靖国神社初詣
2007 / 01 / 02 ( Tue ) 18:37:05

元旦は靖国神社へ夫と初詣に出掛けました。
ここでとても疲れたせいか、風邪がぶり返したらしく、帰りの電車では、だるいの眠いの…で、帰宅したら熱があってダウン。
薬を飲んでたっぷり眠ったせいか、今日、箱根駅伝を途中から観る頃には何とか回復しました。

靖国神社は何度も行ったことはあるのですが、初詣に行くのは初めてです。
混んではいましたが、今まで行った他の超満員の初詣と比べると空いている方でした。
靖国神社は政治家の方々の靖国発言等で、最近は一般の方々にもお馴染みかと思います。

       靖国神社拝殿 元旦の靖国神社拝殿

ここに祭られているのは他の神社と違って、戦争で御国のために命を奉げた英霊が神様となっている点です。
そういう特殊な神社ですので、神社そのもののお参りよりも、併設されている「遊就館(ゆうしゅうかん)」という近代日本の戦争の歴史についての軍事博物館を観ることで行ったことの意義が高まるように思えます。

お正月で混んでいたため、大きな遊就館を一通り観て歩くだけで大変時間が掛かりました。
父タクさんが戦争に行ったことがあるため、太平洋戦争に関してここ最近は興味を持っていたのです。

父と戦争については、かつてブログの「二人の父と戦争」に書きました。
父は中国内陸部に出征した戦争について、私が小学生の頃はよく語っていました。
その頃の私は「またそんな話をして…」と思うだけで、真面目に聞こうとしませんでした。
父が認知症になり、父とじっくり時間を共にするようになってから、父の戦争体験談を時々聞くことがありました。
でも、そういう話をしてくれたのも今から4年位前まで(認知症発症9年)のことで、しかもその頃には記憶がかなりおぼつかない感じになっていました。
父がいつ頃からどのくらいの期間、中国のどの地域に行っていたのか、どうやって帰ってきたのかもよく分からないままになってしまいました。
父が認知症になる前に、もっと父の話を聞いておけば良かったと悔やまれます。

認知症になると、新しいことは覚えていないが古い記憶は覚えていると言いますが、それも認知症中期頃までです。
認知症中期も後半になると、古い記憶ですら定かではなくなります。

海軍に志願で出征し、亡くなった父の弟。
戦場に着く前、日本脳炎のため16歳で亡くなったそうで、水兵姿の写真が父の実家に飾られていました。
死亡が病死のため、英霊として祭られることもない父の弟。

父の出征先は中国内陸部であったため、比較的生存者が多く、運良く生きて帰って来れました。
しかし、遠く太平洋の地で戦った方々の多くは日本に帰ることなく亡くなられ、遊就館に「靖国の神々」として名前、写真、没年などと共に祭られていて、それらを観る事が出来ました。

最近の映画「硫黄島からの手紙」(渡辺 謙主演)の影響か、硫黄島に関する資料の展示には長い時間足を止めている人が多く見受けられました。

この遊就館に展示されている戦争の遺品の数々。
今は無い父の実家にも戦地からの手紙、防毒マスク、水筒など、関連品があったのを覚えています。

亡き父の足跡を辿ることは父の苦難の道の一つを辿ることにもなり、日本の戦争の歴史を辿ることは、今私達が幸せに生活出来る原点を知ることでもあって、遊就館を観て回るのは有意義なことで、1回ではとても済みそうにありません。
かつて、ここの無料スペースのホールには入ったことがありました。
また、ぜひ来ようと思いました。
父が生きていれば、一緒にここを回り父の思いを聞く事が出来たのに…。
興味深かった遊就館見学でしたが、ここでかなり歩いたせいか疲れてしまいました。

戦争や靖国神社については賛否両論ありますが、私はそのどれに傾く訳ではなく、父と関わりの深い戦争を辿ってみるということで、訪れた靖国神社と遊就館でした。
お正月早々、重い話になってしまいました。

靖国神社干支大絵馬    靖国大絵馬説明書き

        名物の靖国神社干支大絵馬        靖国大絵馬説明書き

 少し軽いお話をしましょう。
靖国神社参道では以前もここでやっていた猿回しの芸に、大勢の人の輪が出来ていました。
参道には沢山の露天が出ていました。
でも、他の露天で見かける子供向きのお面やおもちゃなどの露天はなかったです。
年中開いている昔からある売店のあっさり風味の甘酒と焼きそば、お好み焼きは美味しかったです。
この売店では安倍首相の「晋ちゃん饅頭」や「祝御誕生秋篠宮悠仁親王饅頭」なども売られていました。
私が買ってきたのは靖国神社直販の「桜まんじゅう」です。
桜の塩漬けが付いたこしあんで、まあまあ美味でした。
靖国神社で何か買うと入れてくれる桜のデザインのビニール袋が素敵でした。

靖国神社がある九段の街は、いつ行っても文化的な雰囲気の街で、東京でも田舎に住んでいる私には素敵に思えます。
近くには皇居、武道館、古い文化の香りが残る歴史的な洋館の建築物などの数々。
以前、この近くの麹町にある会社に勤めていた頃も、この界隈は都会にあっても静けさを感じる街だと思いました。
まだの方、一度は訪れてみて下さい。

靖国神社桜まんじゅう箱    靖国神社桜まんじゅう中身

          靖国神社桜まんじゅう箱       靖国神社桜まんじゅう中身

参照↓↓
遊就館
二人の父と戦争


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イズさんと戦争
2006 / 08 / 20 ( Sun ) 00:40:55

先日、タクさんの戦争との関わりを書きました。参照→「タクさんと戦争

8/15を以前は「終戦記念日」と呼ばれていて、私もずっとそう呼んでいましたが、いつのまにか「終戦の日」と言うようになったようです。
「タクさんと戦争」では、意識的に「終戦の日」と書きました。
終戦の日が遠ざからないうちに、イズさんと戦争についてのことも書いておきます。

義父イズさんの戦争との関わりは、タクさんと同じ大正10年生まれなのに、戦争には行ってないとしか聞いていませんでした。
戦争の経験談をよく語っていたタクさんと違って、イズさんは私の夫にも戦争の話は殆どしなかった、したがらなかったそうです。
夫が小学生の頃、少しだけ話したことがあったそうで、その記憶を元に、夫が最近靖国神社へ行った時、イズさんが語った戦争に関するパンフレットを見つけ持って帰って来ました。

そのパンフレットとは「陸軍が行った海上特攻―米軍を震撼させた挺進爆雷艇―」という物々しいタイトルのパンフレットでした。
ゼロ戦の特攻隊のことはあまりに有名ですが、日本の敗戦が色濃くなった頃、ゼロ戦を作る物資もなくなり、ゼロ戦に代わる「挺進爆雷艇」(ていしんばくらいてい)が作られ、その爆撃訓練が密かに行われていたことを著すパンフレットでした。

「挺進爆雷艇」とは、人一人だけが乗れる木製のボート(普通の釣り船程度の大きさ)に動力として車のエンジンを積み、爆弾を積んで体当たりするものです。
ゼロ戦なる飛行機で敵の艦隊への体当たりなら少しは効果があったかもしれませんが、木製のボートで体当たりするなんて、どう考えても効果はなさそうです。

そして、こんな体当たり艇があったことは、当時も極秘中の極秘であって、その後も報道で殆ど語られてなかったので、私も全く知らなかったことでした。
そこまでして戦わなければならなかった当時の日本国と軍のどうしようもなく悲惨な状況。
竹槍で敵を倒せと教えられ訓練に励んだ愛国婦人と同じような、負け戦、捨て戦法です。

イズさんは、終戦少し前に広島でこの挺進爆雷艇の訓練に参加していたそうです。
部隊の移動があり、広島に原爆が落とされた時は危うく難を逃れたそうです。
そして、実際に挺進爆雷艇での海上特攻を行わないうちに、幸いにも終戦を迎え、命拾いをしたそうです。
昭和20年8月15日、天皇陛下の玉音放送で終戦を知った時、東京駅傍の丸ビル(焼け残った)を目の前にして仕事中の時で、ビルを眺めながら「戦争に負けたんだ…悔しくてたまらない!!」と、最近私にもその心情を語ってくれました。

老健に入所中の義父イズさんは、ちょっとボケた所も時々ありますが、認知症ではありません。
なので、イズさんにはこのブログのことを分かる程度に伝えてあります。
「イズさんのことを記録として残しておきたいの」と伝えると、大変喜んでいました。
今回のこの記事も、「記録の一つ」として読んで頂ければ幸いです。

ちなみに、タクさんは軍歌が愛唱歌ですが、イズさんは全く軍歌は歌わず、好きな歌は「東京ラプソディ」(藤山一郎)です。

私には平和がどうとか、戦争がどうとか、靖国がどうとか、それらを語れる程のものは持ち合わせておりません。
ただ、実際に戦争を体験した両父の貴重な話を忘れないようにしたいと思いました。


今日の花262262
昨日、木が茂る公園の藪の中で、紫の花を沢山咲かせている「ヤブラン」を見かけました。花が咲いていない時は大変地味な草ですが、夏の終わり頃から一斉に咲き出すとまるで別物のようです。

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タクさんと戦争
2006 / 08 / 16 ( Wed ) 02:43:45

8/15は61回目の終戦の日でした。
かつて、TVで第19回終戦の日のニュースを観ながら、「そんな昔に戦争が終わったんだ〜」と小学校高学年だった当時の私は思ったものでした。
この年は、日本全国が沸き立った戦後日本繁栄のシンボル「東京オリンピック」が間もなく開催されるという年でもありました。
私が日本の太平洋戦争を認識し始めたのはこの頃です。

その頃、特養の父タクさんはTVで「戦友」というドラマ(太平洋戦争で中国へ出兵した日本陸軍部隊の戦場のノンフィション)を毎週観ていました。
暗く重たいドラマでしたが、その割には子供にもわかり易く、私は結構惹かれて一緒になって観ていました。
中国内陸部に陸軍が攻めていった様子がよく分かり、その頃の中国人民の生活の様子も伺えました。

タクさんは主題歌の「戦友」(軍歌)をTVに合わせて歌っていました。
ついでに、他の軍歌もよく歌っていました。
認知症になってからも、覚えている軍歌をよく歌い、私に教えてくれました。

軍隊は父の青春時代の出来事です。
最も語りたい青春の思い出とは、父の場合戦争と軍隊なのです。
軍歌を懐かしく歌いたくなるのも、父にとっては青春が戦争だったからです。

タクさんは、陸軍で中国内陸部の戦場に行った人でした。
父の場合は当時の家の事情で、行きたくない戦争でしたが「志願して」兵隊になったのです。
志願兵の場合、いわゆる赤紙召集の人より年齢が若いことが多いそうです。
「徴兵検査で甲種合格だったんだぞ!」と自慢げに言っていました。

出兵する時に家族揃って撮った写真をみると、若々しく凛々しいタクさんが写っていました。
多分、二十歳位のことだったと思います。
もう戻って来れないかもしれないと覚悟を決めた家族写真です。

父は戦争に行った話をよくしました。
子供の頃の私は「またか…」と、うんざりしながら聞きました。
認知症になってからも語ってくれました。
私は聞き逃すまいと思って聞きましたが、同じ話の繰り返しで、もう昔程詳しく話さなくなりました。
父が認知症になる前に、もっとちゃんと聞いてあげれば良かったと思いました。

***     ***     ***     ***

中国内陸部は乾燥した砂漠地帯で、時折物凄い突風の嵐になる。
目の前がまっ茶色になって何も分からなくなる。
あんな場所を、来る日も来る日も連隊で歩いて移動した。
酷いものだった。

自分は幼い頃からお腹を壊しやすい体質で、戦場でもよくお腹を壊し辛い思いをした。
しかし、弱音は吐いていられない。
しかも「ぢ」になり、どうしようもなくなり野戦病院で麻酔もなく手術した。
そんな手術のせいで、戦後も「ぢ」の具合が悪く大変だった。

軍隊には自由が全く無い。
上官の命令に背けば銃殺だった。
皆と素早く行動を共に出来ない者も殺された。
ことあるごとに、上官から往復ビンタが飛んでくる。
虐めと同じ。でも、反発は絶対許されない。
どんなことがあっても、歯をくいしばって頑張るしかない。

食べ物もない。
喉はカラカラに渇く。
泥水を飲んで生きながらえた。

自分も多くの人間を殺し、死んだ人間を数多く見てきた。
殺すことを何とも思わなかった。
あんな場所でよくぞ生きていられたもんだ。
よくぞ生きて帰って来れたもんだ…(涙を流しながら)

そして、気合の入った素早い動作の軍隊式敬礼!
銃の持ち方、構え方をパッパッとやって見せる。

父の三人の弟のうちの一人は海軍だったが、船中で病死した。
19歳。水兵服姿の若々しい写真が残っている。

***     ***     ***     ***

すでに亡くなった私の母は、今生きていれば今年77歳になります。
母からも戦時中の話は時々聞いていました。
母の同年齢の男性は、特攻隊でもなければ、戦時中の辛い体験はあっても戦争に行っていない年齢です。
現在80歳以上の男性が直接戦地に赴いた世代です。
父の戦友もここ数年、亡くなったとの知らせが続くようになりました。

以前もコメント欄で書いたことがありますが、戦争の辛い体験をした世代が今のお年寄りです。
その人達の青春が戦争で犠牲になり、その人達の懸命な戦後復興のお陰で今日の日本があるのです。
お年寄りを見るとき、それを忘れてはいけないと思います。

そして、実際の戦争体験の話を親子で出来る最後の世代(最後と思いたい)が、父と私の世代(80代と50代)だと思うのです。
戦後61年。
戦争は、はるか昔のことになってしまいました。
でも、私は父や亡き母から聞いた戦争の話を思い出します。

直接戦地に赴いて苦労した父を、認知症なんかで老後を終わらせたくない。
私は父のために何をしてあげられるか…。
父が生きた証を、「認知症になってしまった人生の最終楽章」は私の手で残してあげたい…。
その一つが、このブログかもしれません。


今日の花262262
遠めに見ると大きな木に藤の花に似た花がふわふわ風にそよいでいるような?何の花か調べたら「房藤空木 (ふさふじうつぎ)」。
別名「ブットレア」。大きくなった木には沢山の藤色の花がついてとても見事!

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