事が最後の1ページとなってしまいました。
「最初の1ページ」のタイトルで始めたブログなので、「最後の1ページ」で終わらせたいと思います。
ここまで続けられたのも、皆様のお陰です。
今まで、励ましや応援、本当に有難うございました。


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手元に届いたブログ本の紹介
2007 / 12 / 29 ( Sat ) 16:17:14

以前にも書いたように「ブログ出版局」で作成しました。
自分だけの本ですが、ページをめくるごとに感激してしまいました。
ブログにはない特別な感動です。
本当は父タクさんの一周忌までに仕上げたかったのですが、何とか1年後の年内に間に合わせることが出来てホッとしています。

二人の父の雑記帳4巻  ジャ〜ン!!全4巻です!!(写真はクリックすると拡大します)

◆二人の父の雑記帳 1
2006/7/5〜10/26 362ページ 費用 4,136円(送料500円込み)
ブログ開始の日から、父タクさんが亡くなった日まで

◆二人の父の雑記帳 2
2006/10/29〜2007/1/31 448ページ 費用 4,624円
タクさんが亡くなり、その後のこと

◆二人の父の雑記帳 3
2007/2/1〜3/27 336ページ 費用 3,728円
写真ページや義父イズさんの話題も多い頃

◆二人の父の雑記帳 4
2007/3/28〜12/14 320ページ 費用 3,800円
タクさんが居た特養で、えすえが働き始めてから

二人の父の雑記帳コメントページ  本文はこんな感じでコメント部分は枠内に収まっています

二人の父の雑記帳写真ページ    二人の父の雑記帳写真ページ  写真は白黒でも綺麗です

二人の父の雑記帳表紙  表紙はこんな感じです

書籍化の記録も残したかったため、ブログを本にする過程である12/14までの直前の日記までを本に載せました。
4巻目の最後のページには、ブログのログをいじって、ブログにはない「あとがき」を校正完了の発注日に加えました。

本にするには1冊460ページまでの制限が有ったため、上記のように分割しました。
カラーだと費用がかかるためモノクロにしましたが、写真は白黒でもとても良い仕上がりでした。
表紙の色に合わせて見返しの色を4巻それぞれ別の色にしました。
表紙は限られたパターンの中で選ぶため、この表紙にしました。
このデザインの表紙は3色しかないため、1巻と4巻は同じ色の表紙にしました。
ページ数削減のため、目次は作りませんでした。
本文は9ポイント、皆様からのコメントは本文より小さい8ポイントで枠囲みになっています。

私の場合、以前にも書いたように文字や文の校正は殆どしていませんが、行を詰めたり、写真ページのレイアウト変更や箇条書きページの見栄えなどの修正、ランキングへのクリックボタンの削除など、本のページとしての体裁を整える作業(HTMLをいじる)に大変手間取りました。
なんだかんだで2ヶ月ぐらい掛かってしまいましたが、必死で集中して取り組んだ日にちは1週間ぐらいかもしれません。

料金は先払いですが、発送のメールがあり、入金後3日で本が手元に届き、きちんと明細表示の領収書が来ます。
非常に良心的で、この会社でブログ本を作って良かったと思いました。
詳しくは「ブログ出版局」のサイトをご覧下さい。

皆様方のコメントや応援があってのブログ本です。
皆様、本当に有難うございます。


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ブログ本が手元に届いた!!
2007 / 12 / 23 ( Sun ) 00:08:06
とうとう今夜(12/22)、出来上がったブログ本が宅配便で手元に届きました!!
今週水曜の午前に校正が完了し、その日のうちに入金して、たった三日で手元に届いたのです。
やはり…感激です!!
年内に間に合って良かった。
明日も仕事だし、とりあえず書籍化されたことの報告だけします。
日を改めて本の写真でも掲載したいと思います。


テーマ:認知症の介護 - ジャンル:福祉・ボランティア


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ブログ書籍化の作業
2007 / 12 / 14 ( Fri ) 12:21:44

私の場合はネットの「ブログ出版局」を利用しました。
私が利用しているFC2の自分のブログのデータファイルを作ります。
これはすぐに出来るのですが、FC2のデータファイルの場合はこのままではすぐに使用出来ないのです。
ファイルをWindowsのメモ帳で開くと全て文字化けしてしまうのです。
従って、文字化けしないテキストエディタの一つTrapadをインストールして、Trapadでブログの全てのデータをチェックします。

ブログ出版局に私のブログのデータファイルをアップロードして、ブログ本の見本を作ってもらいます。
ブログ本の見本は何度作っても無料で、PDFファイルで送られてきます。
このPDFファイルはネット上からでも、送られてきたブログ出版局のメールからも内容の確認が出来ます。
PDFファイルは本の出来上がりそのものになっているので、これを見ながらTrapadのブログログを見て手直ししたいところを直していきます。
直したらブログ出版局にログを再アップロードしてPDFファイルの作り直しをします。
何度でも作り直しが出来るので、手直ししながらこの作業を何度もやっています。
ブログ本1冊は460ページという制限があるので、1年半分のブログの内容をどこで分割するかも考えて作業します。

時間的に文字校正や文面の手直しまでやっている余裕はないので、それらはそのままです。
ブログのページそのものが、そっくりそのまま本のレイアウトになってしまうので、ブログの行数などの関係から、本の一行の長さやページ割りの関係でレイアウトが崩れてしまう部分が出てきてしまいます。
レイアウトの乱れは本となったとき著しく見栄えが悪くなるので私としては許せません。
なのでログのTrapadを手直ししています。

レイアウトの手直しの場合、主にHTMLの部分を手直ししていきます。
特に写真を使ったページのレイアウトや箇条書きにした部分などが崩れていて、これらを見本のPDFファイルを見ながらログのレイアウトを手直ししていきます。
他にも「ランキングに応援クリックお願いします」などの文も全て削除しています。
これらはとても厄介な作業ですが、休みの日を利用してコツコツ作業しています。

皆様からのコメントは入れない予定でしたが、とても捨てがたい内容ですのでコメントも全て含めました。
約1年半分が4冊(各300〜450ページ)になる予定です。
父が亡くなって1年を経過してしまったことでもあり、時期を遅らせたくありません。
なるべく早く年内に本にしたいのですが、どうなるでしょうか??


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ブログ書籍化のために
2007 / 11 / 20 ( Tue ) 19:51:43

休日の合間をぬってブログ書籍化の作業をしています。
仕事のある日は全くこの作業は出来ません。
早く済ませてしまいたい面倒な作業です。
まる一日じっくり取り掛かることが出来れば良いのだけれど、そうは行かない。
やれやれ…という感じです。
多分1〜3冊位の分割になる予定です。
自分だけの本ですが、年内には本にしたいものです。
頑張らなくちゃ〜♪


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特養入所の運不運
2007 / 11 / 09 ( Fri ) 11:09:24

特養入所の申し込みをしても、なかなか順番が回って来ないのが現実です。
以前、特養入所のコツを書きましたが、その追加事項です。

職場の先輩が最近話していたことで、たまたま今週発売の「週刊ダイヤモンド」にも似たようなことが書かれていました。
当時の父のケアマネさんも同様なことを話していました。
特養の入所に関して、その時の特養入所者の状況によって運も絡んでくるのです。

要介護4や5の方々ばかりでは、色々な面で施設介護は成り立たないのです。
特に私が勤務しているユニットケアなどはそれが言えます。
介護する、介護されるだけが施設ではない。
介護される方々の「生活の場」であるのが施設なのです。
全員が重たい状態の方々ばかりでは特にユニットケアでは「生活の場」とは言えなくなってしまう。
介護職員の仕事が大変になるということもあります。
ある程度重くない方も居てこそ、集団の場である施設での心地よく生活出来る場が成り立つのです。

ということから、私が勤務する特養などは、「なぜこの方が特養なの?」と思えるような比較的軽そうに見える方もおられます。
逆に状態が重いのになかなか順番が来ない方もおられます。
施設のその時の入所者の構成が次に入る方の運を決めることもあるのです。

要介護3ぐらいの方なら、この運に引っかかり、運良く?入所ということも可能性としてなくはないのです。
勿論、申し込んでからの待機期間、どれだけ在宅で介護サービスを利用していたか、他、様々な在宅介護の状況なども考慮して入所が決まるのは言うまでもありませんが…。

父タクさんの場合は、在宅サービス利用も施設入所に関しても、今より数年前で時期も良かったのか、狙ってしたことではなかったのですが、全てがラッキーに運んだとつくづく感じました。

なお、今週月曜発売のダイヤモンド社「週刊ダイヤモンド 11/10号」の特集「決定版介護全比較」は、半年程前に同雑誌に似たような内容が掲載されましたが、その続編として、施設介護を考えている人はある程度読んでおいて損はない内容だと思いました。
また、義父イズさんが入所している有料老人ホームが満足度調査で1位に選ばれていました。


参照↓↓
特養に早く入居するコツ



テーマ:認知症の介護 - ジャンル:福祉・ボランティア


特養に早く入居するコツ admin page top↑
本日はタクさんの命日
2007 / 10 / 26 ( Fri ) 12:12:52

10月26日。
父タクさんが亡くなって、早いもので今日で1年が経ってしまいました。
昨年の今日はとても良い天気でしたが、今日は雨降りです。
この1年の様々な思いを洗い流して、新しい1年のスタートであるかのようです。
以前写真でご紹介したイングリッシュローズの「ライラック・ローズ」(このブログにある「ブログ内検索」に「ライラック・ローズ」と入力すると写真が出ます)が、今朝からベランダで咲き始めました。

数日前、タクさんの一周忌法要を晴天の中、無事済ませました。
亡くなって1年、父に関する行事はいつも晴天に恵まれました。
父が「俺は心掛けが良いから、いつも良い天気だな(笑)」と認知症になってからもよく言っていましたが、亡くなってからもその通りでした。

一方、義父イズさんは先日新しいホームへ引越し、落ち着いております。
イズさんから一昨日たどたどしい文字の葉書を受け取りました。
寒くなったので厚手のズボンが欲しいと書かれていて、昨日仕事帰りにホームへ寄ってきました。
厚手のズボンはイズさんのたんすに用意してあるのですが、よく分からなかったようで、衣類の整理をしてきました。
仕事帰りに立ち寄れる近さのホームになって、私も助かります。

今、私は介護の仕事に懸命になっています。
介護の仕事にありがちな怪我などもなく、お陰様で元気に過ごしています。
父タクさんが亡くなる前からブログを始めましたが、亡くなってからの方が長くなってしまいました。
父のことを回想しながら、亡くなってからも1年間ブログを書き続けてきました。
カウンターももうすぐ3万カウントになります。
過去のことを振り返ることも大切ですが、今の仕事のことにもっと集中したいと思っています。

タクさんの記録としてはもっと書きたいこともありましたが、公開出来る範囲としてはこの程度でしょう。
義父イズさんに関しては、現在落ち着いておりますし、正直あまりブログとして残したいとは思っておりません。

義父イズさんの兄が、数年前亡くなる直前に自身の回顧録を出版し、親戚一同に配りました。
その本を読んで、私も父の記録を残したいと思っていました。
しばらくは、仕事を頑張りながら「二人の父の雑記帳」の書籍化に励みたいと思います。
完成して、この場でご報告するのが当座の目標です。

しばらく更新出来ないと思いますが、検索して過去の記録をご覧になる方々が大変多いようなので、お役に立てるのなら嬉しく思います。
なお、様々な関係上、申し訳ありませんが、コメントについてはしばらく受け付けない設定にしました。
お問合せには、ブログ最下欄にある「メールフォーム」をご利用下さい。

お父さん!!会わなくなって1年経つんだね。
1年後の今日、生きていたら86歳だね。
もっと生きていて欲しかったよ。
夢で会えたらいいね!!



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ブログを本にしたい
2007 / 10 / 19 ( Fri ) 11:02:57

父タクさんが亡くなる前から、このブログを記録として書籍化して残したいと思っていました。
亡くなってからは一周忌までに本を完成させたいと思っていたのですが、どうやら間に合いそうもありません。
書籍といっても、私個人が見るだけの個人本です。
1年数か月分あるので1冊には収まらず、数冊の分割になりそうです。

今、その準備を進めようとしていますが、この忙しい時期にその作業はとても面倒です。
何だかよく分からない作業が色々あって参ったな〜(汗)
でも、やらなきゃ!!やりたい!!
そして、亡くなった父にも見てもらいたい。

皆様からの応援があってのブログで、残しておきたいコメントが沢山ありますが、様々な関係上、コメント欄については本に載せない予定でおりますのでご了承下さい。




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