また介護疲れの犠牲者が…
2006 / 08 / 13 ( Sun ) 16:08:37

また、重い内容になってしまいました。
昨日、8/12(土)の新聞に前橋での介護疲れ?の父と息子の死亡記事が載っていました。

2年前から脳梗塞で寝たきりになった父親(80歳代)を息子(50歳代)が一人で介護。
電話連絡が取れなくなった息子の妹が家を訪ねてみたら、父親は布団の中で亡くなり、息子は首を吊って亡くなっていた。
数日前に、「介護に疲れた」と兄から妹に電話があったそうです。

最近では、哀しいことにこのような記事が珍しくなくなっています。
そのケースの殆どは「息子」が親を一人で介護するケースです。
男性が一人で親を介護するのは、経済的にも環境的、心情的にもいかに難しいかということでしょう。

最近では京都での息子と母親の介護殺人の裁判が話題になりました。
京都の場合もそうですが、追い詰められていく状況等、大変痛ましく、情状酌量の部分が大きいのはもっともだと思います。

しかし、どのケースを見ても、事情は色々あると思いますが、介護にあたった息子が行政や介護保険等について、もっと積極的な知識や働きかけがあれば、ここまで切羽詰ったことにならなかったのではないかと悔やまれます。

私の父タクさんの場合も、父と息子(私の弟)の二人暮しでしたので、私の関与がなかったら弟の性格上、父子介護殺人に至ったかもしれません。

私の父の場合は、以前語りましたが(参照→ボケたタクさんの元へ通い始めた頃)、父と弟だけにしておけないと判断し、同居は出来ない事情があり、遠くに住む二人を近くに引越しさせて、そこに私が日中通って介護する方法を取りました。
通い介護は良い点も悪い点もあります。
特に認知症が進むと通い介護は厳しいものでした。

父の認知症が進むに従って通い介護が大変になってきたこともあり、私は介護保険について知識を積極的に得ました。
それを上手く利用して、介護する負担をなるべく減らすことを考えました。
介護者が心身共に健康でなければ介護は務まりません。
家族で出来ること出来ないことを判断し、無理な部分は行政や介護保険の力を借りて在宅介護を続けました。
私の父の場合は介護保険単位数をオーバーする程にまで利用しましたが、経済的部分は何とかなったのでやってこられました。

もし、経済的な部分が困窮していたら…。
いくら行政や介護保険の知識があっても、介護者の負担を軽くし、被介護者の状態を考えた介護など出来なかったでしょう。
やっぱり世の中は金…なんですね(^-^;;

先程申し上げたように、介護する人は介護の心、知識、判断、そして行政や介護保険を積極的に知って利用することが肝心です。
それと共に「経済的理由でそれらの利用が困難な人のための手段を改めて見直すこと」も、超高齢化社会の現在は必要ではないかと思います。
それが介護殺人を減らすための一つの策だとも思います。


今日の花262262
10年程前から夏になるとどこでもよく見かけるようになった花「ルドベキア」。小型ヒマワリと菊の中間的な形。丈夫なせいか群れをなして沢山咲いています。暑い夏を謳歌しているようです。

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外国人福祉士容認について
2006 / 07 / 31 ( Mon ) 00:34:32

7/29(土)Y新聞一面トップ記事に、本年度中に社会福祉士・介護福祉士の外国人労働者容認の規制改革がほぼ決まることが載っていました。
少子高齢化対応策で、この分野の人手不足を補うためだそうです。

以前TVで、看護士やヘルパー研修に取り組む外国人(アジア人)のドキュメンタリーを観たことがありました。
言葉や習慣の壁を努力で乗り越え、被看護者・被介護者に日本人よりも親切で良いと喜ばれている報道でした。

人手不足を外国人で補おうという姿勢は、問題の根本を履き違えているように思います。
外国人の中には努力でそれを補い、良い仕事をする人もいると思います。
しかし、その前になぜ看護・介護職が人手不足になるのか、根本を見つめ直して欲しいです。

看護も介護も人の命に深く関わっている重みのある仕事なのに、労働内容の割には低賃金の現実。
労働内容や賃金の見直しがもっと進められなければ、人材離れは益々進むでしょう。
それを低賃金でも働いて貰える外国人労働者にすり替えることで人材確保しようと考えるなんて!!
これでは今後日本人労働力の確保と労働条件改善の見込みはなく、見切りをつけたと言うに等しいのではないでしょうか。

生命や生活に深く関わる仕事であり、更に高齢者や弱者が主な対象である仕事であるから、優しさだけでなく、日本の生活習慣をよく理解し、微妙な言葉のニュアンスがスムーズでないと良い看護や介護は難しいのではないでしょうか?
私は二人の父を介護して、世代間で異なる生活観やちょっとした言葉のやり取りが、同じ日本人でも難しく思うことをしばしば体験しています。

私は政党や宗教に偏っている訳ではありませんし、良い対策案を持ってる訳でもありませんが、外国人を考える前に、まず日本人の良い人材を良い労働条件で確保する対策が先決ではないかと思います。
介護保険制度の歪みがここにも現れているように思います。


今日の花262262
つる状に伸びた枝先に薄紫や白の茄子に似た花を付け、あるお宅の垣根をシックに彩っていました。まだまだ秋まで咲き続ける「ヤマホロシ」です。名前の言われは何でしょうか?

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家族の本音
2006 / 07 / 23 ( Sun ) 18:44:12

重い話題が続いてしまいますが、イズさんの要介護判定のことがらみで「家族の本音」について、自分の気持ちを整理してみました。

介護保険を利用するにあたり、介護度を基準とした振り分けがなされますが、これが問題点の一つだと思います。
要介護の度合いは個人差や環境もあり、簡単には計りきれないもので、以前から判定の基準に問題ありと言われ、多少の改定がなされてきました。
基準で振り分けた介護度の介護サービスの内容に「要介護者本人の生活理念」や「介護者(多くは家族)の生活理念」が相違する場合、介護認定の時「演技」する必要が出てくる、つまり「介護度を重く計ってもらいたい」要求が出てくるのだと思います。

その理由として、重い介護度の方が介護サービスの選択肢や利用枠が広がる。
軽い介護度の人は介護サービスをあまり必要としないと行政側が判断し、または介護保険の最近の実情として、必要とされては困るから、介護サービスの選択肢や利用枠を限定する。
このような現実があるからで、介護度の振り分けによって生活も変わってくるからです。

私の義父イズさんのように介護度の軽い人は施設でなく子供と同居で在宅生活をしつつ、介護サービスを利用すれば良いのでしょうけれど、在宅生活出来ない家庭の都合もある訳です。
その都合とは千差万別で、「人それぞれの生き方」を介護度の度合いで判別しようとするから、判定時に「演技」する必要が出てくるのですよね。

今まで両父を看ながら、在宅としての介護サービスの利用、各種施設の利用等、色々と検討し模索しつつやって参りました。
特養にいる父に関しては、在宅時代、介護保険の利用限度枠を超えても父や家族の「生活理念」のため出来るだけのことはやって参りました。

また、義父の場合は在宅が無理なら「要支援」でも入居出来る「ケアハウス」はどうか?とか、「有料老人ホーム」はどうか?とか、
様々な手段を考えましたが、施設の内容が合わない、思うような施設が足りないなど、思うようには行きません。介護度の振り分けに合わせて生活理念を変えたくはありません。

要介護または要支援になってからの「人それぞれの生き方」は現在の所、余程お金がある人は別として、行政が決めた「生き方」に合わせるしかないのが実情だと思いました。
そんなのってない!そんなの変!何とかならないのか?!
それが「私の本音」です。
介護保険制度は人の「生き方」を介護度の振り分けで決めてしまう、と言ってもオーバーではないと思いました。

今後、益々高齢化社会となり、要介護・要支援のお年寄り(状態によっては若年も含めて)が増えることが分かっているのですから、介護福祉関係の対策について、今のままでは良くない。誰もが安心して老後が送れるような世の中になって欲しいです。


今日の花262262
我が家の「キキョウ」が今年はなかなか咲かなくて、やっと明日朝咲きそうで、ぷっくら風船のようなつぼみを膨らませています。例年なら6月頃から咲いているのに、日照不足のせいかしら?

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