散歩の思い出「車が怖い」【認知症中期後半】
2007 / 07 / 10 ( Tue ) 10:58:38

父タクさんの認知症がもっと進み認知症中期の後半頃になると、散歩中に車が通るのを怖がりました。
特養に入る半年位前のことでした。

父と腕を組んで歩くのですが、車の往来をかなり不安に思っていました。
広い通りで歩道があっても、車が自分に向かって来るのではないかと心配していました。
狭い道で車が徐行して擦れ違うだけでも、「危ない!!」と声を出して、車と擦れ違うのをかなり嫌がっていました。
いちいち危ながっているので、以前のような楽しい散歩ではなくなりました。
車が来なければ父の機嫌も悪くはなかったのですが…。

信号のある横断歩道を渡る時も、かなり慎重になっているため歩みが遅く、渡りきらないうちに信号が変わってしまいました。
「青になったら渡りましょう」「今は信号が青だから渡っても大丈夫なのよ」と、わざわざ言っても、この時期、歩道のことも信号のことも分かっていませんでした。

そのため、散歩に必要以上に時間がかかり、散歩しながら車のせいで父が不機嫌になることも多く、またこの頃は以前より歩き方も遅くなり、散歩に出るのを私の方が躊躇したくなりました。

それでも、陽気が良い時期にはデイから帰ったその足で、夕方散歩に出ました。
この時期、毎日デイに通っていたので、デイ帰宅後の夕方しか散歩に出られませんでした。

認知症初期には、信号がある横断歩道の少し手前で、車が来ないと隙を見てすぐ渡ろうとする程、判断力があった父でした。
せっかちな父は信号や横断歩道を分かっていながら、早く渡ろうとするのでした。
この頃は、「横断歩道が近くにあるんだから、ちゃんと横断歩道で渡らないとダメよ!転んだりしたら大変。若い頃とは違うんだからね」と、父を諭したものでした。

認知症が進むと、車に対する身の危険を必要以上に感じていた父でした。
歩道や信号のこと、交通ルールのことが分からなくなったので、不安が一層募ったものと思われます。
それでもまだ、周囲のことに無関心になる認知症末期の状態よりはマシでした。
交通ルールを知っているからこそ、私達は身の安全を分かっていて生活出来るということですね。


今日の花262262
雑草ですが大好きな花「ツユクサ」。ブルーの色合いと形が素敵です。午後にはしぼんでしまうのが残念です。藪が少なくなり最近あまり見かけなくなったので、見られるとラッキーな気分です。我が家周辺では宿根草の「紫露草」の方をよく見かけます。


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散歩の思い出【認知症中期】
2007 / 07 / 07 ( Sat ) 23:10:27

父タクさんとの散歩の思い出は色々あります。

認知症中期、デイがない日で天気が良いと午後近くを散歩しました。
基本的に外出好きの父なので、突然散歩に行こうと誘っても断る事はまずありません。
「いいね〜行こう!行こう!」と二つ返事でした。
散歩に出るととても機嫌が良く、逆に家の中で機嫌が悪い時でも、外に連れ出すとご機嫌良くなりました。
この頃は健脚で、1時間半程度の散歩をすることが多かったです。

「あれは何だ?」と遠くに見えるものを訊ねます。
大体は花や木だったり、看板や建物だったり…。
聞いてもすぐ名前は忘れてしまうのですが、何なのかよく聞いてきました。
父と歩いた父の家の周辺の住宅街…懐かしいです。

でも、家々の表札を声に出して読むのには参りました。
まだ文字が読めるという証拠ですね。
表札にも関心があるという証拠です。

犬好きの父ですので、犬がいると「おい!ワン公!!」と必ず声を掛けました。

父が家の中で不機嫌だったある日、家の中に居てもどうしようもないので、散歩へ連れ出しました。
雨が降りそうな日で、案の定途中から雨が降り出し、一つの傘に二人で入って歩きました。
雨の時は安全のため、私が大きめの傘を持って、いつも一つの傘に二人で入りました。

この雨になった散歩の日は、父も途中から歩くのを嫌になり、グスグス文句を言い出しました。
そのため少し先の地域センターにある喫茶室に入ることにしました。
「あそこに喫茶店があるから、そこまで頑張って歩こうね!!」と。
ボランティアさんが運営している喫茶室に入り、不機嫌さも吹っ飛び、帰路につくことが出来ました。

父は喫茶店が大好き。
母が生きていた頃も母と二人で外出する時には、必ず喫茶店に入りパイプタバコを吸っていたようでした。
新宿の談話室「滝沢」がお気に入りでした。
この歴史ある店も、時代の流れで昨年辺り閉店したことが新聞に載っていました。



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2003年頃のタクさんのこと
2007 / 05 / 07 ( Mon ) 20:27:12

今から4年前を思い出しながら書きます。
メモ魔タクさんの娘の私もメモ魔でしたので、手帳に記録を残しています。

以前にも書いたように、父タクさんにとって2003年は色々なことがありました。
2003年5月に最初のグループホームを1ヵ月半で退所しました。
その後はそれまで通り、私が父の家へ毎日通い介護する形を続けました。
早朝と夜間は父と同居の私の弟が居ましたが、弟は心身共に疲れ、それを補うこととして、早朝ヘルパーを週5日利用しました。
2ヶ所のデイを週7日通い、その間にショートを月10日間位を2回に分けて利用し、介護保険の要介護4の単位数を超え、1ヶ月の支払いは10万円を超えていました。

こうして、2つ目のグループホームB(本命だった)の入所を待ちました。
グループホームBは、2003年7月に順番が来ましたが、グループホームAを退所してからの生活がやっと起動に乗った所だったので、次の方に順番を譲りました。
その後もグループホームBから入所の順番が回ってきましたが、もう少し父と在宅生活を過ごしたくて先送りしました。
しかし、いつまでも先送り出来ないので、次に順番が来たら今度は入所しようと思っていました。

2004年1月にグループホームBに入所、2004年3月に父の最後の生活の場となるユニットタイプの特養(大本命)に入所することになりますが、2003年後半の在宅生活では様々なことがありました。
今後は、認知症発症10年、要介護4の父の在宅生活の最後の頃のことやグループホームBのことを書きたいと思います。

参照↓↓
早朝ヘルパー利用でも起きられない父

タクさんの病歴と経過 その2

タクさんの病歴と経過 その1


今日の花262262
今、我が家のベランダで咲いている花達です。写真をクリックすると拡大します。

       
オードトアレ
コンパクトで香りの良いバラ「オード・トアレ」が今年も咲き揃いました。
    ラベンダー色で四季咲きです。  

                  
デンタータ
           四季咲きで何年でも丈夫に育つ大型のラベンダー「デンタータ」。

                            
キューレッド2
                     毎年4月〜5月に咲く大型になるラベンダー
                     「キューレッド」。ワイン色とピンクが可愛いです♪

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父の反抗の意味【認知症中期のタクさん】
2007 / 04 / 27 ( Fri ) 20:11:35

早朝ヘルパーさん利用でも、朝起きられなくなったタクさん。
この頃、タクさんは朝早く起きられなくなったことだけでなく、デイに行ったのは良いけれど、なかなか帰らない状態がよくありました。
また、デイの送迎車に乗って帰ってきて、外で私が出迎えているのにも関わらず、車から降りない状態も続きました。

そんな時はデイの車に私も乗り込み、父の気分を変えるような話をしながら、その辺を一回りして貰うと、父も私と一緒に降りてくれました。
まだ、車には他の利用者さんも乗っているのですが、特に反感を買うようなことはありませんでしたし、運転手さんも快く一回りを引き受けて下さいました。

この頃の父は身体的には丈夫で、特に不自由はありませんでした。
しかし、認知症が進み、父の場合は自分で納得出来ないことは、スムーズに人の言うことが聞けなかったからです。

なぜ、デイから自宅に帰るのか分からない。
なぜ、良い気分で乗っているデイの送迎車から、今降りなくてはならないのか分からない。
デイの職員さんに「外で娘さんが待ってますよ」と言われようが、私が「お父さん、お迎えに来たよ」と言っても、

娘なんか居たか??
自分でも分からないのだから、人の言うことなんか信じられん!
このままで良いじゃないか!!
何で、誰だか分からない人が言うことを、真面目に聞かなくてはならないんだ!!

父の心の中は多分こういうことだったと思います。
事実、言葉に出してそう言っていたこともありました。

朝、目が覚めてヘルパーさんが「起きましょう!」と言っても、
「何で今起きなきゃならないんだ!!このままでいいじゃないか!!」

だから目が覚めても、ヘルパーさんと話しをするだけで起きなかったのだと思います。
ヘルパーさんでなくても、私でも同じことだったと思います。

なぜそうしなくてはならないのか意味が分からないのに、人に指図はされたくない。
勝手に好きなようにさせて欲しい。
だから、反抗するような行動になっていたのだと思います。

父の生活の中心となるデイに関して、このようなことが頻繁に続くと、時間に拘束されるデイに行ったり来たりの生活は父にはもう限界なのだろうか?
施設に入って行ったり来たりの制約のない生活の方が良いのだろうか?
この頃、そんな風に思うこともありました。

しかし、認知症の父の反抗期は、ちょっとした気分転換で180度変わることもありました。
無理強いをすると、益々かたくなになるので、ダメな時は暫くほっとくこと。
少し時間を空けて別の話題を提供してあげる工夫などで、何とか気分が変わってくれました。
しかし、時間がない時は、私もかなりあせりました。

先日、私が勤める特養で、この頃の父の話をデイの職員さんとたまたま昼食を共にした時、懐かしく話しました。
デイのチーフ職員さんですが、認知症でも特に頑固な面があった父のことは、とても接し方の勉強になったとおっしゃっていました。
「タクさんの場合はえすえさんがおっしゃったように、嘘も方便ですね〜」と。

反抗期のような父でしたが、まだ体が元気だったこの頃は、今となっては懐かしいです。
苦労も多かったけれど、父亡き今は良い時期だったと思いました。


参照↓↓
認知症中期のタクさん その14(デイ・エピソード集1)


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日曜も利用したデイサービス
2007 / 04 / 11 ( Wed ) 21:35:08

最初のグループホームに1ヶ月半居て失敗し、在宅生活に戻ったタクさん。
早速それまで同様、私の通い介護でデイとショートの組み合わせの生活が再スタートしました。
2003年7月、タクさん82歳、認知症歴10年、要介護4の頃のことです。

この頃、ショートは月2回、3泊4日と4泊5日程度利用していました。
ショート以外の日は全てデイを利用しました。
当然、要介護4の介護サービス利用単位数を超えていて、超えた分は全額自己負担でした。
デイを多く利用するよりも、ショートを多く利用する方が介護費用負担を少しは減らせるとケアマネさんのアドバイスもありました。

タクさんのスケジュールは目一杯でしたが、タクさんが元気でお出掛け好きだったので可能なことでした。
休日もなく毎日出勤するサラリーマンみたいでしたが、出掛けることを全く嫌がらない父でした。

この頃、タクさんは水漏れ事件を起こし、益々目が離せなくなりました。

弟が日曜の休日に出掛け誰も居ない時に、タクさんは水道を開けっ放しにして、自宅は水浸しになるし、マンションの階下のお宅に水漏れを起こしてしまいました。

また、失禁で寝具や衣類の洗濯が増え、洗濯機の具合が悪くなり、知らぬまに階下の同じお宅に水漏れを起こしてしまいました。

そんなことが続き、弟が仕事休みの日曜は、日曜もやっているNPO法人の小規模デイを利用しました。
日曜日は私の通い介護はお休みでしたので、これで、弟も少しは安心して日曜の休日を過ごせます。

日曜のデイは私の家のすぐ近くにあって、介護講座などを積極的に開いているNPOで、職員の方々も以前からよく知っていて、安心出来るデイでした。
小さな商店街の空き店舗をデイサービスに改装した施設で、定員が10名程度。
寝たきりに近い方や若年認知症の方なども利用されていて、とても家庭的な雰囲気のデイでした。

このデイは施設がとても狭いので、天気が良い日はお散歩好きのタクさんに合わせて、出来るだけ近所へお散歩に連れ出してもらいました。

商店街を職員さんと歩いている父にパッタリ出会ったこともありました。
父に話しかけても私だと全然気づいてくれませんでした。
手狭な施設内であまりご機嫌が良くない日でも、外へ散歩に出るとご機嫌になっていたようです。

このNPOは同じ商店街で高齢者向きの自然食レストランも営業しており、高齢者向きの配食サービスもやっていました。
タクさんも夕食はこの配食サービスのお弁当を利用していました。

タクさんの場合は届けて頂くのではなく、私がレストランで夕食のお弁当を受け取って、タクさん宅へ通い介護で行くときに持って行く形を取りました。
このお弁当は内容がとても良く、料理が苦手な通い介護の私にとって、強い味方でした。

この頃の私の通い介護のパターンは、朝タクさん宅へ行き、デイに送り出した後、タクさんの洗濯や布団干し、掃除などをしてから、タクさんがデイに行っている間、アルバイトに出て終了後自宅に戻るパターン。
この間、アルバイトから戻り、自宅に居る時間は昼食を取りながらの1時間半程度。
タクさんがデイから帰宅する4時以前にタクさん宅へ再び行って、タクさんをお迎えし、タクさんが寝るまで一緒に居る毎日でした。

私はタクさんが乗るデイの送迎車の時間に合わせて、行動する日々でした。
夜間と早朝は父と同居の弟が面倒をみました。


参照↓↓
続・最初のグループホームでのタクさん

タクさんの病歴と経過


今日の花262262
ソメイヨシノより後に咲く可愛い桜、「花海棠 (はなかいどう)」は私が楽しみにしている桜です。濃いピンク色と花首が枝垂れる姿、花と共にある柔らかい緑の葉。一般的な桜程大きくならないせいか、庭植されているのをよく見かけます。


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タクさんの悪癖 (認知症中期のタクさん その23)
2006 / 11 / 20 ( Mon ) 01:42:53

そうそう、父にはまだブログに書いていなかった悪癖がありました。
亡くなった父のことを夫と色々話すうち、夫が笑いながら言い出して、すっかり父のそれを忘れていた私は思い出したのです。
それは、言うもはばかる…??タクさんは「スケベじじい」だったのです(笑)

◆スケベじじい、タクさん
昔から父は下ネタで人を笑わそうとする人でした。
いえ、正確に言うと下ネタを女性に言ったり、しかけたりして、女性が恥ずかしがったり照れるのを楽しみとする「エロおやじ」でした(^-^;;
ただし、あっけらかんとやっていたので、「いやぁねぇ〜」と相手に言われながらも、陰湿さはありませんでした。
でも、今なら「セクハラじじい」と言われて後ろ指指されたかもしれません。

父がそんな「スケベじじい」だったことを私が気付いたのは小学生の頃でした。
その頃、一番のターゲットは私でした。
細かい状況は忘れましたが、何かあると抱きついてきたので、小学生の私は嫌でたまらなく、でも、笑いながら逃げ回っていました。
父には厳しく叱られ、新聞紙を丸めてお尻を叩かれたこともありましたが、その反面、父の「おふざけ」の抱きつき攻撃にも遭っていたのした。

あの調子だと、電車内などでの悪質な痴漢行為はやっていないと思いますが、職場の若い女性などには狙い撃ちをかけていたかもしれません。

家で一緒にTVを観ていると、音楽番組でダンサーが踊った合間にスカートからパンチラすると、「ほら!!見えたぞ!!」と大喜びしていました。
宝塚歌劇の劇場中継などでは、ラインダンスで並んだ太ももを観て、「お!!凄いぞ!!」と、これまた喜びに湧き立っていました。
母は一緒に笑って観ていましたが、私は「お父さんって、サイテー!!」と言っていましたっけ。

そんな父の悪癖は年取っても治ることはなく、介護サービスを利用する頃になっても続いていました。
さすがに、抱きつきはなくなりましたし、言うこともあまり過激ではなくなりましたが、私に軽いお尻タッチなどしていました。
この頃は、私も心得たもので、昔のように本気で逃げ回ることもなく、「お父さんて、エッチだ〜♪」くらいに言って、笑いながら父にやり返しなどすると父は喜び、私も適当に父とそんなやり取りを楽しむ余裕が出ました。

父の悪癖に拒絶反応を示すと父にとっては面白くなく、冗談で受けて返す、そこそこのやり取りが出来ることを父は楽しみとしていたのでした。

こんな父でしたので、毎日父と接するデイの職員さん方に、父の悪癖には、「軽く受けて、冗談で返してやって下さい」と伝えました。
「父がご迷惑をかけているのでは??」と訊ねると、「楽しくて良いですよ〜♪」と、言って下さってましたが…果たして??
時々、スケベじじいの対応に困る話をあちこちの場で聞いたことがあります。
父の悪癖でご苦労をおかけしていたら、申し訳ありませんm(__)m

そういえば、特養に入居した頃(今から2年半前頃)も、まだほんの少し「スケベじじい」の名残りがあったので、職員さんには「要注意」と「軽く受け返し」をお願いしたこともありました。

ここ1年程は、父も体力的にすっかり衰え、さすがにそんな様子もなくなってしまい、そんな父の悪癖のことを私はすっかり忘れていたのでした。

夫にとってタクさんとは、自分の父親よりも興味がある人物像だったようです。
「お前の親父は、ドケチで、スケベおやじで、計算高い人だったけど、面白い人物だったよな〜♪」と、亡くなった今だからではなく、元気だった頃も言っていました。
「認知症になんかならなかったら、一緒にもっと楽しく過ごせたのにな〜♪」と、以前からよく言ってくれました。

堅物な面が強い父でしたが、スケベじじいな面があっての父でした。
残念です。悪戯っぽい目で、お尻タッチや抱きつき攻撃する父がもう居ないなんて…。

しかし、こんなエロおやじはやっぱり現在では「セクハラもの」でしかないんでしょうね〜??



今日の花262262
寒くなって来ると元気に咲く花、「ユリオプスデージー」の黄色い花が咲き始めています。マーガレットに似た花ですが、葉が銀白色で美しいフェルト状です。東京では真冬でも元気に咲いている丈夫な花です。

 

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認知症中期のタクさん TB:0 CM:4 admin page top↑
益々好きになった「幼い子供」 (認知症中期のタクさん その22)
2006 / 10 / 18 ( Wed ) 04:15:25

前回、父が認知症になってから好きになった「歌を歌うこと」を書きました。
今回は認知症になってから、以前より増して好きになった「幼い子供」のことです。

◆おっ!チビが居る!!
父と一緒に外へ出た時、父が真っ先に発見するものは「幼い子供」でした。
昔から幼児に目がない父で、外で見かけると「おっ!チビが居る!!」と必ずニコニコして眺めていました。
あまり大きく成長した子供には、それ程関心はなくて、小学校低学年位までの子供が好きなようでした。
それも特に男の子が好きでした。
私の弟が、跡取りで長男だったため、幼い頃非常に可愛がっていた名残りかもしれません。

では、私の息子が幼かった頃は可愛がっていたかと言うと、その頃父と接触した機会が少なかったせいか、残念ながらあまり特別な印象は残っていません。
年に1〜2度会う程度だったので、普通に可愛く思っていただけかな?と言う印象です。
息子の方は、この頃父のことを「ブーブーじいちゃん」と呼んで、イズさん(夫の父)よりは親しみを持っていたように思います。
イズさんと区別するため、いつも車(ブーブー)を運転してやってきたタクさんのことを自然とそう呼んでいました。

認知症中期になって、他の事柄に関心が薄くなっても、遠くからでも幼い子供をいち早く発見して「チビだ!!」と言っていました。
「お父さん、子供を見つけるの早いね!」と私はよく言ったものでした。
道路の反対側に居てもすぐ発見して、笑顔をほころばせていました。

◆チビに声を掛ける
傍にチビが居た場合は必ず声を掛けるようになりました。
駅の混雑した中で私立小学校の制服姿の男の子に「おい!ボク?!どこの学校だ?」といきなり声をかけたことも。
小学校1〜2年生位でしたが、はきはき応えて「変なじいさん」とは思ってなかったようでした。

大きな病院で待たされた時なども、傍に居た幼児に「ボク?!」と声を掛けました。
でも、ピンクの服を着て、どうみても女の子。
まだ幼すぎてしゃべれないようで、キョトンとしていました。
父は女の子でも、幼児は全て男の子にしてしまっていました。

◆TV番組「おかあさんといっしょ」を楽しむ
父はCMのうるさい民放は好まないので、NHKTVをいつも付けっぱなしにしていました。
毎日夕方は「おかあさんといっしょ」の再放送の時間です。
これは幼児が沢山登場して、体操のおにいさんと踊ったり体操したりする場面があるので父はとても喜びます。
「ほら!あの子が泣いている〜はははは!!」なんて、泣いている子が居ると特に嬉しそうに観ていました。

けれど、認知症中期も後半になると、だんだんTVの内容や様子を理解出来なくなり、私が画面を指し示して子供が居ることを教えてあげても、理解しにくくなりました。

◆ぬいぐるみの「コアラちゃん」
このぬいぐるみは今から3年半位前?に私が買って父にあげた物で、お菓子の「コアラのマーチ」のキャラクターぬいぐるみです。
その名もずばり「コアラちゃん」。
高さ30cm位の程好い大きさで、目鼻立ちがはっきりしていたので、認知症中期後半の父にも分かりやすかったようでした。
この頃、あまり小さな物は何だか分からなくなってきていました。

「ほら!コアラちゃんが来たよ!」と私が言って傍に置くと、
「ボク?!ボクは幾つなの?ボクのお名前は?」などとコアラちゃんに尋ねるので、
私がコアラちゃんに成り代わって「ボク、三つなの♪」とか応えてみたり、コアラちゃんの体を動かしたりしました。
「おじいちゃんはね、コアラちゃんが大好きなの♪」などと、父はコアラちゃんに本気で小さな子供だと思って話しかけていました。
コアラちゃんは、子供好きな父のちょうど良い話し相手になりました。

ただし、ただ置いておくだけだと気付きません。
コアラちゃんが生きているかのようにして父の前に登場させないと、認識しません。
でも、時にはコアラちゃんをぬいぐるみだと理解出来ない日もあって、コアラちゃんの耳をパクッと食べようとすることもありました。

◆ぬいぐるみの「シロ」
この頃、白いタオル生地の小さなぬいぐるみがあって、父が「白いから、お前はシロだ!」と名付けた「シロ」という犬のぬいぐるみがありました。
そのうちこれはタオル地のせいか、雑巾代わりにテーブルを拭いたり、父の口を拭いたりするのに使われ悲惨な運命を辿りました。
小さくてタオル地だったので、ぬいぐるみとして理解されにくく、活躍したのは短い期間だけでした。
「シロ」が汚れてヨレヨレになったので、「コアラちゃん」が新たに登場したのでした。

◆子供と見間違った人
子供を外で発見するのが得意な父でしたが、たまに間違うこともありました。
「向こうから来るのは子供か??」と、父。
遠くからこちらに向かってヨタヨタ歩いて来る人が居ました。
近くまで来たら「な〜んだ!ばあさんじゃないか!!」と、父のがっかりした顔(笑)

◆益々子供好きになった理由
父が認知症になって益々幼い子供好きになった理由は何でしょうか??
人間本来の幼いものや可愛いものを、何のてらいもなく慈しむ気持ちが、
認知症になることによって、外側の皮が剥がれて、更に素直に表現出来るのではないかと思いました。

◆認知症の人は…
認知症になると、物事に対して凄く素直に表現するようになる気がします。
痛いこと、怖いこと、悲しいこと…etc.

【痛い】
父は認知症が進む程にこらえ性がなくなり、注射をとても痛がりました。
バンドエイドを剥がすだけでも痛がって大変でした。

【怖い】
父に何かをさせようとして、無理に体を動かそうとすると怖がって嫌がり、傍にあるものをきつくしっかり掴んで離しません。
父は絶対に体を動かされないようにします。
こうして、恐怖を感じた時は、どんな時でも自分の身の安全を確保しています。

【悲しい】
戦争に行った体験をたまに話してくれましたが、「本当に生きて帰れて良かった!」と涙を流しながら話しました。
昔の父なら、涙なんかみせることは絶対にありませんでした。

どれも、父が思ったままを素直に(悪く言えば、むき出しの理性)、表現していることと言えるでしょう。

では、楽しいことは?と言えば、「歌を歌うこと」「幼い子供とのふれあい」と言うことになるでしょうか。

認知症末期の現在では、その楽しいことも、徐々に出来なくなってきています。
手助けしてあげなければ、父自身では楽しいことを掴みきれないのです。


今日の花262262
我が家で次々に咲いている秋のバラ。純白で小型のバラ(ミニバラ)を咲かせる「シュネー・プリンセス」。別名「白雪姫」。花を房咲きさせる「ポリアンサ」という種類のバラです。陽に映えて抜けるような白さが美しいです。
シュネー・プリンセス2006.10月

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認知症中期のタクさん TB:0 CM:3 admin page top↑
認知症になって好きになったこと、「歌」 (認知症中期のタクさん その21)
2006 / 10 / 15 ( Sun ) 08:26:07

父が認知症になってから特に好きになった事柄を書いてみます。
好きになった事柄がはっきりしていたので、介護するにあたり助かりました。

◆歌を歌うこと
以前にも書きましたが、私が小学生の頃、父は太平洋戦争関連の連続TVドラマをいつも観ていて、それを見終わったあとなどに軍歌を元気良く大きい声で歌ったりしていました。
でも、私達家族が「お父さん、ヘタだ〜!」などと冷やかしたため、「お父さんは音痴だからね。学校の成績も勉強は出来たけど唱歌は『甲、乙、丙、丁』の『丙』だったからな」と、笑って返答はしていた父でしたが、冷やかしたせいかあまり歌いませんでした。
父が歌を歌っていた記憶は私の中ではその程度でした。

ところが、デイサービスに行くようになった父は、家に帰ってくるととてもよく歌を歌うようになりました。
デイでの歌の時間が巧を奏したのでしょう。
デイの記録ノートにも父が「同期の桜」を歌ったとか頻繁に書かれていましたし、送迎車での職員さんとのやり取りでもそう言われました。
デイのお陰で父本来の歌好きが呼び起こされ、人に冷やかされることもなく、人の顔色を伺うこともなく、元気に歌うようになったようでした。
私は「デイに行くようになって、父はとても明るくなったよ」と、ことある毎に人に話しました。本当にそうでした。

父のお得意は主に軍歌なのですが、戦地の中国で実際歌ったのかどうか分かりませんが、沢山知っていることからすると過去に随分歌ったと思われます。
また、父自身認知症になる前から、軍歌や古い歌謡曲の歌本を買い集めたり、図書館の歌本のコピーを取ったりして幾つか持っていました。
父のそれらの本のお陰で歌詞が分かり、私も父と一緒に歌うのに役立ちました。

以前書きましたが、父が転んで右膝にひびが入り、皆勤だったデイを一日休んだ日にも、父と一緒に歌三昧の一日を送りました。
歌を歌っていれば足が痛いのも紛れたし、父も私も楽しく過ごせて、歌様様でした。
父の歌は数歌う程に益々上手になって、全然音痴ではなく、時にはビブラートまで効かせて歌っていました。

父の場合は、機嫌が悪い時でも私から「じゃ、歌でも歌ってみるか♪」といきなり誘いかけても大抵乗ってくれて、一緒に歌いだすと機嫌が良くなる場合もありました。

場合によっては、所構わず歌いだそうとすることもありました。
そんな時の曲は「同期の桜」でした。
たとえば、病院で長く順番待ちをしている時。
現在の特養に入居する時、玄関でちょっと座って待たされたわずかな時間にも。
ショートステイに行く時の送迎車に私と一緒に乗った時。
「同期の桜」のことを「いい曲だよな。別に変な内容じゃないしな」と父は言っていました。

また、自宅での入浴中、浴槽に浸かって気分良く「いい湯だな」を歌いだしたりしました。
勿論、お風呂でも父に合わせて私も一緒に歌います。
この曲は入浴時の定番歌になりました。

父の得意な歌は他にも「東京音頭」「炭鉱節」「武田節」「黒田節」「金色夜叉」「東京行進曲」「旅の夜風」「ラバウル小唄」「異国の丘」「父よ貴方は強かった」などなど、そして昭和20〜30年代の歌謡曲、童謡や小学唱歌の数々でした。
父は歌詞を忘れてしまい歌えないけれど、知っている歌で楽しい気分になれる歌として「東京カンカン娘」「青い山脈」「愛しちゃったのよ」「幸せなら手を叩こう」などなど。

父は私に「あんた歌上手いじゃないか♪」と言ってくれたりしました。(私の名前は忘れているので「あんた」)
認知症中期までは(3年前、2003年頃まで)、結構歌詞を思い出すことが出来て私に教えてくれたりしました。
私も元来とても歌うことが好きなので、父と一緒に歌うことはとても楽しく、父と共通の良い趣味を持てて良かったと思いました。

ただし、父の歌好きは父の傍で父に直接歌いかけてあげないと効果はありません。
認知症が進んでしまうと、音楽会やTVでの音楽番組、流れている音楽テープやラジオなどは聞こえていても認識出来ないようです。
特養で音楽会や演奏会があって父と一緒に参加しますが、音楽を聴いている認識がないようで、説明しても分かっていないようです。
場合によってはアコーディオンや太鼓の音など、大きな音を出す楽器はうるさいとしか感じない時もあるようです。
現在の父には、傍で人が父自身に歌ってあげることでしか、歌を認識出来ないようです。

父が特養に入居してからも、面会に行って頻繁に父と歌いました。
何しろ話題がなくても歌なら共に楽しい気分になれますし、歌を忘れないためにもなりますしね。
ユニットのリビングで歌っていると、他の入居者さんが寄って来て一緒に歌うこともありました。
離れた場所にいても歌が聞こえているので、合わせて一緒に歌って下さる方もいて、大合唱になることもあります。

こんな時に歌うのは、女性入居者が多いせいでもあり、童謡や小学唱歌、皆さんがお好きな「東京音頭」などです。
でも、父と同世代の女性入居者は「同期の桜」などもよく知っていて一緒に歌って下さいます。
入居者の方々も「懐かしい」とおっしゃって、その歌について話して下さることもあります。
私自身も歌いながら、昔の曲や童謡や小学唱歌など、本当に良い曲だとしみじみ感じることが多いです。

しかし、今年になってからの父は体力も衰え、話し声も小さくなり、認知症も一層進んで残念なことに殆ど歌えなくなってしまいました。
でも、歌ってあげると覚えているようです。
昨年までなら、歌わない時でも上手なもみ手の手拍子をしてくれ、「さて!」とか「はい!」とかの合いの手を入れて盛り上げてくれたのに…。

先日の父は私の歌に合わせて、歌えないけれど体を左右に動かしてリズムをとってくれました。
それだけでも嬉しいことでした。
私が歌うと父が「うんうん」と頷いてくれるのは、父も心で歌っていることなんだと思います。
だから、私はこれからも、父が歌えなくても傍で父の好きな曲を歌ってあげたいと思っています。
歌って、本当に良いものですね!!


参照↓↓
認知症中期のタクさん【好きな歌】
タクさんと戦争
同期の桜


今日の花262262
よく知られたマーガレットに似た花を秋に咲かせる「浜菊」が咲き始めていました。マーガレットよりがっちりした大振りの花で、葉が分厚くて特徴があります。もうこれが咲く季節なんだな〜と季節の移ろいを感じました。

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探究心旺盛だった頃 (認知症中期のタクさん その19)
2006 / 10 / 13 ( Fri ) 02:05:24

1週間振りに「認知症中期のタクさん」シリーズ復活です。

前にも書きましたが、タクさんの場合は次のように時期を分けてみました。

◆初期(1993年〜2001年後半 72歳〜80歳)
   ・・・失禁がない頃まで
◆中期(2001後半〜2004年後半 80歳〜83歳)
   ・・・失禁が始まり、徘徊等目立った行動があったが元気だった時期
◆末期(2004年後半〜 83歳〜)
   ・・・会話が成り立たなくなり、体力の衰え(現在はこの時期、特養は2004年3月入居)

タクさんがこの頃、自宅でよくやっていた事柄を思い出してみました。
認知症以前の、元々の性格から来ていることが多いように思います。
認知症だからこうなったのか、元々の性格でこうなったのか、判別付け難いです。
男性らしい行動も多いのではないでしょうか?

◆探究心旺盛[カメラ]
タクさんは元来カメラ小僧?でした。
今で言う「アキバ系オタク」の元祖?かもしれません(笑)

昭和30年代から40年代初め頃、タクさんはカメラに凝っていました。
カメラ雑誌を毎月買って、カメラのことを研究して、やっと買った一眼レフ。
それを持って、屋外でのモデル撮影会に参加。
家へ帰ると部屋に暗幕を張って誰にも入らせないようにして、撮ってきた写真の現像や焼き増しをせっせとやっていました。
上手く撮れたモデルの写真を家族に見せて自慢していました。
親不孝な私は鼻で笑っていました(^-^;;

のちには、色々な種類のカメラを少しずつ買い足していました。
そのうち、いらないカメラが私にお下がりとなる恩恵も受けましたが(苦笑)

そんなにカメラが好きで、カメラやその道具類を色々持っていたのに、「これ、なんだっけ?」と。
聞かれても、私にも分からない道具だったりしました。

そのうち「これなんだろう?変だな?」と、無理やりひねったり、引っ張ったりして、いつのまにか壊してしまうカメラや関係の物、多々。
何だったか忘れても、壊してくれるなよ〜(私の物じゃないけど)って思いました。
あんなに入れ込んでいたことでも、何だったか分からなくなるのですね…。

◆分解は任せてくれ[文房具]
ボールペンもキャップのし忘れで、書けなくなり、分解してしまったもの多々。
集めていた万年筆の数々も分解。「死んだらあげる」と言っていたのに。
目覚まし時計も分解した。
あんなに自慢していたパイプの数々も分解しちゃいました。
本のページを何枚も手でビリビリ切ってしまいました。
本のページを折り込むことは得意中の得意。最初は大事なページを目印として折り込んでいたはずだったのに。
そのうち、殆どのページを折り込んでいました。

◆移動は得意
父の寝室の本棚にぎっしり詰まっていた本の数々を、何冊かずつ食堂の父の席の傍に運び込んでいました。
毎日やっているので、どんどんテーブルの本は増え山積に。
その代わり、寝室の本棚はガラガラ。
食堂のテーブルの山積の本は時々崩れ落ち、父はまた積み直し…それが毎日の日課でした。

◆秘密の扉
父がいつも居る食堂のテーブルの傍の、横と後ろに開きの扉の収納棚があります。
特に入れやすい横にある扉の中には、他の部屋から持ってきた様々な物がぎっしり入れ込まれていました。
どれも、殆ど使ってない物です。
扉を開けると、雪崩のように崩れてこぼれ落ちます。
こぼれると無理やり押し込んで、隙間があると他から持ってきて詰め込むことが日課でした。

◆椅子をどけるが得意
私が掃除機をかけていると、よく「手伝おうか?」と言ってくれて、食堂の椅子を邪魔にならないよう片付けてくれました。
そのせいか、特養でもよく椅子やテーブルを動かそうとしていました。
掃除機もかけたがったので、時間がある時はやってもらいました。
放っておくと、同じ所ばかりガーガーやっていましたが、結構出来ていました。

◆洗濯物の取り込み
たまにベランダの洗濯物を取り込んで、所定の場所に私がやるように掛けておいたりしてくれました。
洗濯物を持って転ぶのが心配なので、私がいない時はしなくていいと言ったのに、時々取り込んでありました。

◆爪楊枝コレクター
父は昔から食後暫くの時間、食卓に着いたまま爪楊枝でシーハーやっているのが習慣でした。
だから、爪楊枝は切らさないよう用意してありましたが、父は節約家でした。
使った爪楊枝は捨てずに、先を小さくちぎったティッシュで巻いて、テーブルの上か食器棚に沢山並べていました。


参照↓↓
タクさんの病歴と経過

今日の花
他の木々よりいち早く真っ赤に紅葉した「箒木(ほうきぎ)」を今日もあちこちで見かけました。「コキア」とも言います。紫色っぽく紅葉するのもあります。箒に似た姿、自然と整った形、色も綺麗。まだ夏の「サルスベリ」も咲き残っているこの時期、植物も夏と秋が混ざっています。

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認知症でもお洒落する♪
2006 / 10 / 09 ( Mon ) 01:58:27

辛く悲しいことが多い認知症介護ですが、介護する人の気の持ちようでハッピーなこともあるんです。
お洒落するっていうか、服に気を遣うって、前向きになれるのでイイことですよネ!
私はいつまでも素敵な父でいて欲しかったので、父のスタイリストになりました。

◆アスコットタイ
タクさんは昔から、ちょっぴりお洒落な人でした。
「年取ると年齢が首に出るから、アスコットタイをするとお洒落に見えるし、首に出た年齢も隠せるんだ」と父はニヤリとして言って、60歳頃からちょっとお出掛けの時はアスコットタイをすることがありました。
認知症になってからは使いませんでしたが、一度ぐらいアスコットタイを絞めても良かったかな〜?

◆幾つも持っている帽子
母が亡くなってから買ったのか?いつ買ったのか?ハンチング型やハット型の帽子の数々を持っていました。
せっかく持っているので、デイに行くときや外出の時には服に合わせ、とっかえひっかえ被ってもらいました。
帽子を買ったのは父ですが、コーディネイトは私がしました。
デイの職員さん達に「タクさんはお洒落」で通っていましたが、父がブイブイ鳴らしていたかどうかは定かではありません(笑)

◆小さいサイズの靴
デイに通うようになって、以前から持っていたスポーツシューズを履いて行くようになりました。
高価でブランド物好きの父が買ったものでしたが、どうもきつそうでした。
毎日履けるスポーツシューズで良いものはないか探しましたが、なかなかありません。
父の靴のサイズは「24.5cm」と小さいのです。
婦人物で探したら、値段も安くて良いのがあるじゃないですか!
父の毎日の靴は結局婦人物になりました。足に合ってちょうど良いです。
ちなみに、今特養で履いてるホールディングタイプのスリッパも婦人物です。

◆小さい足自慢
お洒落とは無関係ですが、ついでに。
足の爪切りをする時、「可愛い足だろう?!」と自慢気に父は必ず言いました。
「『バカの大足』って言うじゃないか♪」と父。
小さい足は父の説だと「利口」なんだそうで…??
でも、「『間抜けの小足♪』とも言うよ」と私。
どちらがいいんだか??(笑)
今から2〜3年前(2003〜4年)頃の話でした。

◆年取ったら綺麗に見える色を
父は60歳頃から、「年取ったら、綺麗に見える色を着た方がいいぞ♪」とよく言っていました。
「地味な色は余計年寄りに見えて良くない」とも。私もそう思っていました。
認知症以前、たまに一緒に買物して服を選ぶときも、父の顔色が良く見える色を選びました。
父は寒色系よりも赤系などの暖色系が似合いました。

◆ちょい不良(ワル)オヤジ?のコーディネイト
デイにほぼ毎日通っていた時期、私は父の服のコーディネイトにこだわりました。
父はどれも喜んで着てくれました。
父が昔自分で買いこんで、袖を通していないものも随分ありました。
なるべくそれらも着て、それに合わせる物を少し買い足して。
安い物でもコーディネイト次第でグンと良く見えます。
ズボンもジャージ系はラクかもしれませんが、履かせませんでした。
ツータックのチノパンツにベストの組み合わせが似合っていました。
その頃、私の提案で1ヶ月間だけ口髭も生やしました。
結構イケてました!!
でも、ズボンの中身は紙パンツ履いてました(笑)


今日の実261261
中身が裂け真っ赤に熟れてた「ザクロの実」を見かけました。いつ見てもザクロの実は本当に不思議な形です。食用になる実の中身のプツプツを子供の頃食べたことがありました。酸っぱくて懲りたので、それ以来食べてません。

最近ランキングが落ち目です。頑張って書いているのに。読んだらぜひ、応援のクリックお願いします!!

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