父の視力検査【認知症中期後半】
2007 / 06 / 23 ( Sat ) 23:24:25

前回書いたように、父タクさんの白内障は特にひどい程ではありませんでした。
でも、メガネの度が合わなくなっていたこともあって、新しいメガネを作り父の誕生日のプレゼントにすることにしました。
そのため、待合室が広々として父の気に入っている眼科で視力検査を2回位しました。
2003年のことでした。

この頃、認知症発症10年。私が判断する尺度では認知症中期の後半。
文字は書かなくなったけれど、ある程度読む事は出来ました。
視力検査は一般によくある、何メートルか離れた位置で示されたひらがなや形などを片目ずつ読むやり方のです。
仮メガネのレンズをとっかえひっかえ、何度も同じ文字を読んでもらいました。

「えっ?!何だか分からない!!」
「見えるよ!!(穴が空いている向きは)上だ!!」
「なんだよー!!何言ってるんだ!!これか??これでいいのか??」
「どれを見るんだ?!」
そんな調子で、かなり父はイライラしながらも、一生懸命答えていました。
時々、父に分かりやすく説明しながら傍で見ている私は、父の怒りがいつ爆発するか?爆発寸前でハラハラ・ドキドキ!!

検査の看護士さんには父が認知症であることは伝えてありました。
視力検査をする看護士さんも、父の感情的な言葉を受け止めながら大変だったと思います。
手こずりながらも、父の怒りが爆発するまでには至らず、視力検査の長く感じる時間は終わりました。
視力検査が終わると父はまたいつものように穏やかになって、「この病院は広くていいな〜」と満足そうでした。

この1年後、特養に入所することになるのですが、その時には、もうこの手の視力検査は出来る状態ではありませんでした。
視力検査で離れた文字を読んだり、輪っかの空いている部分が上だとか下だとか、そんなことを確認することは父にはもう無理でした。

そして、誕生日プレゼントとして父と一緒に専門店で選んだかなり高価なメガネを新調したのでした。
ところが、使い出してわずか10日程で、自宅で失くしてしまいました。

父がいつも使っている引き出しなど、思いつく所は全部探しましたがゴチャゴチャしていて見つかりません。
失くしたことが分かった日は、私が父の家に行かなかった日曜日だったせいもあり、見失った時の状況もよく分からないので、自宅でなくしたのに見つからないという悲惨な結果になって今日に至っています。
物を失くすのは認知症にありがちなことですが、今回は本当に残念でした。

それまで使っていたメガネは度が合わなくなっただけでなく、具合も悪くなっていたので、その後、父にメガネをかけることを諦めさました。
今までも、メガネを何度も家の中で失くすことがあったし(たいていすぐ見つかった)、もう懲りました。
念のため、100円ショップのメガネを用意いておきました。
デイに出る時に「メガネは?」と聞く時がありましたが、適当にごまかすと、その後はあまりメガネのことを言わなくなりました。
メガネがなくても、あまり生活上困ったことはありませんでした。
ただ、よく目をこすることは多く、結膜炎になりがちでしたが…。

あれだけ面倒な視力検査をして高価なメガネを買ったのに、10日で、しかも自宅で失くして見つからないなんて…。

その後、メガネをかけなくなった父は、眉が下がった優しい表情のお爺さん顔になりました。
それ以前のメガネをかけた父は、ちょっと取っ付き難い冷たい感じの爺さん顔でした。


今日の花262262
道路沿いなどの植え込みに、可愛い花が咲いています。長く枝垂れて伸びた枝に白い(ピンクもある)小さな釣鐘型の花が沢山ついていて、葉っぱに光沢があります。秋遅くまで咲くこの花の名前は「アベリア」でした。別名「花園衝羽根空木(はなぞのつくばねうつぎ)。丈夫な木なので植え込みに使われるのでしょう。


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眼科通いの頃
2007 / 06 / 20 ( Wed ) 18:45:46

父タクさんと眼科通いをしていたのは、主に今から4年前の2003年頃でした。

よく結膜炎になったのです。
というのは、物が見難くなったので、よく目をこするので、すぐ目が真っ赤になってしまうのでした。
物が見難くなったのは、老人の殆どがなると言われる白内障のせいでした。
でも、年相応の白内障なので、定期的に眼科検診をすれば良いと眼科医に言われていました。

父には目をこすらないように言っても、すぐこすって目を赤くしました。
「よく見えないんだよ」と。
この頃、日常はメガネを掛けていましたが、昔作ったメガネだったので度が合わなくなっていたようです。

点眼、つまり目に何かをされるなんて、危なくて怖くて、父にとっては人のすることが信じられないので最も嫌いなことでした。
この頃、目薬とは何かは分かっていたようです。
でも、目薬をして結膜炎を治そうという気持ちは全然ありませんでした。

認知症になってしまうと、病気を積極的に治そうという気持ちは、殆ど失せてしまうようです。
嫌なことを我慢して病気を治すことよりも、今、たった今を、気持ちよく生活することの方が大事に感じるようです。

結膜炎程度でしたから、1週間ぐらいするとなんとなく治るので大したことはありませんでしたが、父も嫌なら私も面倒でした。

この頃、デイに週5日通っていた頃で、デイに点眼薬を持たせましたが、父は点眼が大嫌いで、成功することが少なかったようでした。
私がする点眼も結構嫌がりました。
前もって目薬をすることを言うと、構えて用心し拒絶するので、「ちょっと上向いてね〜」と言ったすきにササッと点眼してしまうのがコツでしたが、なかなか上手くいきませんでした。

点眼だけでなく、多くの事柄について、父が嫌なことは前もって予告せず突然行う。
父が嫌なことは、ササッとあっさりとやり過ごす。
これが父にとって、気持ちよく生活してもらうコツでした。

眼科の看護士さんは、このササッと点眼するのがとても上手でした。

この眼科は駅前のビルの1フロアで、待合室が大変広く、
「ここは広くていいな〜」と、父お気に入りの眼科でした。

ここで父が必ず寄るトイレも広くて助かりました。
しかしこの男子用トイレ、広くて良いのですが、父にとっては使い方が分からず困りました。

この頃、認知症中期の後期。
父は立ったまま使う男子用トイレを理解出来なくなっていました。
形にもよるのかもしれませんが、「ここでしていいのよ〜」と傍で使い方を説明しても意味不明に思えていたようでした。
便器で手を洗おうとしたりします。
最後には、使い方が理解できず怒ってしまうこともありました。
日常的に使う、通常の洋式トイレに慣れていたせいでしょう。
しかし、この洋式トイレですら、使い方が分からないことがよくありました。

そんなことをしている間に、男性が入ってきてトイレを使用していきました。
私が女性だったから、男子用トイレに父と居ても、何とか許されていたのでしょう。
これが逆だと、どうなのでしょうね??

デイに週5日通っていたので、眼科通院はデイのない唯一の日の月曜に通いました。
眼科だけでなく、内科など、通院関係は父のスケジュールの合間をぬって行いました。
雨の日だったりすると悲惨です。
かなり大きめの傘に父と相合傘をして移動しました。
ゆっくり目の歩き方でしたが、それでも歩いてくれる父だったので助かりました。

眼科の思い出はまだありますが、次回に。


今日の花262262
空梅雨で蒸し暑い毎日です。「夾竹桃(きょうちくとう)」が咲いているのを見かけます。これが咲くと夏だな〜としみじみ感じます。


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