特養の難点
2007 / 06 / 09 ( Sat ) 18:20:02

父タクさんの特養入所について、実はあまり嬉しくないこともありました。
特養の入所申し込みをした頃、ケアマネさんに特養に入ってからも、デイのプログラムによってはデイに参加が出来るのか聞きました。
介護保険の制度上、それは通常出来ないことだと言われました。

特養ではデイのような小刻みの毎日のプログラムがあって一日を過ごすのではないことを知りました。
日によってはボランティアさん等が何かレクリェーションを用意したり、行事があることはあっても、特に何もない一日を過ごすことが大半だということを知りました。

事実、施設に入所してしまうと特養でなくても、老健でも同じです。

それは私にとって、かなりがっかりすることでした。
父はデイでの変化のある日常で毎日を過ごしたからこそ、認知症でも生き生き明るく過ごせたのだと思っています。
それがなくなってしまったら、毎日ボーッと過ごすことが多くなって、父はダメになりそうに思えました。
別に費用を負担してもいいからデイへの参加は出来ないか訊ねましたが、出来ませんとのことでした。
レクリェーションの内容によってはデイと特養と合同の内容のものがあるので、その場合は参加出来るとのことでした。
音楽関係(皆で歌ったり、演奏を聴くなど)のレクがそれらに当たりました。

今まで入所した2ヶ所のグループホームでは、同じ施設の同じフロアで行っているデイサービスに入所費用の範囲内で参加出来たのは、施設側のご好意からでした。
小規模施設であるグループホームだったから可能だったことのようでした。
特養でもそんな風に出来たら良いのに…。

そんな訳で、父の特養入所はあまり嬉しくない部分もありながらの入所でした。

入所当時、父は健脚でお散歩好きだったので、一緒にお散歩をしたいと思っていました。
しかし、私は日中アルバイトがあり、そうそう丁度良い時間に父の元へ通えないので、私の代わりにお散歩ボランティアさんを依頼しましたが、父に合う人は見つかりませんでした。
1対1でなければ「お散歩ボランティア」の日があるのですが、父の場合は認知症が進行していたので、1対1でないと無理のようでした。

また、父の話し相手になってもらうボランティアさんを探しましたが、これも見つかりませんでした。

結局、父本人のことを何もかも分かる家族がするのが最も良い方法でした。
身体介護(排泄、入浴)は施設にお任せして、父との気持ちの触れ合いは家族がするのが最善策と感じ、その路線で行くことに心を決めました。

父の特養は我が家から自転車で約5分と近いのですが、アルバイトがあって日中毎日父の元へ通うことは出来ませんでした。
しかし、出来るだけ父と関わって行こうと思い、それまで通りの何かと融通の利くアルバイトを続けながら、父の特養に通って父との触れ合いを出来るだけ多くとることにしたのでした。


今日の花262262
梅雨時になると咲く黄色の花「金糸梅 (きんしばい)」が咲いています。垣根代わりの植え込みによく使われています。かなり大きめの花なのでよく目立ちますが、名前を知ったのは最近でした。


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とうとう特養入所
2007 / 05 / 31 ( Thu ) 21:29:13

2004年3月9日の夜に特養からの電話で、入所の知らせは突然訪れました。
知らせを聞いた時、嬉しいような悲しいような気持ちでした。

グループホームBで父はまだ2ヶ月しか生活しておらず、これからという時。
特養入所はまだ先のことだと思っていました。
申し込んで約2年。父の場合は予想以上に早かったと思います。

父が居たユニット型の特養は定員70名。
うちショートステイ枠が20名。
よって、居住者は50名。うち地元市民は30名位。
地元市以外の行政枠が20名位。

父は特養がある市の隣接市の居住者で、その市の指定人数枠が確か10名。
その10名に約60名近くの待機者が居ると聞きました。
地元市の居住者は人数枠が30名と多いので、待機者は更に多く、全体では何百人にもなっているようです。

順番待ちには、申し込み順もさることながら、要介護度、要介護状態や生活実態による順番の繰上げなど諸々があって、更に特養でお亡くなりになった方、または長期入院になった方などがおられないと順番が来ません。
山坂乗り越えて順番がやってきました。
特養入所基準等については「特養に早く入居するコツ」に以前書きました。

知らせがあってから10日後の2004年3月19日、父はグループホームBから荷物を持って、タクシーで直接特養に入所しました。
よくやって下さったグループホームBに別れを告げるのも寂しかったです。

早春で、お天気が良い暖かいでした。
デイ、ショートステイ、などで何年もお世話になった施設でしたから、「ただいま!!」という感じでした。
デイを辞めてグループホームに入る時も、施設の職員さん方に「また戻ってきますからね〜!!」と挨拶をしたのです。
そして、本当にわずか2ヶ月で戻ってきました。
「お帰りなさい!!」と職員さんがお迎えして下さいました。
特養入所と言っても、私としては馴染みのある場での安心感ある施設入所でした。

父は何が何だか分からない人でしたから、「前に行った事がある所へ行くよ〜」と話し、抵抗なく一緒にグループホームから特養に来ました。
「ここは前にも来たような気がするな〜♪」と父。
どこへ行ってもそう語る父でした。
デイに通っていた頃、自宅に戻ってきた時も同じ事を言っていました。

認知症発症11年、通い介護10年、83歳のことでした。
こうして、父は亡くなるまでこの特養で暮らすことになったのです。
でも、それは待機期間とほぼ同じ2年半程度でした。

<注>
父のように特養に入る直前にグループホームに入所していても、グループホームの場合は「在宅」扱いになります。また、特養以外の施設、たとえば老健などに入所していても、特養に入る順番はそれなりに考慮されますので、在宅でなく他の施設に居るから特養に入れないということはありません。


参照↓↓
特養に早く入居するコツ

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タクさんの体力低下への経緯
2006 / 11 / 01 ( Wed ) 02:54:22

 タクさんは亡くなるまで13年の長い認知症歴ですが、その殆どの期間は元気でした。
風邪で高熱を出したこともありましたが、数える程でした。

◆たいしたことなかった狭心症
2003年初夏に最初のグループホームに1ヵ月半だけ入居しました。
ここは父にに合わなかったため、短期間で退去したのです。
そこを退去する目前に、初めて狭心症の発作が出て、2日間だけ入院しました。
グループホームでのストレスがあったのかもしれません。
この年は、その後、1〜2度発作があったものの、大したことなく済み、その後も滅多に発作は起きませんでした。

この頃も足腰はしっかりしていて、杖は持っていましたが、使わなくても大丈夫でした。
特養に入居する数日前、2度目に入居していたグループホームから、夜間に徘徊してしまう程元気でした。

◆環境の変化も乗り越えた
2003年初夏から2004年春まで、当時、82歳の父の生活はめまぐるしく変わりました。

2003年5月、最初のグループホーム → 7月、在宅生活に戻り初めて訪問ヘルパーを入れる
→ 2004年1月、2度目のグループホーム →3月、亡くなるまで居た特養での生活 

父には気の毒な環境の変化でした。
しかし、それによって父の認知症が急速に進むことはありませんでした。
認知症が進んでいて、自分の居場所の区別がつかず、環境に慣れる慣れないがなかったからかもしれません。
2004年3月に特養に入居し、認知症が進むのではないかと心配しましたが、特に変わりはありませんでした。
身体的な面も低下することはありませんでした。

◆歯の治療を拒否
しかし、父のネックは「歯」でした。
在宅の頃から私と頻繁に歯科に通っていましたが、認知症が進むにつれ、歯科治療を拒否するようになりました。
歯槽膿漏でグラグラの歯の治療を残したまま、やむなく中断することになってしまいました。
その時点で父の場合は結構自分の歯が残っていましたが、良い状態ではありませんでした。
早い時期に総入れ歯だった方が、その後の経過を振り返ってみると、まだマシでした。

◆歯が悪いと…
2004年3月に特養に入居してしばらくしてから、次々にグラグラだった歯が折れました。
私が覚えているだけで3本位。
2005年後半になると、折れただけでなく、歯茎が腫れたり、虫歯が進行したりして、食事が美味しく食べられなくなり、食事を残すようになりました。
訪問歯科の診察は認知症のため拒否が強く、治療するに至りません。
せめて、口腔内の掃除はして欲しかったのですが、なかなか口も開けません。

◆排尿がない
2005年晩夏、父の排尿がごく少なくなりました。
掛かりつけの泌尿器科を受診すると、病気ではなく水分が足りないことによるものでした。
夏でも、老人は水分をあまり取りたがらないので、規定の水分量が取れていなかったようでした。
危うく脱水になるところでした。

◆歯のために、きざみ食に
2005年秋、歯の状態が悪いため、食べやすい「きざみ食」になりました。
食事が進まないためだけでなく、なぜか父は2003年夏頃からどんどん痩せていきました。
それでも父は元気でした。

◆背骨を潰す
2005年秋、父は特養フロア内をあちこちよく歩き回りました。
階段で転んだり、ベッドから転落したりしましたが、運良くいつも擦り傷程度で済みました。
が、10月中旬、ベッドから転落したのか定かではありませんが、明け方自室で倒れていて診断の結果背骨の一部が潰れていました。
そのため強い腰痛で、ベッドの寝起き等が自力で出来なくなりました。
しかし、運の良いことに、コルセットと貼り薬だけで40日位で自力で完治しました。

◆脱水症状
2005年11月中旬、発熱、意識朦朧、の脱水症状で病院受診、数時間の点滴で回復しました。
年寄りは、一般的に飲み物を勧められ、OKの返事をしてもなかなか飲まないものです。
父も多分そうだったのでしょう。規定の量はある程度飲んでいたのかもしれませんが、足りなかった。
この時は、まだ背骨も完治しておらず、腰痛があった頃なのに、更に言葉も出せなくなり、意識朦朧とした父を見て、初めて「死ぬかもしれない」と思いました
この頃以来、私は父の死の心構えを始めました。

◆食事が進まないため食事介助に通う
2005年11月の脱水症状の頃から、父の体力は急速に低下して行きました。
体重は益々減り続けました。
食べるのに時間がかかるようになり、飲み込み易い「きざみ・とろみ食」になり、私は一日置きに夕食の介助に通うようになりました。
この頃は2月の誕生日を迎えるのが目標でした。
背骨は治り腰痛もなくなりましたが、父自身も、以前のようにフロア内をあちこち歩き回ることは少なくなりました。
認知症の進行云々よりも、父の体が良い状態で如何に維持出来るかが課題となりました。

◆2006年の冬から春・初夏は安定期
この時期は大きな出来事はなく、無事2月の誕生日を迎えて85歳となり、夏までの日々を過ごしました。
状態が良い5月に特養の職員さんと車で昭和記念公園に行き、車椅子で園内を巡りました。
父は、何が何だか分からない様子でしたが、こんなに外の広い場所に出たのはデイに通っていた頃以来なので、2年振り位だったでしょう。
父の最後の行楽となりました。

◆2006年7月、全て抜歯する
歯の状態が良くないこと、飲み込みが悪いことなどで、食事は益々進まなくなりました。
私の夕食介助はずっと続きました。
今年、2006年7月。数ヶ月前から抜歯については悩みましたが、訪問歯科の先生の助言により、食事をきちんと美味しく食べられるようにするため父の残りの歯と残っている歯根を全て抜歯しました。
これについてはブログに書きました。

◆誤嚥性肺炎で入院
全て抜歯して歯茎の状態が落ち着き、よく食べられるようになった今年の8月末、夜中に発熱、誤嚥性肺炎を起こしていて1ヶ月の入院生活となりました。
これもブログに書きました。
入院中、発熱で良くなったり悪くなったり。
入院中から、誤嚥性肺炎のためミキサー食になり、私は毎日夕食介助に通いました。
父はよく食べていました。
入院中寝たきりだったため、ADL低下が心配でした。
そのため、完治はしていないものの、点滴をしなくなった時期に退院。
体重も最低の33kgになってしまいました。

◆よく食べて、何とか歩き出したのに…
退院後、10日に1度の割りで軽い発熱がありました。
特養に戻ってもミキサー食ですが、とてもよく食べていました。
1ヶ月寝たきりの入院生活でしたが、父は立つことが出来て、介助付きで何とか歩くことが出来ようになりました
少しの希望が見えていた矢先でした。
しかし、この1年で父の体力は明らかに低下していました。
緊急で病院に運ばれ胸のレントゲン検査の結果、9月の退院時よりも肺は全体が真っ白になり、重症の肺炎でした。
ブログにも前々から書いていましたが、今年の夏頃から、父の寿命は限界だったのだと思います。
退院後、5週間目に亡くなりました。
父が緊急で病院に運ばれた日は、24年前に亡くなった母の77歳の誕生日でした。
母が誕生日を一緒に祝おうと呼び寄せたのでしょうか?

◆きっかけは…多分「歯」から
父の場合、きっかけは歯が悪かったことからでしょう。
歯のせいで、ここまで体力低下の坂を駆け下りるなんて、悔しいですが…。
更に、老人に致命的な脱水で低下の拍車がかかり、老人の死亡率ナンバーワンの誤嚥性肺炎に至る最期。

また、これらの体力低下に関わることとして、認知症であったことも原因していると思います。
認知症でなければ、悪い歯も治せたかもしれないし、脱水も誤嚥も起こさなかったかもしれません。
自分のことを省みることが出来ない認知症であるために、病気が進行しやすいのでしょう。
脳内の働きが抑制されてしまうがために、体の働きが一般の老人よりも落ちてしまうのです。
ブログに過去にも書きましたが、結局後は、認知症よりも体との戦いなのです


参照↓↓
タクさんの病歴と経過

歯を全て失ったタクさん【認知症末期】
誤嚥性肺炎のタクさん(入院含む)【認知症末期】

今日の花262262
春の桜の頃と秋に再び咲く、我が家の「ウスベニヒゴスミレ」。肥後スミレ独特のギザギザの切れ葉。赤紫のクレヨンで描いたような可愛い花びらの色。良い香り。真っ直ぐ立ち上がったつぼみに似た種が弾ける寸前の姿には勢いがあります。父が緊急入院する朝、撮影しました。

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亡くなる前日のタクさん
2006 / 10 / 31 ( Tue ) 03:17:27

亡くなる前日、10/24(火)のタクさんのこと。
私が接した元気だったタクさんの最後の日のことを、忘れないうちに書いておきます。

前日の月曜は雨で、24日(火)も雨風が強い日でした。
昼頃雨が止み、夕方から再び降り出す予報だったので、雨で仕事が休みだったこともあり、雨が止んでいるうちに父の特養へ行きました。
今、行けば昼食の介助に間に合うかな?と思いつつ。

12時40分頃父のユニットに入ると、父の昼食はすでに終わり、テーブルの上にはポカリのとろみ付きがカップにたっぷり入っているだけでした。
9月下旬の退院後、ミキサー食になってからは、食べやすいのですっかり早く食べられるようになっていました。
「この時間に、珍しいですね〜」と職員さん。
そう、いつも夕食の時間なので、お昼に行くのは久し振りです。

「お父さん〜♪えすえですよ〜。もう食べ終わっちゃったのね。この飲み物もさっぱりして美味しいよ〜♪」
と言って、いつものようにポカリが入ったカップを父の口に運ぶと、いつものようにゴクッと飲む父。

飲みながら父は小さい声で何か色々しゃべる。
「だんだんとね…どーだ、こーだ……あーだ、こーだと言われるのはね…」
その後「……わかんない!」とも。

主語のない話、テーマの分からない話。
そして、昔から父の話によく出る「どーだこーだ」「あーだこーだ」の言葉。
多分、「人から何か言われたり批判されたりするのは嫌だ」という意味の内容なのでしょう。

食後、そんな風に会話を交わして、その後、車椅子で3階のフロア巡り。
皆さんの様子を見ながら進み、父に声をかけつつ、外が見える窓の傍に行ったり…。

この日は、3階の飼い猫に出会ったかな?どうだったかな?
いつもいるんですよ、茶色の縞柄のコータローが。
父は猫にもすっかり関心がなくなってしまったけれど。

若い職員のTさんは、よく父の目の前でおちゃらけて踊って見せたり、いつも父を喜ばせてくれます。
この日もおちゃらけて下さったような気がします。

それから、今度は腕を持っての歩行練習。
広いスペースのある場所(トイレ前の廊下)で、職員さんに付き添ってもらって父を車椅子から立ち上がらせる。
「お父さん、立ってみようね。この腕に摑まってごらん♪」
「よいしょ!!」と掛け声を掛けると、父は何とか立ち上がってくれた。

向かい合って、父が私の両腕に摑まって、「イチ、ニ、イチ、ニ!!」と声を掛けながらゆっくり歩く。
父の膝はあまり曲がらず、真っ直ぐなままでおぼつかない。
父は真っ直ぐにしか進めず、ターンで向きを変えるときもゆっくり、ゆっくりと誘導する。

そのうち、父のズボンの股下が異常に短くなっているのに気がつく。
相当ズボンが下がっているみたい。
と、思っていたら職員さんが飛んできて下がったズボンを直して、
ウエストの紐をキュッと結んで「これで大丈夫!!」と。

歩行練習時は、父に語りかけても父は黙って頷くだけ。
ちっとも言葉を発しませんでした。歩行練習で緊張していたのでしょうか?

その後、今度は手の爪切り。
「お父さん、伸びるの早いね〜」と言いながら、ヤスリもかけて仕上げも綺麗に。
この頃には、再び何かしゃべり出していました。

そして、3時のおやつの時間。
グレープゼリーとコーヒー牛乳のとろみ付き。
これも口に運んであげると、あっというまに食べてしまいました。

父の部屋に入ると壁の時計が止まっていました。(父の私物)
ちょうど職員さんが来たので、
「止まっちゃったけど、父は見ないし、電池入れ替えしなくてもいいかしら?」と言うと、
「私達、よく時間見ますよ」とのことで、次に来る時、電池を持ってくることにしました。

今になって思うと、父の壁時計が止まったのは…父が終わる予感だったのかな??

「今日は用があるから、ちょっと出かけて来るね!お父さんはゆっくりしていてね」と、
いつものように言うと黙って頷く父。
約2時間半父と過ごした特養をあとにしました。

外は再び雨が降り出していました。

この翌日の夕食後、様子が急転して、亡くなることになるなんて、思いもしませんでした。
いつもと違う時間に行って、色々なことをして父と過ごした充実した時間でした。
この日したことが、父との最後の出来事になってしまうなんて…。


今日の花262262
市内の根川緑道に、今年も咲いていました「十月桜」。カメラ持参で仕事に行き、予想的中、途中で撮って来ました。華やかさはなく素朴な感じの桜です。春秋の年に二回も咲く頑張り屋の桜です。この写真を撮った日、父の具合が急転してしまうのです。

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「可愛い」が嬉しい♪
2006 / 10 / 24 ( Tue ) 02:25:48

昨日(10/22)は、イズさんの老健からドロドロの気分のまま、タクさんの特養に行きました。
ドロドロ気分はタクさんの顔を見たら、すっかりどこかへ飛んで行きました。

夕食前、ベッドで横になっている父に声を掛けると今日は調子良さそう。
車椅子に今日はラクに移乗出来て、いつものようにフロア内巡り。

ショートステイのユニットは、いつも女性入所者がおしゃべりしたり、塗り絵をしたり、タクさんのユニットよりにぎやか。
父に話しかけながら車椅子で一回りすると、
「娘さんでしょう?お父さん、いいわね〜♪」
「うちは娘はいないから…」
「うちの息子はね…」
などと、皆さん話に花が咲く。
よくショートに来ている方は、私も顔を覚えています。

父は在宅の頃から「可愛い」と言われるのが、なぜか好きです。
男で、この年齢だと普通それはないだろうって感じですが…(笑)
在宅の頃、足の爪切りをする時、自分の小さな足のことを「可愛い足だろう♪」と言っていた程ですから。
父は厳格な反面、お茶目なのです。

フロア巡りしながら、何の前触れもなく父に話しかけました。

「お父さん!お父さんって可愛いね〜♪可愛いおじいちゃんだね♪」と。
そしたら、父はニコーーッ(^-^)
「わぁ!お父さん、笑うともっと可愛いね〜♪」と父の肩を叩きながら、私も嬉しさを体を揺すって全身で表現すると、
父は再び、ニコーーッ(^-^)
言葉は出ませんでしたが、父の手が何か言いたそうに私の方へ差し伸べられました。
幸せな父の微笑みで、私も幸せな気分でした。

これって、赤ちゃんが笑った時と状況が同じみたい(笑)

認知症の場合、どんな話をしようかと困ることがあるかもしません。
父の場合、言われたことの前後のことは繋がっていませんから、何の脈絡もなく、こうした父が喜びそうなことを言っても全然OKなのです。

「可愛い」のことがあったせいか、夕食時も父は頭が冴えていました。
小さい声で何か色々しゃべっていました。

「…可愛がってあげると、喜ぶんですよね」

「あとで何と言われるか…」

その前後に何て言ったか分からない部分があるのですが、私が聞き取れた言葉は上記のように意味有りげ。

こうして、私は父の認知症が相当進んではいるものの、結構楽しく、父と笑いながら接することも多いのです。
父と話が上手く噛みあう訳ではありませんが、要はこちらの感じ方、接し方で楽しくなるんです。
これも、特養で介護の大変な大部分を職員さん達にお世話になっているお陰ですね。
娘の私は、身内でしか出来ないことをしてあげられれば良い訳ですしね。



今日の実261261
市内のどこだったか大きな「ひょうたん」が生っているのを見かけました。幾つかある大きいひょうたんが落ちないように、支えが施されてとても大切にされている様子でした。乾かして中身を取り出して、きっと茶色の色艶の良いひょうたんを作るんでしょうね。


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「お父さん!」の意味
2006 / 10 / 21 ( Sat ) 00:47:56

今日(10/20)の特養のタクさん、ボーッとしてました。
夕食前、ベッドから起こす時、「抱っこして椅子(車椅子)に移すからね♪」と言って父を抱き起こすのですが、何度やっても上手く行かなくて結局職員さんにやって貰いました。
何度も抱き上げようとした時、父は結構まともに「大丈夫か??」などの返事をして頭が冴えているようだったけど。
その後は今日は頭の中、もやもやだったみたい。

夕食中、父の向いの席の元気が良いSさんが、父に大きな声で、
「お父さん!お世話になって、ありがとう!」と何度もおっしゃっていました。
う〜む、Sさんの「お父さん」(亡き夫)に対する気持ちが分かるような気がしました。

「お父さん!しっかりして良かったね!分かった??」ともおっしゃってました。
これは目の前の私の父への在りのままの言葉ですね。
私の方こそ、Sさんにお礼を言いたくて、父に代わってお礼を言いました。

Sさんは今日は何度も「お父さん!」と父に呼びかけていました。

けれど、父が全く無反応なので、私が父にSさんの語りかけを説明しますが無反応。
今日も父は頭の中がもやもやしていたんでしょうね?
でも、一度だけ父の顔が正気になってSさんに何か言って、笑っていました。
それなのに、私には父が何と言ったのかよく分からなかったのでした。残念。

そういえば、特養の女性入居者は「お父さん!」と、お父さん(夫)がいなくても呼びかけています。
「お父さん」イコール「夫」なんですよね。
認知症になっても妻は「お父さん」(夫)のことが頭の芯に残っているんですね。

私の母が亡くなる少し前、重篤の時、「お父さん!お父さん!早く来て!」と、傍に私が居るのに叫び続けていました。
娘の私ではダメで、夫でなければならなかったのでした。
母の最期の言葉は「お父さん」でした。
多くの妻は、最後に信頼する人は「お父さん」つまり「夫」なんでしょうね?

では、「お父さん」(夫)側は妻のことを、「お母さん」あるいは、名前で、認知症になっても呼ぶのでしょうか?
傍に居なくても呼びかけるのでしょうか?
私が知っている範囲では、父と同じユニットの入居者では居ないようにみえます。

妻は夫のことを頼りにしていたり、どんな時でも覚えているようなのに、夫の方はそうではないのか??
あるいは、そう思っていても言葉に出さないのでしょうか??

私の父は妻のことを認知症になった当初から、全く覚えていないらしく一度も話に出てきません。
認知症初期の頃に妻の写真を見せても、名前を言っても全然覚えがない様子でした。
妻といつどこへでも一緒に行動し、妻が亡くなる時、あれほど懸命に看護していた最愛の妻だっのに。
亡くなってしまった妻のことを思い出してみても仕方がないと考えて、忘れ去ろうとしたのでしょうか?

老健にいる義父も、認知症ではないけれど、亡くなった妻のことを話すことはありません。
今度、妻の話を聞きだしてみようかしら。

認知症になってからの夫と妻。
特養に入居されている方々のように、夫と妻が共に同じ場所に居ることのない場合(亡くなった場合も含めて)、連れ合いのことをどう思っているのでしょうか??



今日の花262262
咲いていますね「山茶花(サザンカ)」が。「たき火」の歌の「♪山茶花、山茶花、咲いた道〜♪」で有名なせいか、もっと寒くなってから咲き出すイメージですが、一日の寒暖の差が大きい今の時期に咲き出すんですね。

 

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タクさん、退院後初のトイレ成功!!
2006 / 10 / 17 ( Tue ) 01:34:39

ちょっと間が空きましたが、現在のタクさんの様子です。

◆トイレできばれた!!
今日(10/16)、特養に行って嬉しい報告を受けました。
退院後、タクさんはトイレへ行くことも出来ませんでしたが、やっと介助されて、トイレで「きばって」することが出来たそうです!!
立ち姿勢がしっかりしてきたので、トイレに連れて行ったら、ちゃんと立ったり腰掛たり出来たそうです。
何でもない人にとって当たり前のことが、衰えてくると何て大変なことか!です。
こんなことでも、出来なかったことが出来ると嬉しいものです。
入院前は出来ていたことなので、マイナスからの一歩前進です。

前にも書きましたが、何しろ退院後も時々発熱するので、なかなか大きく前進出来ません。
体調を見計らって、じっくり一歩ずつです。

◆車椅子でも徘徊?がお好き
この頃、私が特養に行った時には、夕食前に父をベッドから起こして、車椅子でフロア巡りをしてから食事の席に着かせるパターンを取っています。(私が勝手にしている)
父はベッドで目覚めていても、なかなか目を開けないのですが、フロア巡りをすると刺激になるようで、機嫌が良くなるし目も開けてくれます。
そうすると、食事時も調子よくおしゃべりしながらにこやかに食べます。

◆夕食後のひととき
退院後、ミキサー食になってから、よく食べるし「ズズズズーーーッ、ゴクッ」と器から喉に流し込むので食べ方が早くなりました。(流し込むけど、もぐもぐ噛んでもいる)
時間がかかっていた以前の「きざみ・とろみ食」の時の半分以下の時間(30〜40分位)で食べ終えます。
早く食べ終えた後の時間(とは言え、他の人達も食べ終えている)は歌を歌ったり、爪切りしたり、コミニュケーションの時間にしています。(これも私が勝手にそうしている)

今日も父にお馴染みの歌を歌ってあげて「お父さんも一緒に歌ってね!」と言ったけれど、「うんうん」頷くだけで、やはりダメでした。
その代わり、父の向いの席のSさんがにっこりしながら、「お上手!!」と私に言って下さいました。
ご自身も私に合わせて歌って下さいました。嬉しいな〜。
父より10歳位年上なんですが、いつもお元気な方です。

◆言葉の魔法
私は父に「元気がいいね!調子が良いみたいだね!」と、たとえ少々元気がなさそうでもそう言います。
在宅の頃からそうしてきました。今日も言いました。
「元気いいね〜」と言われると、父は元気がない時でも、少しは元気になるみたいな気がします。
励ましの言葉になっているんだと思います。

逆に、本当に具合が悪そうな時は無理に励ましたりしません。
「辛いね〜、苦しいよね〜、薬飲んだからもうじき良くなるよ〜」と、辛さを受け止めるようにしています。

また、父のちょっとした仕草や様子を見逃さずに「お父さんて面白いね〜楽しいね〜♪」と、言うと大抵ニッコリ笑ってくれます。
本人が喜ぶ言葉を掛けてあげることも大事な応援手段だと思うのです。

父にとって、毎日一つは楽しい事が有り、少しずつでも前進ある日々でありますよ〜に♪
そのための手助けを、私は職員さんと共にこれからもし続けたいと思っています。


今日の花262262
我が家のベランダのバラの数々が秋の花を咲かせています。この写真のイングリッシュ・ローズの「チャールズ・レニ・マッキントッシュ」は2年前の挿し木から育ったもので、とても丈夫で花つきが良いです。日ごとに花の形が微妙に変わっていくのが楽しみです。

イングリッシュ・ローズ「チャールズ・レニ・マッキントッシュ」2006.10月


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特養でのタクさん【認知症末期】 TB:0 CM:0 admin page top↑
認知症の行き着く先
2006 / 10 / 11 ( Wed ) 01:24:40

一昨日(10/8)のタクさんは元気で、夕食前に車椅子でフロア内を散歩した時、
「オッケー、オッケー、ザッツ、オッケー!!」と笑顔で言ってくれました。
父がご機嫌の良い時、以前から言っていたフレーズです。
最近は、このフレーズも殆ど言うことはなくなっていたので、とても嬉しかったです。

父が居る特養の三階フロアには猫が居ます。
犬好きの父でしたが、以前はこの猫にも興味を示して声を掛けたりしていました。
一昨日、猫がゴロニャンしているそばに父を連れて行き、「猫が寝てるよ〜可愛いよ〜♪」と言っても、もう、猫に視線が行かないし、興味も示してくれません。

そして今日(10/10)は、昨日から熱が出たそうで、夕食は私の介助で全部食べましたが、手が熱く元気がありません。
約10日毎に、発熱を繰り返しているような日々。
食後、久しぶりに髭剃りをしてあげましたが、何をされているのか分かっていない感じでした。
でも、嫌がりもせず、口の中は空っぽなのに、ずっと口をもぐもぐ動かしたまま穏やかにしていました。

今はもう、私には手が届かない「父だけの静かなる世界にいる」ようなことが増えました。

     ***     ***     ***     ***     ***

父の物忘れがひどかった頃、何かと煩わしいことだらけでした。
この先、父はどうなって行くのだろうと思いましたが、急激な変化があるわけではなかったので、きっとずっとこんな調子かもしれない…なんて思っていたこともありました。
父と会話が成り立っていた時期だったし、父の体は元気だったし、今思えば、とても楽しい時期でした。

父の失禁が始まって、徘徊もあって、様々な認知症特有の症状に悩まされて、それらの対応に追われていた時期もあったけれど、それでも父との会話が成り立っていました。
父の物事に対する興味はどんどん薄れていったけれど、今程ではありませんでした。
この頃ですら、今の状態の何倍も、父と生活を共に出来た喜びがありました。

現在、一見、無気力、無感動、何も考えていないような、ボーッとした様子。
そんな父に「目を覚ませ〜!心を覚ませ〜!」とばかりに、私は父に色々話しかけます。
話しかければ父も何か言うのです。元気な日には。
何か話しかけて欲しいのです、父だって。
心が冴えている日には、笑って冗談めいたことも言えるのです。

父自身では生活の殆どのことが出来なくなってしまいました。
私も認知症特有の行動や症状に悩まされることはなくなりました。
今は生命を維持すること、医療的なことの日々になってしまいました。
どんどん痩せていって、歯も全て失って、風貌も随分変わってしまいました。

父がこんな風になるなんて、父には有り得ないことだと思っていました。
ついこの間までは…。
体も丈夫でした。
運も良かった方でした。

父はとうとう認知症の行き着く先まで来てしまったけれど、私は諦めない。
父の笑顔と、父の勝手なおしゃべりが、この先もっともっと続くように、私は父を最後まで応援していきたい。
最後まで父を応援しているこの私を「自分の娘」だと全然分かってくれなくても…。


今日の花262262
初夏からずっと咲き続け、秋になってもまだまだ咲き続けている「チェリー・セイジ」。最近、どこでも見かけるようになった丈夫で大きくなるハーブです。真っ赤ではない可愛い赤色が目を引きます。

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特養でのタクさん【認知症末期】 TB:0 CM:4 admin page top↑
タクさん、歩けた!!
2006 / 10 / 06 ( Fri ) 20:24:23

今、タクさんの特養から帰ってきたところ。
雨風がひどい中、行って良かった!!

入院4週間、退院後2週間、今日のブログに「もう歩けない気がする」と
書いたばかりでしたが、タクさんが歩けた!!

夕食前に今日は早めに特養に行ったら、ナースが痰の吸引をして下さったあとで、父はベッドで目覚めていました。
ナースから、昨日と今日は調子が良いことを聞き安心して…。

今日も私がベッドから車椅子に父を移乗して、フロア内をあちこち巡って…。
食卓について話をしたり、歌を歌ったりして、父も良い調子で…。

そこで理学療法士さんから父のリハビリの経過を聞いて…。
結構長く立っていられるが、平行バーに摑まって歩くのは怖いらしく一歩が出ないとのこと。
怖くなければ、歩けるのかもしれないとの話で…。

だったら、今、私の肩に摑まらせてやってみましょう!と話が進み…。

車椅子から立ち上がってもらい、父と向かい合った私の肩に摑まってもらって、
父の後ろから療法士さんが支えて下さって…。
そうっと、一歩、一歩…、歩けた!!

5〜6メートル?6畳の部屋一周分くらい?そうやって一回り。
膝をあまり曲げない歩き方だったけれど、途中で少し疲れたみたいで立ち止まったけれど、歩けた!!

職員の皆さん方にも吉報は伝わり、喜んで下さった!!
4週間全くの寝たきりで、40日間、全然歩かないでいたけれど、大丈夫だった♪
本当に良かった!!こんなに嬉しいことは滅多にないです。


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特養でのタクさん【認知症末期】 TB:0 CM:4 admin page top↑
退院後2週間、イマイチ元気がないタクさん
2006 / 10 / 06 ( Fri ) 03:51:10

父の入院以降、特養に戻ってもずっと毎日通う日々が続いていたので私も少し疲れました。
父の体調が落ち着いた今週は一日置きに特養に行っていました。

◆目をなかなか開けない
一昨日(10/4)夕方行ったら、この日は7度台の微熱があったそうで、額を触ると熱く父の元気もイマイチでした。
夕食前はベッドで寝ていることが多く、いつもの事ながら、何度も声をかけるとやっと気が付くようですが、目はなかなか開けません。

父を目覚めさせ(目は閉じたままだが)、ベッドから車椅子への移乗を初めて一人でやってみました。
ヘルパー講習で習ったことを忘れないためにも、父の移乗は自分でやってみたかったのです。
父があまりに軽かったせいか、初めてでも上手く行きました。

◆食事時に涙
夕食なのに車椅子に乗っても目を開けないので、フロアを車椅子で一巡り。
それでも、しばらく目を開けずに私の食事介助を受けていました。

食事前にたんの吸引をしてもらった時も、少し涙目だった父。
食事中、ふと見たら右目から涙がツツツーーッと流れ落ちました。
最近は涙がしょっちゅう出ます。
悲しくて?辛くて?老化現象?
本当のところは分かりませんが、1〜2年前はそんなことはなかったので私も辛いです。

夕食は全介助で全部食べました。
いつもミキサー食を全部よく食べてくれます。

◆父の散髪
1ヶ月の入院が入って、父の髪が随分伸びてきたので近々切ってあげようと思っていました。
父の髪は10年以上私が切っていました。
特養でも私がカットしているのは知られていましたが、うっかり職員さんが訪問理髪の人に散髪してもらってしまい、私に謝罪しにきました。
それまで、父は寝ていたので髪の後ろは分からなかったし、耳のあたりが少しすっきりしているような感じはしましたが、うかつにも謝りに来られるまで気が付きませんでした。

昔から父の髪はオールバック。
私は父の髪を女性のショートカット程度にいつも長めにカットしていました。
くせっ毛なのでウェーブがついて似合っていました。
父も認知症初期の頃、「学者みたいで良い!」と言っていました。
今回の訪問理髪のカットは、いつもの私のカットとあまり違和感がないものでした。

大体3ヶ月に1度カットしていましたが、父の様子から、ひょっとしたら今回のカットが最後になるのでは?そんなことにならなければいいが…と思っていて、私がカットしたかったのですが…。

職員さんは丁寧に謝って下さり、私も手間が省けたわけですから文句も言いません。
でも、もしかしてもう出来ないかも?の寂しい気持ちは残りました。
そんなことのないよう願うばかりです。

◆リハビリ
機械浴があったり、下痢気味だったり、微熱があったりで、今週は歩くためのリハビリは出来てないとのことでした。
膝が固まらないよう、曲げ伸ばしはやって頂いてるようです。
私の予感では、多分もう歩けないような気がします。
足腰達者な父でしたが、歳とって色々な支障が重なると、丈夫だった体も一気に下り坂を駆け下りるものなんですね。
認知症も末期になると医療との日々になってしまうのです。


◆要介護認定の区分変更
退院後、以前とは状態も変わってしまい、次の要介護認定更新まで半年以上もあるので、区分変更の依頼を部長さんにお願いしました。(父の場合更新期限2年間だった)
長年ずーっと「要介護4」でしたが、今の状態が今までと同じとは思えませんもの。
施設に居る場合、家族としては介護度の違いなんて利用料の支払い額が多少変わるだけのことですが、施設のためにもきちんとした方が良いと思って申し出ました。
「要介護5」になったら、今までより少し多く支払わなくてはならないでしょう。

◆歌も歌えない
父と居るとき、必ず父が好きな歌を歌ってあげるのですが、もう父は歌も歌えなくなりました。
手拍子も出来なくなりました。
今年の夏前に少しだけ歌ったのが最後かな?
再び少しでも歌って欲しいので、「同期の桜」と「東京音頭」はこれからも歌って行こう〜♪


今日の実261261
いち早く、初秋から葉の色が変化し始める「ハナミズキ(花水木)」。まだ紅葉には少し早いですが、赤い実が9月下旬頃から生っています。葉が真っ赤に色付く紅葉ももうすぐです。

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