命あるものとの関わり
2007 / 08 / 05 ( Sun ) 13:01:06

認知症になってからの父タクさんの印象を思い出してみます。

今から約10年位前の認知症初期には、一見普通の人と変わりなく、日常生活もそれまでと殆ど変わりないものでした。

妻が亡くなってから家事を一人でしなければならなかった立場上(それまで家事などしなかった父でした)、「何でも一人でやってきた」「一人でやらなければならない」と口癖のように父は言っていて、通い介護で私が来てもそう言っていました。
そして、私がいても、いつもせっせと片付けのようなことをしていました。
認知症になる前と同様に、好きな本の片付けや物の整理のようなことを日常的にしていました。

徘徊や失禁が始まり、デイに通うようになった認知症中期になっても、自宅での日常生活の基本は初期の頃と殆ど同じでした。
片付けや整理が好きでした。
ただ、片付け方が変でした。
片付けているというよりも、ある場所からある場所へ物を運び込んでいるという状態でした。
寝室の本棚は空っぽになってしまい、いつもいる食堂のテーブルが本の山になりました。
やっていることは同じつもりでも、上手く整理が出来なくなったから、そういう形になったのでしょう。
でも、父の日常の基本は認知症になる以前と変わりなかったと思われます。

そして、認知症後期。
この頃は特養での生活です。
在宅の頃とは環境も変わり父の生活も変わりました。
特養の父の居室にテーブルと椅子や小さい本棚を置き、以前見ていた本を並べ、自宅に似た環境にしました。
が、自宅とは違いますし、すっかり興味を示さなくなりました。
時々、カーテンを引いたり、テーブルや椅子を運ぼうとしたりして、自宅で物を片付けることが好きだった父の面影を感じました。
しかし、物に興味を示すことは非常に少なくなってきました。

子供や動物が好きだった父は、認知症後期になっても、出掛けると小さい子供や犬、猫などには関心を示しました。
物にこだわりを持っていた父でしたが、認知症が進むと最終的には物よりも、命あるものにしか興味を示さないように感じました。

文字を書くことが好きでしたが、すっかり書かなくなり(書けなくなった)、それよりも人と話しをすることに方向が変わりました。
特養でも入所者の方々と話すよりも、職員さんと話しをすることが多かったようです。

そして、体の状態が悪くなった亡くなる1年程前からは、弱々しくなり顔の印象も生き生きとした感じがなくなり、全ての物に興味がない感じがしました。
しかし、私が話しかけると延々と父の持論を語り(認知症が進んだなりの話し方)、好きだった歌については一緒に歌ったり、歌えなくても興味を示しました。

簡単にまとめると、父の場合は認知症初期、中期は認知症になる以前と生活ぶりの基本は変わりませんでした。
後期になると、健康状態が悪くなったことも重なって、全てのことに興味を失ったように見えるけれど、それまでの生活の一部を持ちこたえていること。
そして、認知症が進んで様々なことが分からなくなっても、命ある物(人との関わり)に関しては興味を示すこと。
そして、認知症後期でも「何が何だか分からないんだよ」と言っており、今の自分の状態が分かっていました。

当たり前のことですが、物よりも、人との関わりが最も大切だということ。
そして本人もそれを望んでいることをはっきり感じました。



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認知症になって治ったこと
2007 / 07 / 31 ( Tue ) 01:24:23

父タクさんは認知症になる少し前、70歳位の頃、よく膝が痛いと言っていました。
特に階段の下りなどで痛いようでした。

ところが、認知症になってから膝が痛いと言わなくなりました。
いえ、正確には認知症のごくごく初期には言っていましたが、その後はパッタリ。

医者に行って治した訳でもありません。
聞いても何ともないと言って、確かに本当に痛くなさそうなのです。

認知症になると、気持ちの問題がもっと別のことに向いてしまい、痛さなど感じなくなることもあるようです。
そういうことは、父の場合、認知症後期に多少ありました。
ある種の痛みに鈍感になること。
逆にある種の痛みには敏感になることも。
それまで何ともなかった注射を非常に痛がりました。
様々な不安があって、痛みを我慢することが出来なくなったようです。
痛くもないのに、触られると嫌なので痛いと表現することもありました。

でも、この膝の痛みについてはどうして痛くなくなったのか不思議です。
お年寄りに膝の痛みを訴える方は多いと思います。
持病になっている方が殆どではないでしょうか?
それが父の場合は、いつのまにか治ってしまったのです。
不思議です。


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父の爪の変形
2007 / 07 / 27 ( Fri ) 21:30:56

夏が来れば思い出す〜♪ 父タクさんの足の爪〜♪

父タクさんの足の爪が水虫のため変形していました。
雲母のように、ちょっと薄く削げかかっていたり、白っぽくなっていたり、分厚くなっていたり。
認知症初期の頃は頻繁に、認知症後期になってもたまに皮膚科に通いました。
皮膚科で調べてもらうと、水虫菌が見つかる時と見つからない時と、時期によって異なりました。
足の指の間や足の裏は少し赤くなっている程度で、痒くはないようでした。

最近は飲んで治す水虫の薬があるようですが、父の場合は高齢のためクリームタイプの塗り薬だけの対応でした。

ところが認知症が進むにつれ、この塗り薬を付けるのを大変嫌がるようになりました。
認知症初期の頃は、喜んで塗ってもらっていたのに。
父をおだてながら、主に入浴後に付けるのですが痛くないのに「痛い!」と言って、とても嫌がり、ササッとしか付けられなくなりました。
敏感な足の先に何かをされることが、嫌だったのでしょう。

毎日デイに通いだすと日中は靴を履いている時間が非常に長くなりました。
自宅に帰ったら、すぐ靴下も脱いで素足に。
父も素足が好きで、冬でも家の中では素足で平気でした。
ただ、フローリングの部屋に居ることが多いのでスリッパは履きます。

特に痒くもなく大したことない水虫でしたが、昔サラリーマン時代になった水虫は治りませんでした。
殆ど足の爪だけの水虫でしたが…。

特養に入所してからは、家に居る時のようにスリッパは危険なのでダメ。
一日中靴を履かなくてはならず、そりゃ水虫にはよくありません。
そこで、父だけ特例で、以前にもブログに書いた脱げにくいフォールディングタイプのスリッパを一年中履きました。
初夏から秋までは勿論素足で。
このスリッパのせいで転んだ、つまづいた、脱げた、などは有りませんでした。
この履きやすいスリッパ、宣伝ではありませんが、ユニクロのスリッパ(ルームシューズ)です。

こうして、父タクさんは、夏は特に爪の水虫の対応にちょっぴり苦労しました。

ところが、私が特養の介護職になって入所者の皆さんの足の爪を見ると…。
な〜んだ!!どのお年寄りも皆、父と同じに足の爪が変形しているではありませんか!!
これって、水虫でなくても、年寄りになると多くの方がこうなるのでは??
父の場合も爪が変形していても、水虫菌が出ない時がたびたびあったし…。

ついでながら、父の足のむくみのこと。

むくみが気になって、検査したりしましたが、結局原因がはっきり分からなかったことがありましたが、特養の入所者の皆さん方も、殆どの方の足がむくんでいます。
入所者でない世間のお年寄りの足首を気になって見ると、何と多くのお年寄りの足がむくんでいることか!!
それぞれ原因は違うのかもしれませんが…。

私は父の爪の変形やむくみに敏感になっていましたが、世間のお年寄りの多くはそういう方が多いのですね。
だからといって、ほっとけば良いと言うことではありません。
きちんと原因を調べたり、それなりの対応はしなければなりませんが。



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地震・雷・火事・親父
2007 / 07 / 05 ( Thu ) 19:46:27

父タクさんは認知症後期、分かってくれないことが何かと増えました。

たとえば、地震。
2004年10月23日の新潟県中越地震の時、東京でもかなり揺れ、確か震度4か5でした。
この時、父は特養に入所していて、毎月1回特養で夕方から開催される「居酒屋」に父と一緒に居ました。
まだ普通食が食べられた頃で、毎月父とこの居酒屋で、お酒は飲まないけれど、色々注文して楽しく食べました。
その時、この地震が起きて、店内は一時騒然としました。
しかし、父は揺れに全く気付かず、悠々としていました。
「今、大きな地震があったのよ」と言っても、「そうかぁ??」と。
地震も感じなくなっちゃうのかな〜??うん、感じてなかったです。

この時を最後に父とは特養の居酒屋に行かなくなってしまいました。
翌月に父は脱水を起こし、状態が何かと良くなくなって、普通食をさっさと食べることが出来なくなり、居酒屋へ行くことを断念したのです。

たとえば、雷。
これは在宅時代(認知症中期)でも、全く気にならなかった様子でした。
「凄い雷が鳴ってるよ!」と言っても、雷が聞こえていない訳でもないのに、気にならないようでした。
家の中に居たせいもあったかもしれません。
すぐ傍で、はっきり目に見えることでないと、音が大きくても分からないのでしょう。

たとえば、火事。
これは前にも書きましたがエピソード有り。
認知症初期から中期、何かと父は自分の状態にイライラするようで、
何かあると「火つけてやる!!」と、さながら放火魔でした。
同義語として「首くくって死にたい」とも言っていました。
認知症になって変になった自分の状態がとても嫌だったようでした。

たとえば、親父。
親父については、父は母親のこと以上に、40代で亡くなった父親のことをよく話しました。
とても尊敬していた自慢の父親だったようでした。
「親父さん、優しかった?」と聞くと、「優しかったよ〜」と、認知症中期の後半でも、嬉しそうに語りました。

たとえば、アコーディオン。
雷や地震のようにすぐ目の前のことでないものについては無反応、無関心でしたが、先に書いた特養の居酒屋にボランティアのアコーディオン奏者が来て鳴らしていた時は、「うるさい!!」の連発で困りました。
傍で鳴る大きな音は、たとえ音楽であってもピアノのような音でない限り、うるさく感じていたようでした。

たとえば、花火大会。
特養の父の部屋からは、比較的近くにある昭和記念公園の7月末の花火大会がとてもよく見えました。
目の前に大きく見えて私は感動するほどでしたが、父はあんなに花火がよく見えるのに、何度教えても「何?花火??どれだ??」と、全然分かってくれません。たまに父が気が付いたときには、一瞬で花火は消えてしまうし、ダメですね〜認知症後期ともなると、分かっちゃくれません。

このようなことがまだ分かるうちは良いですよ〜。
分かるうちに色々楽しんでおきましょう。
父のように地震に動じないのは、却って有難いことですが…(笑)


今日の花262262
梅雨時の花、「クチナシ」が咲いています。良い香りですが、花の終わりに白が茶色になるのがちょっと悲しい。白いままで散ってしまう方がもっと爽やかな印象になるのに…と、いつもそう思います。


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きっかけは…
2007 / 07 / 03 ( Tue ) 21:54:25

このブログを始めてそろそろ1年になります。
過去に何度か書いたことですが、もう一度、父のことを思い出してみました。

父タクさんを介護することの始まりは、滅多に電話して来ない私の弟の電話からでした。
これについては前にも書いていますが、遠くなった記憶を呼び戻してみました。

1993年。タクさん72歳の頃。
始まりは…。

父と二人で住んでいた弟が「父は最近酒ばかり飲んで、昼間もボーッとしているようだ。ボケたんじゃないのか?」という内容の電話からでした。
私は一緒に住んでいたのではなく、年に1〜2回程度しか会わなかったので父の毎日の様子など分かりませんでした。
けれど、その時「そういえば…」と思える出来事が少し浮かびました。

期限までにお金を振り込むのを忘れる。
その程度のお金ならあるはずなのに、なぜか私に借金を申し込んだ。
私の夫の母の葬式の時、何だか父は頼りなくて一人で帰れるか心配になった。
「72歳の老人を一人にして!!」と、急に大変な剣幕で怒り、「よく覚えておくように!!」と大事な物の場所や伝えたいことを言った。

弟の「父がボケたのでは?」のたった1回の電話で、父の様子を直接見ることもなく、私は父を私の家の近くに呼び寄せ、通い介護することに決めたのでした。
今から思うと、父の様子を見ることもなく相当大胆な考えでした。

父と弟だけの生活は絶対ダメだと思った。
同居は出来ないので、近くに来てもらい私が毎日通うこと。
父がボケる以前から、父には近くに来てもらおうと思っていて、父にも多少その気があった。
父と弟が住むのに丁度良いマンションが私の家の近くにあり、目を付けていた。

そして、父を説得し、近くのマンションに弟と移り住んでもらい、私の通い介護が始まりました。
この頃、小学校低学年だった我が息子も、今では社会人になって独立してしまいました。

ボケると数年で亡くなると、当時何かの本で目にした記憶がありました。
数年通ううちに父は亡くなるだろう。
数年なら、ま、いいか。何とかなるだろう。
安易に考えていましたし、酷い娘でした。

この頃、今のように認知症についての介護の仕方や状態など、あまり一般的になっていなかったと思います。
TVや新聞でも取り上げていなかったように思います。
それとも私が関心がなかっただけか?

認知症がこんなに奥が深いもので、大変なことだなんて、これっぽっちも考えていませんでした。
年取れば誰でもなる??ならない人もいる。何で??
こんな調子でした。
「これは大変な病気になってしまった」なんて、ぜーんぜん思っていませんでした。
でも、だから逆に、当初気楽にやって来れたのでしょう。

この頃「アルツハイマー」という言葉が世間で日の目を浴び出した頃だったと思います。
アメリカの元大統領がこの病気になったことを世間に公表し、闘病生活をしているとニュースになったからでしょう。

今、改めて思うと、父について結構トントン拍子で上手く行くことが多かったようです。
それとも、思い出となると、過去の苦労も全部良い思い出に変わってしまうのでしょうか?

そんな父との長い介護生活のことを思い出しながら書いておこう。
現在のことも書こう。
父の記録として。
なぜなら、父の先は長くはなさそうだから。

そう思って1年前に始めたのです。
そして、読んで頂いた方に少しはお役に立てば…とも。

義父イズさんとのことも、色々とありましたし、二人の父のことを書けば、ネタは結構あるのでブログとしては続くでしょう。
そう思って始めました。

<注>
最近、イズさんのことはすっかりご無沙汰になってしまいましたが、イズさんは元気です。イズさんのホームにも行っています。

しかし、ブログ開始後、タクさんは予想以上に早く、3ヶ月で亡くなってしまいました。

あともう少し、あともう少し、父のことを書かねば、忘れないうちに…。


今日の花262262
今年、我が家の鉢の「キキョウ(桔梗)」は咲いてくれません。白の株と紫の株の両方ともダメです。毎年夏から秋までずっと咲き続けていたのに。日本的な風情の花で、形も色も気に入っているキキョウ。今年はよそで咲いているのを見て楽しもう。


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父の足元エピソード
2007 / 06 / 13 ( Wed ) 23:17:24

そういえば、父タクさん、こんなこともありました。

特養に入所してから、面会に来た私のスリッパを見ていつも言ってました。
「いい靴履いてるな〜」と、そりゃもう毎回言いました。

ホームの名前が金文字で入った茶色のどこにでもあるスリッパです。
金文字は父の目には見えないと思うので、ただのどこにでもある茶色のスリッパなのに、そんなに素敵だったのでしょうか??

「お父さんのも素敵よ!!」
「そうかぁ??」
自分の靴は全然素敵に思っていない様子の父。
ちょっとガッカリ。
私が買った父の足にピッタリ来る某全国ネットブランドのルームシューズ。

ある時期から、父の目線はいつも下の方。
真っ先に靴とかスリッパが目に入るようです。
それから、床も目に入る。

床が綺麗に掃除されていてピカピカ光っていたりすると、
「ここ歩いても大丈夫か??水がある!!」
光り過ぎていると、水が打たれているように見えるようです。
何しろ、目線はいつも下。

何で目線が下なのか?
年取って背中が曲がってきたので必然的に目線が下になる。
歩くために用心深くなって、転ばないように、身の危険をいち早く回避するためにも、目線が下になる。
などと私は解釈しています。

床に境目があると、父は一層用心深く一歩を踏み出しました。
境目を踏まないように、どっこいしょ!と跨ぎました。

それでも、そこそこ転倒しました。
懐かしい父の転倒の数々。

デイの帰り、私が居る傍で、自宅マンションの上り階段のあと一歩のところで転倒し、膝にひびが入りましたが40日間で完治。
特養で職員しか通らない階段に入り込み、転倒して数段落ちたものの、擦り傷程度で済んだことも。

特養に入ってから、ベッドから転倒が何回か。
自宅のベッドでの転倒はなかったのに、施設に入るとある程度の転倒はあるのですよね。
1対1ではないから、職員の目に入らない場面もあるので。

でも、お陰様で頭にコブとか、膝を打撲程度のごくごく軽症で済みました。
でも、ベッドからの転倒の最終回(苦笑)では、背骨の一部が潰れ、父は相当痛い思いをしました。
しかし、1回整形外科に行っただけで、コルセットと貼り薬の自然治癒で、40日間で治りました。
でも、それからは起こしてあげないと、寝起きが自力で出来なくなりました。

父には目線を下にする神様でも付いていたのでしょうか?(笑)
神様のお陰か?お年寄りによくある、大腿骨骨折などの大きな怪我はありませんでした。

在宅時代はステッキを使って歩ていた父でした。
でも、ステッキなんか使わなくても全然大丈夫でした。
転ばないためにチョンチョンと地面に触れる程度に使っていました。
また、部屋のカーテンを閉める時に重宝していたステッキでした。
要介護度をアップさせるためにも、ステッキの存在は助かりました。
結局、最初から最後まで要介護4のままでしたが…。

特養に入ってから、父はステッキなんか使いませんでした。
なくても歩けたし、使ってもどこかに置き忘れてしまうからでした。
ステッキは部屋の片隅に仕舞い、たまの外出時に使う程度になりました。
認知症が進み過ぎて、ステッキを使うことも忘れてしまったのでした。


今日の花262262
この時期どこでも見かける「ドクダミ(毒痛み)」。臭いし陰気な嫌な花だと思っていましたが、群れを成して咲いているのを見ると、ダークな葉色に白い花がくっきりして見直す程で、かなり美しいです。


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頑張っておられるご家族
2007 / 03 / 23 ( Fri ) 01:10:09

今日、久しぶりに父が居た特養のユニットへ行きました。
懐かしい職員さんや入居者の方々…。
壁に飾った入居者の皆さんのスナップ写真の中に父の写真がまだあって、笑顔のとても良い写真だったので持ち帰って来ました。
今、それを見ながら書いています。

父と同じユニットの方で父より少しお若いSさん(男性81歳)の方の奥様が来ておられ、今日はその方としばらく色々お話をしました。
この特養のデイ家族会の頃から存じ上げている奥様です。
今日はその方のお話です。

父が居た頃はお元気そうに見えたSさんでしたが、父が亡くなってから、Sさんは何度も誤嚥性肺炎で入退院を繰り返されたそうです。
点滴を抜いてしまうので、点滴の時間はベッドで腕などを拘束されていたそうです。
食事の時間以外は殆どベッドで拘束されていたので、退院後は自力で殆ど歩けなくなってしまったそうで、今は殆ど車椅子生活のようです。

誤嚥を起こすので、入院中はご家族が交代で三食とも食事介助に通われたそうです。
現在も特養に昼食とおやつの時間の食事介助に毎日通われているそうで、奥様は午後の時間はずっと特養で付き添っていらっしゃるそうです。
慌てて食べなければ、誤嚥を起こさないまでに回復なさったそうですが、一時は食べられなくなって、背がおありの方ですが、体重が30キロ代にまで落ちたそうです。

食後は車椅子を押してフロア内を散歩させておられるそうで、奥様は毎日のことなので足が痛くなったとおっしゃっていました。
今も午後になると熱が出るので目が離せないそうです。
話もめったにされなくなったけれど、最近また小さい声でなら、少し話をされるようになったそうです。

丁度、昼食の時間だったのでおしゃべりしながら拝見していると、ご自分で普通食を黙々とゆっくり召し上がっておられました。
人に何かやってもらうのが嫌いだそうで、爪切り、散髪、髭剃り、鼻毛切りなど全部拒否されるので困るそうです。
歯も早い段階に総入れ歯になっていれば却って良かったけれど、残っていた歯は治療出来ずにボロボロになってしまわれたそうです。

父の場合もそうでしたが、認知症が進んだ先は健康のこと、医療のことが大きなウエイトを占めて来るようです。

特養に入られてからも、こうしてご家族が頑張っておられる方がまだまだいらっしゃるんですね〜。
私は日中アルバイトがあったせいもあり、この奥様のように毎日半日を特養に詰める程、父に関わってあげられませんでした。
ご家族の皆が皆、そこまで関われるご家庭ばかりではありませんが、よく頑張っておられるな〜と感心しました。
そして、何か力を頂いたような気がしました。
末永く、ご夫婦共にお健やかに、お幸せに…と思いました。
色々な形のご家族があることを改めて知った日でした。


今日の花262262
昨年秋にもご紹介しましたが、我が家の「ウスベニヒゴスミレ(薄紅肥後スミレ)」の満開の姿です。この子達が我が家にやって来て15年程経ち、なくてはならない存在です。最初の一鉢から種でどんどん増えて、一時はこのスミレ達に鉢を占領されそうになった程で、可愛いけれど元気者です。香りがとても良くて、近づいただけで良く香り存在をアピールします。秋にもチラホラ咲いてくれるのも嬉しいです。クレヨンで描いたような赤紫色のぼかしが大変綺麗。五つ星マークのスミレです。
              ウスベニヒゴスミレ     ウスベニヒゴスミレ・アップ
         我が家のウスベニヒゴスミレ  それぞれクリックすると拡大します

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男女の性差による認知症の違い
2007 / 03 / 12 ( Mon ) 02:29:52

[改訂版]
昨日の「タクさんのための特養見学記」に頂いたコメントで以下の内容がありました。
とても気になりましたので引用掲載させて頂きます。

◆あしたがあるささんのコメント
>混乱が激しくなったとき、本来アットホームな空間が、母にとってストレスになりました。
>逆に、病院の様な雰囲気の方が落ち着くのを見て、
>昔ながらの4人部屋の、認知症の人専門の特養を本命に定めています。

◆かめこさんのコメント
>あしたがあるささんのコメント内容は、とても重要かつ重大な話です。
>これは、つやちゃん個人に、合う、合わない、の話ではないと、私は、思います。
>つるちゃんについて言えば、もっと症状が厳しかった頃は特に、
>生活空間には遠い環境の方が、本人にとっては、苦痛が少なく済む様子でした。
>家にいるより、預けた方が本人のためには良いのだろうとさえ考えていました。

かめこさんやあしたがあるささんのお母様について、
生活空間より遠い環境の方がストレスが少ないとのお話。
このことは私にとっては非常に意外でした!!
これについて、かなり気になったので書いてみたいと思います。

女性としての日常的な生活環境が、ストレスを引き起こす要因と受け取りました。
一般的女性の生活そのものがストレスになりうる…そういうことなのでしょうね?
そして、それが認知症への引き金になることもある。
また、すでに認知症になっている場合、認知症を悪化させる要因にもなる。
そのように感じました。

さて、お二人の例から離れますが、
安心出来る場が逆に悪影響を与えることもあるようです。
ということは、最近多い中高年女性の鬱とも関係があるようにも思えます。
女性の鬱と女性の認知症の症状は関係が近いのかもしれません。

グループホームなどは男性よりも女性にとって、過ごしやすい環境と思われています。
女性が主婦として生活してきた環境により近い施設の作りや、
施設での生活内容であったりする訳です。

グループホームの一般的な仕様。
キッチンがあって、家具があって、炊事洗濯が出来る場所。
出来る人にとっては、それらをなるべく続けられる環境であること。
それは認知症の女性がより安心出来る場所で、
穏やかで居られる場所とされてきました。

でも、人によっては、それらが悪影響を与えるかもしれないとのこと。

何らかの影響で不穏状態になった場合、
馴染んだ環境であっても、それが増幅されてしまう。
そういうことなのでしょうか??

これらのことと、女性の認知症の方の一般的な様子からすると、
男性の認知症の場合と随分根っ子にあるものが違うように思われます。

以前から、女性の認知症の方の様子をブログで拝見すると、
父の場合に比べて感情面の表現の仕方がかなり違うと思いました。

父は男性の認知症患者の典型か?それとも異質な部類か?
それは分かりませんが、
女性と男性とでは、
それまでの生活体験から来る感情面の違い、そこから来る症状の違いを感じます。

症状が違えば対応も異なってくる訳です。

この症状の違いについて、もっと突っ込んで考えてみたいと思いますが、
今日はこの辺までで…。


参照↓↓
じいさんと、ばあさん介護の違い

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タクさんとの介護生活を振り返って
2007 / 03 / 02 ( Fri ) 01:26:48

タクさんが亡くなって早4ヶ月が過ぎました。
未だに夢にも出て来てはくれませんが、まぁ、いいでしょう(笑)

認知症のタクさんとの介護生活。
在宅の通い介護で10年。
特養に入居して2年半。

振り返ってみると楽しかったな〜。

それに、あまり大変だったという気がしません。

同居でなく、通いだったし、認知症が進んでからは、デイやショートや、最後は施設にお世話になったし。
一緒に居る時間が限られていたからかな?

大変だと思ったのは、父のことより私自身のことが多かった。
雨や台風の悪天候でも自転車で父の所へ通うのが嫌だな〜と思ったり。
だから、認知症初期の頃は悪天候の時は無理して行かなかったし。
ショートの日まであと何日、なんて思いながら父の面倒を看ていたし。

父の場合、在宅時代で一番大変だと思った事は入浴。
最終的には週7日、毎日のデイ利用になりましたが、入浴だけは自宅で私が一日置きに入れました。
大変というのは、前にも書きましたが、浴室に入ってからのこと。
お湯が熱いの冷たいのと文句を言うので、湯温の調整が上手く出来ない風呂だったので、父に合わせるのが大変だっことなど。

排泄についても、突拍子もない出来事はあまりなかったし。
徘徊も数えられる程度で済んだし。
暴言・暴力と言えるものもなかったし。
妄想も殆どなかったし。

物盗られ妄想。
貯金通帳を私が盗った。財産を狙っている。
私に電話でたびたび言って来たあの頃。
当時は、これが認知症の症状だと知らなかったので物凄く怖かった。
今から13年位前のこと。
それも一時的で済んだし。

デイもショートも嫌がらず、おだてに乗って、その気になって行ってくれたし。
行ったことで悪い影響もなかったし。
医者や病院も嫌がらず一緒に行ったし。
行ってから、色々あっても、全く記憶がないので、後に影響が残ることはなかったし。

でも、病院で「このベッドに横になって」と私が言っても、横になることがどうしたらいいのか分からず超不機嫌になることが多かったけれど。
不機嫌になっても、診察室を出ると、記憶がないからすぐご機嫌になっているし。

認知症の進行はゆっくりだったし。
その代わり、亡くなる最後の1年は、あれよあれよと、全てが低下して行ったけれど。

タクさんも認知症になってからの方が、楽しいことが増えましたね?
残念ながら、何も覚えていないのでしょうけれど。

若い女性に囲まれて、チヤホヤされて、楽しいお話が色々出来ましたね?(笑)
認知症になったお陰で、離れて暮らしていた娘が、毎日通ってくるようになったしね。
娘と一緒のお出掛けが増えたしね。

でも、認知症になったことは、タクさんの生涯設計に全くなかったことで、どんなにか不安で悔しいことだったでしょう。

こうして、過ぎてみると、私はラクな介護法ばかり選んで来ました。
私は介護で落ち込むこともなかったし、悩んだこともなかった気がします。
困ったな〜と思った時は、次の手段を講じ、それが殆ど上手く行きました。

タクさんは手がかからない方だったみたいです。
私以外の人には拒否が強かったみたいでしたが…。
だったら、私が誰なのか、覚えていてくれても良さそうなのに、名前もとっくに忘れちゃうし(笑)

楽しかったよ。
タクさんとの介護生活。
でも、いつまで続く??参ったな〜とも思ったし(笑)
やっぱり、もっともっと、続けたかったな〜。

そのうち、夢にでも出てきて、感想を聞かせてくださいな♪
そして、認知症になって本当はどう思っていたのか?も聞かせて欲しい。


今日の花262262
低い背丈で、もう咲いていました「紫花菜(ムラサキハナナ)」。「花大根」などと呼び方も様々です。こぼれ種でよく育ちます。線路の土手などで、群れて咲くのも今年は早そうです。


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バレンタインの思い出
2007 / 02 / 14 ( Wed ) 07:21:54

◆タクさんの場合
タクさんとのバレンタインの思い出って、何かあったかしら??
通い介護していた頃、何かしらチョコレートをプレゼントしていたと思いますが、あまりはっきり記憶がありません。
バレンタインデーと言っても、大正生まれの父にはピンと来ない。
まして、認知症が進むと分かってもらえません。
認知症初期の頃、「今日はチョコレートを食べる日なのよ♪」と教えた覚えはありました。

タクさんはチョコレートが大好きでした。
タクさんにとってはご馳走です。
昔はチョコレートも貴重なものだったからでしょう。

タクさんのご指定銘柄は森永の「ダーツ」でした。
一口サイズに分かれているので食べやすかったようで、認知症初期・中期の頃、これを買ってくるよう言われました。

ロッテの「コアラのマーチ」も一口サイズのせいか好きでした。
コアラの顔が色々あることを教えると、認知症初期の頃は認識してくれました。

明治の「きのこの山」も好きでした。
やはり一口サイズで、口に入れるとチョコ部分がとろける感じが良かったみたいです。
きのこの柄の部分を持つと手が汚れないことを教えると納得してくれました。
まだ認知症初期・中期の頃です。

ハーシーズの「キッスチョコ」も一口サイズで独特のほろ苦さがお気に入りで、また買ってくるように言われました。
小さくて銀紙に包まれているのに、認知症初期の頃は上手にクルッと剥くことが出来ました。

認知症末期の頃、大好きなチョコは嚥下の状態が良くなくて、あまり食べさせてあげられませんでした。
チョコ味のプリンとか、ムースとか、喉越しの良いものに取って変わってしまいました。
本当は最後まで、もっと食べさせてあげたかったな〜。

チョコレートと共にココアも好きでした。
「コーヒーにする?ココアにする?」と訊ねると、決まって「ココアがいいな〜♪」と。
コーヒーのほろ苦さより、ココアの甘さがお気に入りのタクさんでした。
コーヒーは飲むとき砂糖をスプーン2杯以上入れていました。


◆イズさんの場合
イズさんは認知症ではないので、世間の風潮のバレンタインデーをある程度分かっているようです。
しかし、やはり大正生まれなので、殆ど無関心のようです。
一昨日、イズさんのホームへ行った時、プレゼントのチョコを持って行きました。
でも、いつものお菓子を持っていった程度にしか思っていませんでした。
それを承知で、気は心。
その程度のチョコレートしか持って行きませんでした(苦笑)


バレンタインデーって、女性は何だかんだと楽しみな面がありますが、男性にとっては結構迷惑な日かな??
なんて思っています。
皆さんのバレンタイン、いかがなんでしょうね??

<注>
宣伝ではありませんが、記録の意味で、あえてチョコの会社名と銘柄を書きました。



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