散歩の思い出「車が怖い」【認知症中期後半】
2007 / 07 / 10 ( Tue ) 10:58:38
父タクさんの認知症がもっと進み認知症中期の後半頃になると、散歩中に車が通るのを怖がりました。 父と腕を組んで歩くのですが、車の往来をかなり不安に思っていました。 信号のある横断歩道を渡る時も、かなり慎重になっているため歩みが遅く、渡りきらないうちに信号が変わってしまいました。 そのため、散歩に必要以上に時間がかかり、散歩しながら車のせいで父が不機嫌になることも多く、またこの頃は以前より歩き方も遅くなり、散歩に出るのを私の方が躊躇したくなりました。 それでも、陽気が良い時期にはデイから帰ったその足で、夕方散歩に出ました。 認知症初期には、信号がある横断歩道の少し手前で、車が来ないと隙を見てすぐ渡ろうとする程、判断力があった父でした。 認知症が進むと、車に対する身の危険を必要以上に感じていた父でした。
ランキングに応援のクリックをお願いします↓↓ 人気blogランキングへ http://blog.with2.net/link.php?323044 ブログ村介護ブログランキングへ http://care.blogmura.com/in/067042.html |
散歩の思い出【認知症中期】
2007 / 07 / 07 ( Sat ) 23:10:27
父タクさんとの散歩の思い出は色々あります。 認知症中期、デイがない日で天気が良いと午後近くを散歩しました。 「あれは何だ?」と遠くに見えるものを訊ねます。 でも、家々の表札を声に出して読むのには参りました。 犬好きの父ですので、犬がいると「おい!ワン公!!」と必ず声を掛けました。 父が家の中で不機嫌だったある日、家の中に居てもどうしようもないので、散歩へ連れ出しました。 この雨になった散歩の日は、父も途中から歩くのを嫌になり、グスグス文句を言い出しました。 父は喫茶店が大好き。 ランキングに応援のクリックをお願いします↓↓ 人気blogランキングへ http://blog.with2.net/link.php?323044 ブログ村介護ブログランキングへ http://care.blogmura.com/in/067042.html |
2003年頃のタクさんのこと
2007 / 05 / 07 ( Mon ) 20:27:12
今から4年前を思い出しながら書きます。 以前にも書いたように、父タクさんにとって2003年は色々なことがありました。 こうして、2つ目のグループホームB(本命だった)の入所を待ちました。 2004年1月にグループホームBに入所、2004年3月に父の最後の生活の場となるユニットタイプの特養(大本命)に入所することになりますが、2003年後半の在宅生活では様々なことがありました。 参照↓↓ |
父の反抗の意味【認知症中期のタクさん】
2007 / 04 / 27 ( Fri ) 20:11:35
早朝ヘルパーさん利用でも、朝起きられなくなったタクさん。 そんな時はデイの車に私も乗り込み、父の気分を変えるような話をしながら、その辺を一回りして貰うと、父も私と一緒に降りてくれました。 この頃の父は身体的には丈夫で、特に不自由はありませんでした。 なぜ、デイから自宅に帰るのか分からない。 娘なんか居たか?? 父の心の中は多分こういうことだったと思います。 朝、目が覚めてヘルパーさんが「起きましょう!」と言っても、 だから目が覚めても、ヘルパーさんと話しをするだけで起きなかったのだと思います。 なぜそうしなくてはならないのか意味が分からないのに、人に指図はされたくない。 父の生活の中心となるデイに関して、このようなことが頻繁に続くと、時間に拘束されるデイに行ったり来たりの生活は父にはもう限界なのだろうか? しかし、認知症の父の反抗期は、ちょっとした気分転換で180度変わることもありました。 先日、私が勤める特養で、この頃の父の話をデイの職員さんとたまたま昼食を共にした時、懐かしく話しました。 反抗期のような父でしたが、まだ体が元気だったこの頃は、今となっては懐かしいです。
ランキングに応援のクリックをお願いします↓↓ 人気blogランキングへ http://blog.with2.net/link.php?323044 ブログ村介護ブログランキングへ http://care.blogmura.com/in/067042.html |
日曜も利用したデイサービス
2007 / 04 / 11 ( Wed ) 21:35:08
最初のグループホームに1ヶ月半居て失敗し、在宅生活に戻ったタクさん。 この頃、ショートは月2回、3泊4日と4泊5日程度利用していました。 タクさんのスケジュールは目一杯でしたが、タクさんが元気でお出掛け好きだったので可能なことでした。 この頃、タクさんは水漏れ事件を起こし、益々目が離せなくなりました。 そんなことが続き、弟が仕事休みの日曜は、日曜もやっているNPO法人の小規模デイを利用しました。 日曜のデイは私の家のすぐ近くにあって、介護講座などを積極的に開いているNPOで、職員の方々も以前からよく知っていて、安心出来るデイでした。 このデイは施設がとても狭いので、天気が良い日はお散歩好きのタクさんに合わせて、出来るだけ近所へお散歩に連れ出してもらいました。 商店街を職員さんと歩いている父にパッタリ出会ったこともありました。 このNPOは同じ商店街で高齢者向きの自然食レストランも営業しており、高齢者向きの配食サービスもやっていました。 この頃の私の通い介護のパターンは、朝タクさん宅へ行き、デイに送り出した後、タクさんの洗濯や布団干し、掃除などをしてから、タクさんがデイに行っている間、アルバイトに出て終了後自宅に戻るパターン。 私はタクさんが乗るデイの送迎車の時間に合わせて、行動する日々でした。
ランキングに応援のクリックをお願いします↓↓ 人気blogランキングへ http://blog.with2.net/link.php?323044 ブログ村介護ブログランキングへ http://care.blogmura.com/in/067042.html |
タクさんの悪癖 (認知症中期のタクさん その23)
2006 / 11 / 20 ( Mon ) 01:42:53
そうそう、父にはまだブログに書いていなかった悪癖がありました。 ◆スケベじじい、タクさん 父がそんな「スケベじじい」だったことを私が気付いたのは小学生の頃でした。 あの調子だと、電車内などでの悪質な痴漢行為はやっていないと思いますが、職場の若い女性などには狙い撃ちをかけていたかもしれません。 家で一緒にTVを観ていると、音楽番組でダンサーが踊った合間にスカートからパンチラすると、「ほら!!見えたぞ!!」と大喜びしていました。 そんな父の悪癖は年取っても治ることはなく、介護サービスを利用する頃になっても続いていました。 父の悪癖に拒絶反応を示すと父にとっては面白くなく、冗談で受けて返す、そこそこのやり取りが出来ることを父は楽しみとしていたのでした。 こんな父でしたので、毎日父と接するデイの職員さん方に、父の悪癖には、「軽く受けて、冗談で返してやって下さい」と伝えました。 そういえば、特養に入居した頃(今から2年半前頃)も、まだほんの少し「スケベじじい」の名残りがあったので、職員さんには「要注意」と「軽く受け返し」をお願いしたこともありました。 ここ1年程は、父も体力的にすっかり衰え、さすがにそんな様子もなくなってしまい、そんな父の悪癖のことを私はすっかり忘れていたのでした。 夫にとってタクさんとは、自分の父親よりも興味がある人物像だったようです。 堅物な面が強い父でしたが、スケベじじいな面があっての父でした。 今日の花 |
益々好きになった「幼い子供」 (認知症中期のタクさん その22)
2006 / 10 / 18 ( Wed ) 04:15:25
前回、父が認知症になってから好きになった「歌を歌うこと」を書きました。 ◆おっ!チビが居る!! では、私の息子が幼かった頃は可愛がっていたかと言うと、その頃父と接触した機会が少なかったせいか、残念ながらあまり特別な印象は残っていません。 認知症中期になって、他の事柄に関心が薄くなっても、遠くからでも幼い子供をいち早く発見して「チビだ!!」と言っていました。 ◆チビに声を掛ける 大きな病院で待たされた時なども、傍に居た幼児に「ボク?!」と声を掛けました。 ◆TV番組「おかあさんといっしょ」を楽しむ けれど、認知症中期も後半になると、だんだんTVの内容や様子を理解出来なくなり、私が画面を指し示して子供が居ることを教えてあげても、理解しにくくなりました。 ◆ぬいぐるみの「コアラちゃん」 「ほら!コアラちゃんが来たよ!」と私が言って傍に置くと、 ただし、ただ置いておくだけだと気付きません。 ◆ぬいぐるみの「シロ」 ◆子供と見間違った人 ◆益々子供好きになった理由 ◆認知症の人は… 【痛い】 【怖い】 【悲しい】 どれも、父が思ったままを素直に(悪く言えば、むき出しの理性)、表現していることと言えるでしょう。 では、楽しいことは?と言えば、「歌を歌うこと」「幼い子供とのふれあい」と言うことになるでしょうか。 認知症末期の現在では、その楽しいことも、徐々に出来なくなってきています。
|
認知症になって好きになったこと、「歌」 (認知症中期のタクさん その21)
2006 / 10 / 15 ( Sun ) 08:26:07
父が認知症になってから特に好きになった事柄を書いてみます。 ◆歌を歌うこと ところが、デイサービスに行くようになった父は、家に帰ってくるととてもよく歌を歌うようになりました。 父のお得意は主に軍歌なのですが、戦地の中国で実際歌ったのかどうか分かりませんが、沢山知っていることからすると過去に随分歌ったと思われます。 以前書きましたが、父が転んで右膝にひびが入り、皆勤だったデイを一日休んだ日にも、父と一緒に歌三昧の一日を送りました。 父の場合は、機嫌が悪い時でも私から「じゃ、歌でも歌ってみるか♪」といきなり誘いかけても大抵乗ってくれて、一緒に歌いだすと機嫌が良くなる場合もありました。 場合によっては、所構わず歌いだそうとすることもありました。 また、自宅での入浴中、浴槽に浸かって気分良く「いい湯だな」を歌いだしたりしました。 父の得意な歌は他にも「東京音頭」「炭鉱節」「武田節」「黒田節」「金色夜叉」「東京行進曲」「旅の夜風」「ラバウル小唄」「異国の丘」「父よ貴方は強かった」などなど、そして昭和20〜30年代の歌謡曲、童謡や小学唱歌の数々でした。 父は私に「あんた歌上手いじゃないか♪」と言ってくれたりしました。(私の名前は忘れているので「あんた」) ただし、父の歌好きは父の傍で父に直接歌いかけてあげないと効果はありません。 父が特養に入居してからも、面会に行って頻繁に父と歌いました。 こんな時に歌うのは、女性入居者が多いせいでもあり、童謡や小学唱歌、皆さんがお好きな「東京音頭」などです。 しかし、今年になってからの父は体力も衰え、話し声も小さくなり、認知症も一層進んで残念なことに殆ど歌えなくなってしまいました。 先日の父は私の歌に合わせて、歌えないけれど体を左右に動かしてリズムをとってくれました。
|
探究心旺盛だった頃 (認知症中期のタクさん その19)
2006 / 10 / 13 ( Fri ) 02:05:24
1週間振りに「認知症中期のタクさん」シリーズ復活です。 前にも書きましたが、タクさんの場合は次のように時期を分けてみました。 ◆初期(1993年〜2001年後半 72歳〜80歳) タクさんがこの頃、自宅でよくやっていた事柄を思い出してみました。 ◆探究心旺盛[カメラ] 昭和30年代から40年代初め頃、タクさんはカメラに凝っていました。 のちには、色々な種類のカメラを少しずつ買い足していました。 そんなにカメラが好きで、カメラやその道具類を色々持っていたのに、「これ、なんだっけ?」と。 そのうち「これなんだろう?変だな?」と、無理やりひねったり、引っ張ったりして、いつのまにか壊してしまうカメラや関係の物、多々。 ◆分解は任せてくれ[文房具] ◆移動は得意 ◆秘密の扉 ◆椅子をどけるが得意 ◆洗濯物の取り込み ◆爪楊枝コレクター
今日の花 |
認知症でもお洒落する♪
2006 / 10 / 09 ( Mon ) 01:58:27
辛く悲しいことが多い認知症介護ですが、介護する人の気の持ちようでハッピーなこともあるんです。 ◆アスコットタイ ◆幾つも持っている帽子 ◆小さいサイズの靴 ◆小さい足自慢 ◆年取ったら綺麗に見える色を ◆ちょい不良(ワル)オヤジ?のコーディネイト
|
|
* HOME *
|



2008 / 10 / 16 ( Thu ) 15:45:25








