認知症初期のタクさん その7(番外編)
2006 / 09 / 04 ( Mon ) 07:35:32
前回「その6」で初期編を閉めると書きましたが、その頃の私のことを中心に「番外編」を書いてみます。 ◆もやもやした気持ち ◆弟が心配 ◆通い介護の秘訣 ◆通い介護の長所 ◆通い介護の短所 ◆食事のこと ◆散歩
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認知症初期のタクさん その6(忘却の彼方の妻)
2006 / 09 / 01 ( Fri ) 02:24:33
そろそろ「認知症初期のタクさん」シリーズをとりあえず閉めようと思います。 ◆初期(1993年〜2001年後半 72歳〜80歳) 父の場合、失禁があるかないかで分けたせいかもしれませんが、初期が8年間と非常に長く、この期間の進行が緩かだったのが特徴と言えるかもしれません。 ◆妻のこと 妻が亡くなる時には献身的に尽くしてたのに。 ある介護職の方が「忘れてしまう程、妻への想いが強かったってことでは?」とおっしゃいました。そう思いたいですが…。 ◆出掛けた時 バスで席に着くとまず「持ち物点検」が始まります。 タクシーに乗ると「お金は??」と口に出さず指サインで必ず示すので、「私が払うから大丈夫よ♪」と。これの繰り返しでした。 参照↓↓
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認知症初期のタクさん その5(こだわりの物)
2006 / 08 / 30 ( Wed ) 02:50:48
認知症の初期、父はそれまでと違って入浴は面倒がりましたが、それ以外のことは以前と変わらず継続していたことがありました。 ◆メンズ・ネット ◆ヘア・ケープ ◆えっちゅさん ◆ステッキ また、ステッキは便利用品としても役立っていました。
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認知症初期のタクさん その4(メモ魔の父)
2006 / 08 / 25 ( Fri ) 02:09:58
父は几帳面な人で昔から字を書くことが好きでした。 達筆なだけなら良いですが、大変なメモ魔でした。 昔、家族揃って車で出掛けた時は、「○○時出発。○○時、○○インター通過。○○時、○○到着」「○○料金所、○○円支払い」などと、父は助手席の母に全部書かせていました。 電車やバスで出掛けた時も、その場その場で手帳に書いていましたので、一緒にいると、かなり鬱陶しいものでした。 そんな父を見て育った私はメモすることは好きですが、さすがに父のやり方は行き過ぎで、あまり意味がないと思っていましたが言う通りにしていました。 「こうしておけば、いつ何があっても、他の人にもよくわかるだろ?」と、父の持論でした。 そんな父でしたので、認知症になってもその行為は続いていました。 1997年頃?だったか、父の毎日の生活に張りを持たせようと「般若心経」の写経を勧め、それ用の本や筆を父と一緒に出掛けて買い求めました。 ある時、家具にマジックで父の名前が書いてあるのを見つけました。 2002年前半にデイで書道をやり、書いた自分の名前はひらがな交じりでした。 父のマンションに毎日通っていた頃、私は父のその日の様子を「連絡ノート」に書いて、私が帰った後に帰宅する弟が見て分かるようにしていました。 2001年10月に、ノートを見た父がピンクのサインペンのたどたどしい文字で、ページの片隅に私宛の書き込みをしていました。 「えすえへ 父より 何にかと 心ペイしてくれ いろいろ 心パン アリガトー」(「えすえ」以外は原文のまま) そして、私が「次は月曜に来ます」と書いた所に父がピンクのアンダーラインを引いてありました。 これを書きながら、不覚にも私は今、泣いてしまいました。 参照↓↓
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認知症初期のタクさん その3(最愛の姉の死)
2006 / 08 / 24 ( Thu ) 01:46:14
1999年晩冬、父と最も親しかった姉(私の伯母)が入院、父を連れて見舞いに行きました。 父に説明すると、どれだけ分かったか疑わしいですが「頑張れよ!!」と声をかけていました。 その伯母が、それから半年後に亡くなりました。 時間があると葬儀場をあちこちキョロキョロ物珍しそうに見て歩き、親しい親戚関係も分からない様子で、自ら親戚に挨拶などすることはありませんでした。 珍しそうにキョロキョロ見て回る行動は、その後も様々な場面でよくやっていました。 後に、父がショートステイを利用するようになり、ショート中に「姉(あね)さんが迎えに来るから…」とよく言っていたようでした。 また、その後の父との話題の中で、亡くなった伯母のことが出て「姉(あね)さん、どうしてるかな?」と父。 伯母の葬儀の席で、父のすぐ下の弟(私の叔父)が来ていましたが、叔父はいつものように私や父に声を掛けることもなく、ずっと同じ席に居て周りを見回しているだけでした。 その後、この叔父も当時すでに軽い認知症だったことを知りました。 タクさんの家系は認知症一族として、私の従兄弟なども、すでに開き直っております。 参照↓↓
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認知症初期のタクさん その2(初めての迷子)
2006 / 08 / 23 ( Wed ) 01:58:30
1999年秋に急性気管支炎で12日間入院し退院後9日目。 この日は退院後の初診察日でした。 繁華街という程ではありませんが、駅前で人通りはかなり多い所です。 すると6時過ぎ、息子から私の携帯に父がさっき家に来たと連絡が入りました。 自宅に戻ると、父は何事もなかったかの様子でした。 息子の話によると、普通に「こんばんは!」と来たそうです。 外出時、父のショルダーバッグの財布にはそこそこのお金を入れてありましたが(私が管理していた)、この頃は買物の支払いもおぼつかなかったので、買物やバスや電車に乗ることを父一人にはしませんでした。 父とはぐれた駅前の本屋から我が家へは、バスを約10分乗った終点から2〜3分歩いた所です。 父は自分でバス停を探し、バスの支払いをして、またはシルバーパスを見せて一人で乗り降りしたのでしょうか? 父のマンションは私の家へ行くバス路線の途中にありましたので、そこのバス停で降りずに乗り続ければ終点の私の家に向かうことになる訳です。 父が言うように飲み屋で一杯引っ掛けて、酔いが回っていたのかな?そんな顔もしていたし…?? 認知症の人は、自分を正当化して正常に見せるため(プライドがあるので)の言葉の巧作をすると言います。 事件は突然起きるものなんですね。 参照↓↓
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認知症初期のタクさん (入院はこりごり)
2006 / 08 / 22 ( Tue ) 01:35:37
認知症の初期・中期・末期等の分け方ですが、タクさんの場合は下記のように分けてみました。 ◆初期(1993年〜2001年後半 72歳〜80歳) 参照↓↓ ↑↑上記は1994年頃までのことです。 父は認知症になるもっと前から原因不明の貧血がありました。 1994年から1996年にかけて、タクさんは2回貧血治療のため入院しています。 この2回の内科入院には参りました。 ◆病院内を徘徊 ◆帰宅願望 ◆収集癖 ◆失禁 上記のようなことが有り、同室者の要望で、6人部屋から差額ベッドの個室に移されました。 毎日、汚れた肌着やパジャマを持ち帰って洗濯するため病院に通いました。 2回の入院は1年半程間を置いてますが、父は同じような様子でした。 その後、1999年秋(78歳)に同じ病院の呼吸器科に、今度は急性気管支炎で緊急入院しました。 救急車で運ばれた時、内科の担当医に出くわし「今度は救急車か!!」とバカにされたように言われ、悔しかったです。 この入院では点滴の管を引っこ抜き、血まみれになることが何回かありました。 当時は、まだ外を徘徊することや、帰宅願望、失禁はなかった頃でした。 入院は自宅での様子と違って急激に認知症が進んだ状態になるので、本当にこりごりでした。
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2008 / 10 / 07 ( Tue ) 00:22:34


