独りぼっちになっちゃった
2007 / 06 / 16 ( Sat ) 10:27:51
認知症中期の頃、私と話している時、父タクさんが時々言っていた言葉。 「お袋さんも親父も居なくなっちゃって、独りぼっちになっちゃった…」 「親父さんは、お父さんが子供の頃、早く亡くなったじゃないの」 私はそんな風に答えていました。 父と同じ特養のユニットに居た方も、同じ事をおっしゃっていました。 認知症になると、こんなやり取りが必ずあるようです。 人間、最後に気になる人は自分の親なのでしょうね。 ランキングに応援のクリックをお願いします↓↓ 人気blogランキングへ http://blog.with2.net/link.php?323044 ブログ村介護ブログランキングへ http://care.blogmura.com/in/067042.html |
父の叫び
2007 / 05 / 20 ( Sun ) 12:09:03
父が居たグループホームのことを書いているところですが、少し違う話題を…。 昨年10月末に父タクさんは亡くなりましたが、亡くなる年、父が衰えて行く中で叫んでいた忘れられない言葉があります。 2006年夏の初め頃、多分6月頃のことです。 自分でスプーンですくって食べることも何とか出来ましたが、上手くすくえず、また、口に上手く運べずこぼしてしまうことが多く、私がすくって口に運ばないと食事が進みませんでした。 「ゴックンしてね。ゴックン出来ないの?」 「○○(自分の名前)という人間はな〜!今はこんなんだけれど、本当は凄い奴だったんだぞーー!!」 周りの皆に訴えるように、周囲を見渡しながら言いました。 食べることが上手く出来なくなって、飲み込むことすら上手く出来ない。 この頃の父は意思疎通がある話しではあまりなかったけれど、私が話しかけると色々取り止めのない話を延々とすることが出来ました。 ランキングに応援のクリックをお願いします↓↓ 人気blogランキングへ http://blog.with2.net/link.php?323044 ブログ村介護ブログランキングへ http://care.blogmura.com/in/067042.html |
昭和の良き日を思わせるタクさん語録 その2【認知症中期】
2007 / 02 / 12 ( Mon ) 08:36:49
昨日の、昭和30〜40年代(昭和の良き日)に由来するタクさん語録の続きです。
それが、認知症中期の頃、やはりデイによく通っていた頃、今から4年位前、
あの頃(昭和40年代)、「ドリフの全員集合」などをTVで一緒に観ていました。
最近「ALWAYS 三丁目の夕日」とか、「東京タワー」とか、 実は私は東京タワーが半分まで出来かかっているのを見た記憶もあったり、 ランキングに応援のクリックをお願いします↓↓ 人気blogランキングへ http://blog.with2.net/link.php?323044 ブログ村介護ブログランキングへ http://care.blogmura.com/in/067042.html |
昭和の良き日を思わせるタクさん語録 その1【認知症中期】
2007 / 02 / 11 ( Sun ) 07:36:41
昨日の「タクさんの脅し文句」の「もんずーが来るぞ!」は「タクさん語録」に入れても良いような言葉でした。 タクさんにとって昭和30〜40年代とは、人生の充実期とも言える30歳代から40歳代の頃で、日本の高度成長期の頃でした。 この昭和30〜40年代に関するタクさんの言葉には、なかなか面白いものがあります。 この時期(昭和30〜40年代)に由来するタクさん語録と言えば、思いつくままにこんなのも有ります。
小松政夫のフレーズで「知らない、知らない」があったので、 ネットで調べたのですが、結局誰が言っていたのか、 体を左右に振りながら、ダダをこねるように まず、義父のイズさんは、こんな言葉と動作はしません。 厳格で几帳面な父でしたが、こういう面が認知症になってからも多分にありました。 余談ですが、薬を飲ませる時に口を開けて粉薬を舌に乗せる時にも、 まだあるのですが、長くなるので次回に続きます。 ランキングに応援のクリックをお願いします↓↓ 人気blogランキングへ http://blog.with2.net/link.php?323044 ブログ村介護ブログランキングへ http://care.blogmura.com/in/067042.html |
暴言?暴力?のタクさん【認知症初期〜中期】
2007 / 01 / 12 ( Fri ) 06:44:36
前回書いた「イズさんの避難(非難?)訓練」で、タクさんの関連したことを思い出しました。 タクさんは気持ちの上で「放火魔」でした。 タクさんの場合は認知症中期の頃、冗談とも本気ともつかない感じで 認知症になって不安で様々な思いでいっぱいの自分の気持ちと戦っていたのかもしれません。 「ぶった切ってやる!!」もよく言いました。 認知症になってからも、タクさんは昔から持っていた木刀をすぐ取れる所に置いていました。 その証拠に、2年半前の夏(2004年)、特養でのスイカ割りでは、何度叩いても割れませんでした(悲) また、タクさんの場合、放火魔の反面、双眼鏡で火の見やぐらに登った気分で「遠くを見守り」していました。 他にも、NHKTVをいつもつけていたため、国会中継になると、 認知症初期の頃、「バカになっちゃったから…」と冗談みたいに笑いながら言っていました。 ずっと後になって、「認知症の人は自分でも変になってしまったことを実感している」と言うことを知り、青ざめました。 「バカだから」などを笑って連発して、その反面、 「お父さんはね(自分のこと)、女性には優しいのよ〜♪」(女性言葉風に)と、これもある時期連発。 ということで、またまた「タクさんモード」になってまいりました。
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タクさん語録 その3
2006 / 08 / 05 ( Sat ) 03:12:47
[認知症初期・中期] 父と二人でよく歯医者に通いました。 店のトイレの場所も間違えず、一人で行くことがまだ出来ました。 喫茶の後は、同じ通りにある輸入タバコやパイプなどを置いているタバコショップへ行きました。 一応紳士っぽく、格好良く買物をするのですが、金銭支払いは出来なくなっていました。 そのうち、パイプを壊すことが増え、私も刻みタバコを買い忘れたふりをして、 父とよくF病院にも通いました。 「あんなハゲ頭は嫌だな〜♪俺はハゲてないからな〜!」 元々髪が多く白髪の父でしたが、さすがに今は後頭部が薄くなりました。 「あれは男か女か??」 今は、あまりに小さい声なので、聞き取るのが大変です。 F病院のセルフサービスの食堂で、トレイに乗せた定食を 今ではスプーンでこぼさず口に入れることさえ、上手く出来なくなりました。
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父の感謝の言葉
2006 / 07 / 26 ( Wed ) 21:18:04
特養のタクさんの夕食介助に行き、さっき帰ってきたところ。 今週の金曜に、一日掛かりでS病院の口腔歯科へ父を連れて行く段取りの打ち合わせをナースとする。 ホームの園長さんがユニットに回ってきて、私が先日のシンポジウム「ユニットケアの明日」に参加したことのお礼をおっしゃる。 今日の父、夕食前によく話をした。 今日も食事は食べる気がない。 それでも、さじにすくって持たせて、なるべく自分で食べてもらうようにする。 せっかく口に入っても、いつまでもモグモグしている。 食事は歯がないのと、飲み込みが悪いので「きざみ・とろみ食」。 食べるとよくむせる。 今日もそれを何回か繰り返していたら、急に正気の顔になり、 「今までね、色々と心配して頂いて、有難うございました」 思わず泣きたくなってしまった。グッとこらえ、こんなことで泣いちゃいけない。 何かあったら父はもう持たない、老衰へ一歩一歩近づいている。 お父さん、そんなこと言わないで!もっと元気で生きていて欲しい! 父はそのうち半分程度食べたところで眠ってしまい、あとは職員さんにお任せして帰宅した。
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タクさん語録 その2
2006 / 07 / 21 ( Fri ) 13:24:33
7/18(火)、シンポジウムの後、タクさんの特養へ行き、話しているうちに出た言葉です。 「いいとこに行きたい」←どこだろう?まさか天国?(^-^;; ちなみに、父の言葉はいつも主語がなく、何の話をしているのか意味不明。 この日、4月に入った新人の職員さんが、「こんな私にタクさんが励ましてくれたんですよ。嬉しくて…(^-^)」と、ちょっと涙目で話してくれました。若いのに、とてもよくやって下さる明るい方です。 3年位前、デイに行く時はいつも、もっと絶好調!!でした。
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タクさん語録 その1
2006 / 07 / 16 ( Sun ) 14:30:21
機嫌が良かった本日(7/15)の特養のタクさん 「周りの者がちゃんとやっておかないと…」 「婆さん」以外は、なんだか身に沁みる言葉ばかりです。 【注】「野郎ども」「あの連中」 |
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2008 / 10 / 07 ( Tue ) 00:08:41



