二人の父の10大ニュース
2006 / 12 / 31 ( Sun ) 01:02:05

私から見た二人の父の10大ニュース2006です。
ニュースとは言えませんが、印象的な出来事を取り上げ振り返ってみました。


タクさんの巻

 1. 10月26日に85歳で肺炎で亡くなる
 2. 誤嚥性肺炎で1ヶ月入院する(8月〜9月)
 3. 誤嚥性肺炎で1ヶ月寝たきりだったのに、退院後歩けた!!(10月)
 4. 誤嚥性肺炎でミキサー食と食事介助、良く食べた!!(8月〜10月)
 5. 誤嚥性肺炎で夜中緊急に病院へ行くが朝戻る(8月)
 6. 食事をよく食べられるように16本抜歯した(7月)
 7. 特養の職員さんと共に最後の行楽、昭和記念公園に行った(5月)
 8. きざみ・とろみ食を食べるのに時間がかかり、介助が大変だった(1月〜8月)
 9. 特養の音楽会にイズさんと共に参加した(2月)
10. なぜか体重がどんどん減少した(年間通して)

楽しいことも実際はあったのですが、ここに上げてみると楽しいことは少なくなってしまいました。
今年がタクさんにとって、こんな年になってしまうとは…残念です。
もうタクさんは亡くなってしまいましたが、このブログの中では今後も生き続けてもらいましょう。


イズさんの巻

 1. 1年半居た老健から有料老人ホームへ移った(12月)
 2. 初めて要介護1から要支援2になり、老健に居られなくなった(10月)
 3. 今年は1度も入院しないで済んだ
 4. 老健での夏祭りが楽しかった(7月)
 5. 老健でのカラオケ大会で賞を貰った(3月)
 6. 老健を移ることになり健康診断を受ける(3月)
 7. 初めて老健で陶芸をやり器を作った(5月)
 8. 老健で花見に行った(4月)
 9. 減塩食のため体重がどんどん減った(年間通して)
10. 入れ歯が壊れたが、運良く数日で治った(6月)

イズさんは今年はとても健康的に過ごせました。
前年の入院ばかりの日々に比べると、楽しい出来事がとても多かったと思います。
老健で1年半過ごしたお陰で、体調が大変良くなりました。


今年の7月から始めたこんな爺さん二人のブログですが、見に来て下さってありがとうございます。
少しずつ訪れる方が増えてきていることに、とても感謝しています。
来年もどうぞ宜しくお願いいたします。
皆様、どうぞ良いお年をお迎え下さい。


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タクさんの好きな歌 その3 歌謡曲編【認知症中期】
2006 / 12 / 30 ( Sat ) 07:57:27

いよいよ今年も押し詰まって参りました。
我が家の場合はタクさんが亡くなったので例年通りの年末、お正月とはちょっと違いますが、それでも何かと気忙しくなりました。

年末といえば、NHK紅白歌合戦。
タクさんは紅白観覧に当選して母と共に観に行ったことがありました。
いつだったかな?昭和54、5年のことだったと思います。
映るかどうかTVの画面をじっと観ていたら、会場の席にらしき二人の姿が映っていました。

今日はタクさんが好きだった歌謡曲を書いてみます。

「お父さんは歌手で誰が好きなの?」小学生の頃父に聞くと、
「東海林太郎!!」と、父は嬉しそうに即答しました。
「えーっ!あんなの嫌だぁ。まっすぐ立って、頭ボサボサだし」
「いいじゃないか!直立不動で男らしくて!!」と父。

直立不動で燕尾服、髪はくせっ毛でボサボサ気味、丸眼鏡を掛け、口をはっきり大きく開けて歌う東海林太郎。
泣くなよしよし ねんねしな〜♪の「赤城の子守唄」。
橇(そり)の鈴さえ 寂しく響く〜♪の「国境の町」。
最近になって私も良さが分かってきました。

他にも霧島昇の「旅の夜風」(「愛染かつら」主題歌)、花もあらしも ふみこえて〜♪と父は認知症になってからも歌ってくれました。
この曲は、父が居た特養で上手に歌っていた入居者の方がおられました。

熱海の海岸 散歩する 貫一お宮の 二人連れ〜♪の「金色夜叉」。
昔恋しい 銀座の柳〜♪の「東京行進曲」は、一生懸命歌詞を思い出しながら、今から3〜4年前に歌ってくれました。

父は歌わなかったけれど、私が歌集を見て歌うと喜んでくれた曲として、「東京ラプソディ」。
赤いリンゴに唇よせて〜♪の「リンゴの歌」。
つい先日亡くなった青島幸男作詞、植木等、歌の「スーダラ節」は私が歌うと父は大喜び。
父が働き盛りの頃の曲です。
  
楽しく歌えて元気になれる「銀座カンカン娘」や「月がとっても青いから」。
もしもしベンチでささやく お二人さん〜♪の「若いお巡りさん」。
下手な私が上手そうに歌ったら大ウケだった「王将」。

他にも渡辺はま子とか、五月みどりなども好きでした。

父はお風呂に入ってご機嫌が良いと、ババンババンバンバン〜♪と「いい湯だな」を私と掛け合いで歌いました。
父に平穏無事に入浴してもらうために、「いい湯だな」を歌いながら汗だくになって入浴介助をしました。

父が知っている曲は昭和30年代位で止まってしまっていますが、この頃は戦後の日本が復興して高度成長時代の良い時代だった頃です。
父は生まれて数年で関東大震災を経験し、若き良き時代を戦争で過ごし、高度成長の日本を支え、大正、昭和、平成と生きてきました。
父の好きだった曲は、日本の時代の変遷と共にあったことをつくづく感じます。

「俺たち二人、歌上手いもんだな〜♪一緒に歌って金儲けしようか?!」と言っていた4年程前の父。
父とおしゃべりしながら一緒に歌うことで、楽しい思い出が沢山出来ました。
父が認知症にならなかったら、一緒に楽しく歌うことはなかったかもしれません。

<追記>
ソーダー村の村長さんが ソーダ飲んで死んだそうだ
そうだ 葬式饅頭 くれたそうだ

そんな歌を父はたまに歌っていました。
今から3年程前です。
子供の歌遊びみたいな歌だと思いますが、父が歌う以前に私もどこかで聞いた覚えがあります。
この歌ご存知の方、いらっしゃいますか?


参照↓↓
認知症になって好きになったこと、「歌」 (認知症中期のタクさん その21)


今日の実261261
花が少ない季節ですが、街を歩いているとたわわに生った「蜜柑」類の木々が目立ちます。お正月、こたつ、と言えばやはり蜜柑がつきものですね。


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認知症中期のタクさん【好きな歌】 TB:0 CM:5 admin page top↑
タクさんの好きな歌 その2 軍歌編【認知症中期】
2006 / 12 / 29 ( Fri ) 02:31:23

 父が持っていた軍歌集「雄叫(おたけび)」は、仕官学校の歌集なので、
様々な軍歌が載っています。
昭和35年12月発行、財団法人偕行社事務局発行の非売品となっていて文庫本サイズ。
これを私はよく使わせてもらいました。
紙は黄ばんでボロボロですが、父が大事にしていた歌集です。

以前に書きましたが、父は大東亜戦争で中国内陸部へ出征しました。
父の場合、青春イコール軍隊なので、青春の思い出として軍歌があるようでした。

映画「三丁目の夕日」のワンシーンで、
「戦争も行ったことないくせに…」と堤真一が言う場面が印象的でした。
父も同じことをよく言っていたからです。
戦争に行ったことで箔がついた?昭和30年代でした。

父と一緒に軍歌を歌っていると、たまに戦争を思い出して
「よく生きて帰ってこれたと思う…」と言って涙を流すことがありました。
「戦争の時や軍隊では、そんな甘っちょろいもんじゃないんだぞ!!」と、
いつも勇ましく話して聞かせていた父だったのに、
認知症になってからは涙もろくなっていました。

この歌集の中に「仰げば巍々たる」(ああ玉杯の譜)という曲が載っています。

仰げば巍々たる市ヶ谷の 九重深き雲の上
玉葉の御身いや高く 北白川の水清く
久邇の光の浮かぶなる 誉れは高し我が武窓

国のためには北海の 雪踏み分けん旭川
玄海波は荒くとも 要塞まもらん対馬沖
風吹く夜半に村松の 月下に磨かん我が剣 

これは一番と三番なのですが、こんな調子で九番まであります。
今から4年前に父はこの歌の一番と三番を歌集を見ずに、
思い出しながら歌い、私に教えてくれました。
何度も歌った曲ですが、TVの懐メロなどでは全然聴くことのない曲でした。

この歌集の支那事変・大東亜戦争の項目に載っている曲で、
父よ貴方は強かった」や、勝って来るぞと勇ましく〜♪の「露営の歌」。
若い血潮の予科練の〜♪で始まる「若鷲の歌」(予科練の歌)。
さらばラバウルよ、また来るまでは〜♪の「ラバウル小唄」。
今日も暮れゆく異国の丘に〜♪の「異国の丘」。
あ〜あ、あの顔で、あの声で〜♪の「暁に祈る」など父と一緒によく歌いました。

金鵄かがやく日本の〜♪と昭和15年2月11日に紀元2600年(紀元節)を迎え、
それを歌った「紀元二千六百年」。
この歌は、昭和30年代に小学生だった私達子供達が、ゴム飛び遊びの時に
この歌を歌いながら遊んだ思い出があります。
昭和30年代は、まだ戦争の面影を引きずっていました。

TVアニメ「巨人の星」(昭和40年代)のテーソングは殆ど軍歌と同じ調子ですよね。
なので父に「これ知ってる?」と歌って聞かせました。
「思い込んだら試練の道を 行くが男の ど根性〜♪」
「いい曲でしょ??」と言うと、
「うん!なかなかいい曲だな!」と。
軍歌好きの父、一押しの曲です(笑)

そして、やっぱり父は「同期の桜」。
デイに行く時、送迎車が来る場所まで、
この曲に合わせて二人で腕を組んで行進して行きました。
「貴様と俺とは 同期の桜〜♪」と、元気が出るんですよね、この曲は!!


参照↓↓
認知症になって好きになったこと、「歌」 (認知症中期のタクさん その21)


今日の花262262
市内の日当たりの良い植林にある大きな「柊南天(ヒイラギナンテン)」。黄色い花のつぼみがたわわについていて、ちらほら咲き出しています。こんなに立派に育っている柊南天は他に見たことがありません。
 

    柊南天の花3     柊南天の花     柊南天

    
大きく育ち、沢山つぼみがついた「柊南天(ヒイラギナンテン)」 
 

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認知症中期のタクさん【好きな歌】 TB:0 CM:3 admin page top↑
タクさんの好きな歌 その1 童謡編【認知症中期】
2006 / 12 / 28 ( Thu ) 02:20:05

父は認知症以前にはそんなに歌を歌いませんでした。
父は自称音痴と言っていましたし、私が小学生の頃、父がたまに歌うと私達家族が「下手だな〜!!」なんて冷やかしたせいだと思います。
あの頃は父に悪いことしちゃったな。

ところが、デイサービスに通うようになって、デイでよく歌い、家に帰ってからも大きい声でとてもよく歌うようになりました。
頻繁に歌うのでどんどん上手になりました。
一緒に飽きるまでよく歌い続けました。
最もよく歌っていた時期は今から4年前の2002年です。
何度も録音しようと思ったのに、とうとう出来ずに残念です。
歌のエピソードについては以前にも書いたので重複するかと思いますが。

今回はタクさんが好んで歌っていた曲を思い出してリストアップしてみます。
デイでもらった歌詞のプリントや、父が持っていた古い歌集を見ながら一緒に歌いました。

なんたって十八番は、貴様と俺とは〜♪の「同期の桜」。
特養でもタクさんといえば「同期の桜」と知られていました。

次にお得意なのは、踊り踊るなら〜♪「東京音頭」。手拍子しながら、なかなか楽しく歌いました。
月が出た出た〜♪の「炭坑節」。
ふるさとの曲、甲斐の山々〜♪の「武田節」。
民謡&盆踊り系は特に好きでした。
ちょっとしんみりした酒は飲め飲め〜♪の「黒田節」、そして「荒城の月」も。

今日は主に童謡や小学唱歌の曲を取り上げてみました。

大きな声で元気良く歌う「我は海の子」。
意外にも「月の砂漠」のようなセンチメンタルな曲も歌いました。

めだかの学校」「どんぐりころころ」「おさるの籠屋」「七つの子」「里の秋
今は山中今は浜〜♪の「汽車」、汽車汽車シュッポシュッポの「汽車ポッポ
春よこい」「カラスの赤ちゃん」「かたつむり」「こいのぼり」「りんごのひとりごと
証城寺の狸囃子」「うさぎとかめ」「靴が鳴る」「カモメの水兵さん
お山の杉の子」「春が来た」「村祭り」「通りゃんせ」「ずいずいずっころばし
夕焼け小焼け」「お正月」他にも沢山。

逆に歌は知っているのに歌詞を知らず、過去にあまり歌ったことがないらしい曲として「ふるさと」。
兎追いしかの山〜♪と誰でも知っているのに、父は歌詞を覚えていませんでした。
私は大好きなので何度も歌い父に「良い曲だね〜」といつも言うと頷いていました。

どうやら小学唱歌は学校時代真面目に歌ったことがないらしく、だから歌詞を覚えていないようなのです。
春のうららの隅田川〜♪の「」も歌詞を元々覚えていなかったようです。
小学校の時、歌の成績が良くなかったと言っていましたので、真面目にやらなかったのでしょう。

青い山脈」は知っているけれど歌詞を覚えてない曲の一つで、父はいつも「チャンチャンチャン〜♪」で歌っていました。

童謡でも父にとっては新しい方の曲「犬のおまわりさん」などは、私がいつも「ワンワンワワーーン♪」と歌うので、喜んで聞いてくれました。
おもちゃのチャチャチャ」は「チャチャチャ」に合わせて手拍子を上手にやってくれました。
幸せなら手を叩こう」では曲に合わせて叩いてくれましたが、二番の歌詞「足鳴らそう」では足を鳴らさず、いつも手を叩いていました。
夏も近づく〜♪の「八十八夜」では、二人で掌を合わせて叩きながら歌う曲なので、それを教えたら、2002年頃は何とか出来ました。
その後、2003年頃には難しくて出来なくなりました。

2004年頃にはじゃんけんが出来なくなりました。
それまでは勝ち負けが分からなくても、手の形が出来たのですが、この頃は特に「チョキ」が上手く出来なくなって人差し指と親指を伸ばすチョキをやっていました。幼児もよくそうやりますね。

もっと一緒に歌っていた曲がありましたが書き切れません。
一緒に歌った曲というのは、私が好きな曲でもあるのですよね。
楽しい思い出です。
次回の父の好きな曲の「その2」に続きます。


参照↓↓
認知症になって好きになったこと、「歌」 (認知症中期のタクさん その21)


今日の花262262
本来は春に咲く花ですが、最近は冬に鉢植えで売り出したり、丈があるので冬の切花としてもよく出ている「ストック」。白からピンク、紫系の色合いが綺麗です。


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認知症中期のタクさん【好きな歌】 TB:0 CM:4 admin page top↑
一緒のお墓に入る人は??
2006 / 12 / 27 ( Wed ) 02:44:56

イズさんは自分が建てたお墓に皆で入るのが前々からの希望です。
すでにイズさんの妻、早死にした三男が入っているのですが、それとご自分だけでは物足りないようです。
皆が自分の後からちゃんと入ってくれるか心配でたまらず、時々念を押すように「誰でも入れるから入ってね」と言います。
皆で入ると言っても、子供達は独立して別所帯を持っているので、それらが全部一緒に入るのは他のお宅でもそうそうあることではないと思います。

イズさんのお墓には跡取りである長男一家が入り、その直系が代々入れば十分だと思うのです。
イズさんの長男(私の夫の兄)には男子が居るので、その後も代が続く可能性は十分あります。
なのに私達次男一家にも入って欲しいようです。
そんなにお墓に入る人まで大勢欲張らなくてもいいのに…。

「イズさんの後に誰も入らないってことは、まず有り得ないのだから、心配いりませんよ♪」と話すのですが、それだけでは不安のようです。
「お墓を買い求めるなんて大変なことだし、すでにあるのだから、長男一家はイズさんのお墓に入ると思いますよ〜」と言っても「そうかな〜??」と不安気です。

タクさんが居た特養でも、ある認知症の方は、「墓場」「死ぬ」などの言葉をよく使っておられました。
歳を取るとそれらが気がかりなんでしょうね。

ある程度の年齢になったら、自分の死や死に関することが気になることでしょう。
父を看て来た経験から、平均寿命にはまだ遠い私ですら、気になっていることです。

延命措置のこと、葬儀のこと、葬儀に使う写真のこと、お墓のこと、財産のことなど、気持ちがしっかりしているうちに家族に伝える、または遺言する必要があるな〜と、大いに感じています。

亡くなったタクさんは今から30年弱前に先祖代々の墓を建て直したのですが、その時私に「お前もこの墓に入っていいんだぞ」とニヤッと笑って言っていました。
イズさんと同じように大勢に入って欲しいのでしょうね。

当時は私も若くてそのようなことに殆ど関心はありませんでしたが、今はそれなりにお墓のことなど色々考えています。
そして、ここ1〜2年で私の考えもほぼまとまって来ました。

イズさんは、そんな私の心を見透かしたかのように、「皆で一緒に仲良くお墓に入ろう」と言っています。
私には私なりの考えがあります。

私はもしかして、イズさんと同じお墓に入らないかもしれないけれど、イズさんが建てたお墓は当分代々続くと思うから、そんなに心配しなくてもいいのに…と心の中でつぶやきます。


今日の花262262
白いビロード状の葉が美しい「白妙菊(シロタエギク)」、別名「ダスティミラー」の葉が冬の寄せ植えなどで目立つ季節です。寒さに強く、宿根して何年も経つとかなり大きい株になります。初夏には黄色の花が咲きますが、葉の観賞用が主です。我が家の何年ものの一株は日当たりが悪い場所に移し変えてから、すっかり元気がなくなってしまいました。



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有料老人ホームに移ったイズさん TB:0 CM:4 admin page top↑
親子の立場
2006 / 12 / 26 ( Tue ) 00:57:39

イズさんが移った今度のホームは老健に居るのと違って何かと手が掛かります。
部屋の掃除、トイレ掃除、洗濯などをしながら、イズさんと色々話をしました。
以前、イズさんの自宅に通っていた頃も重い話をしましたが、
今回も、イズさんの息子がいなかったお陰で?重い話をしました。

イズさんは実の子供達に言えない話をよくしてくれます。
本当は実の子供達に直接話した方が、どんなに良いか。
でも、実の子供達にはそういう話はしないのです。
多分、実の子供たちは、そういう話をまともに聞こうとしないからかもしれません。

親が考える子供達のこと、実の子供達が考える親のこと。
その両方の話を私は常に聞いていて、お互いが随分誤解をし合っていて、考え方がすれ違っていると感じています。
でも、かき混ぜないために、なるべくどちらの言い分も聞いているだけに留めています。

父親と息子達って、同性同士で難しいですね。
父親と娘、母親と息子、母親と娘なら、意思疎通が結構上手く行くものですが…。
イズさんもタクさんも妻が先に亡くなってしまったケースです。
父親が後に残ると確かに色々と難しいです。

息子達はいつも言っています。
「親父が後に残ると、ろくなことがない」と。
「母親だったら良かったのに」と。
私も父が残ってしまった時、「何で母でなく、父が残ってしまったの?!」と思いました。

けれど、長い年月と介護をしたことにより、その考えは一掃されました。
人にもよるかもしれませんが、父親が後に残ったことで、母親とは違うものを私は得ることが出来ました。

男系家族の中に居て、私はイズさんの息子の、時には母親代わりであり、イズさんにとっては、時には妻代わりになっているとよく感じます。
でも、私の母親代わりの人は誰もいないし、私は母親代わりをどこにも求める事もありません。
女性の方がいざという時は強いと我ながら感じます。


今日の花262262
クリスマスにちなんだ名前の花「クリスマス・ベル」。実は「サンダー・ソニア」のこと。南アフリカ原産の黄色いベル型の花でユリの仲間です。ネーミングの由来は、クリスマス頃店頭に並ぶせいでしょうか?



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しゃれっ気がない人へのクリスマス・プレゼント
2006 / 12 / 25 ( Mon ) 02:11:24

クリスマス・イヴの今日は有料老人ホームのイズさんの所へ行きました。
イズさんはタクさんと違って身の回りの物には興味がなく、しゃれっ気が全くない人です。
衣類などを買ってきても「そんなに要らないよ」という人です。
私は汚い爺さんに思われるのは嫌で、いつでも小綺麗な物や若々しく見える物を身につけていて欲しくて買うのですが、あまり歓迎されないので自然と買わなくなっていました。

でも、イズさんには冬の帽子がないので、プレゼントとして買って持っていきました。
イズさんは面倒がないように実用本位の丸刈りなので(もっと普通に伸ばして欲しいのに)、冬の帽子がないと寒いのです。
ないものを用意したので、今回は喜んでもらえました。

「お菓子もいらないよ」と言われていましたが、クリスマス・イヴだから、ホームで出されて重なってもいいように、とても小さいケーキを持って行って一緒に食べました。

私が来た時はまたまたベッドで寝ていました。
ケーキを食べる時も、傍のテーブルで食べるように誘ったけれど、ベッドで食べました。
イズさんにはベッドだけあれば何もいらない様子です。
これでは入院患者と変わりないではありませんか!
せっかく、広い部屋なのに。

着替えるのが面倒なので、パジャマは着た形跡がないし、毎日同じ服でそのまま寝る模様です。
入浴は週1回でいいと言って、その時に肌着を替えるかどうかも怪しいです。
髭剃りも週1回の入浴の時しかしない様子でいつも不精ヒゲです。
嫌だな〜こんなバッチイ爺さんじゃ。
もっと、小綺麗にして欲しいのに。
まあ、気になる点は色々あるのですが、勿論私からは何も言いませんが…。


今日の木103103
柊(ヒイラギ)」の垣根などをよく見ますが、赤い実が生っているのを見た覚えがありません。これは赤い実のなる種類ではないようです。クリスマスに使われるヒイラギは「クリスマス・ホーリー」と言う「西洋ヒイラギ」で赤い実がなる種類です。


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有料老人ホームに移ったイズさん TB:0 CM:4 admin page top↑
タクさんの納骨
2006 / 12 / 24 ( Sun ) 01:19:33

今日はタクさんの四十九日法要と納骨でした。
暖かく良い天気に恵まれました。
父は天気が良い日にお出掛けだと「俺は心がけが良いからな〜♪」と、認知症になっても決まって言ってました。

お父さん、私達と一緒の最期のお出掛けが良い天気に恵まれて良かったね♪

とうとう、父はお墓の中に入ってしまいました。
あっけないです。
ついこの前まで、元気に生きていたのに、本当にお別れです。

でも、父は、私のブログの中では生き続けているもんね〜♪
と言ってみたものの、何だか怨念でも持って生き続けているみたいで、ちょっと不気味かも。

お墓のカロートは父の骨壷を入れたら、あと2つ入れられるかどうかの満員状態。
ご先祖様の骨壷が沢山入っているのです。
少しずつ詰めて、父の骨壷を入れました。

納骨の時、私はうっかりしていたことに気付きました。
父の骨壷に名前を書いておくのを忘れていました。

沢山あるので、骨壷には全部父が名前と没年月日を書いていたのです。
そのことも知っていたのでしたが、父の骨壷についてはうっかりしました。
私が亡くなってしまうと、父の骨壷がどれか分からなくなるかもしれません。

仕方ない、次にお墓を開ける時、名前を書くしかないですね。
ということは、次に誰かが亡くなる時ってことですね…。
次に亡くなってこの墓に入るのって、弟か私しか居ないじゃない(笑)


今日の木103103
先日、仕事で行った市内にこんな可愛いヒノキ(檜)3本が植えられている畑を発見!!あまりに可愛いので写真に撮ってしまいました。下の方の明るい黄緑色はヒノキの新緑なのです。冬に新緑なのです。畑で日当たりが良いので、冬でも新芽が育っているのですね。

向こうに見える黄緑はヒノキの新緑   可愛いヒノキ   ヒノキの葉

 向こうに見えるはヒノキの新緑   畑の中に可愛いヒノキ      ヒノキの葉   

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タクさんの死 TB:0 CM:5 admin page top↑
ちょっと咳コンコン
2006 / 12 / 22 ( Fri ) 00:39:39

土曜日は大事な四十九日法要と納骨が遠方であるというのに、風邪が治らない。
たいしたことない風邪ですが、
治りかけたと思ったら昨日から咳も出始め、今日は再び体がだるい。

これ以上悪くなるといけないので、内科に行って薬もらってきました。
無理しないように…と言われました。
あまり無理はしてないんですが…。
滅多に風邪は引かないのに、こんな時に…。

NHKがらみでアクセスが急に増えたここ数日だったので、
妙にテンションが上がって、独りよがりな記事を書いてました。
かなり反省しています。

今度は、もっと肩の力を抜いた楽しい記事を書こうっと♪

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皆、検索で来た通りすがりの方々ばかりで、全然応援クリックが頂けてないのです。


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日々つれづれ TB:0 CM:6 admin page top↑
これなら出来る!!認知症の進行緩和策
2006 / 12 / 21 ( Thu ) 21:12:38

昨日は、NHKスペシャル「認知症 その時、あなたは」の放送内容の「認知症の予防法」「早期発見」についてまとめました。
また、「私の父の場合の進行緩和策」を書きましたが、具体的内容については書きませんでしたので、今回はその具体面についてです。

以前からブログにも書いてきましたが、すでに認知症になってしまっても、対応の仕方で進行を緩やかにすることがある程度は可能だと思います。
それについては、NHKスペシャルでも言われていたように「快刺激」となる楽しい日々を過ごすことが、予防法だけでなく、「緩和策」としても有効だと思います。

認知症の人を怒らない。
大らかな気持ちで看ること。
認知症の人の気持ちになって。

認知症の人は「不安」でいっぱいなのです。
不安を一つずつ取り除いてあげる介護を。
そして、不安にさせない介護を。

認知症の人も介護者も、良い刺激のある楽しい毎日を過ごすこと。
楽しい気分を分かち合うこと。
認知症の人が今まで好きだったことは何でしょうか?
それを一緒にしてみましょう。

また、特に変わったことは必要ないかもしれません。
歌、会話などでも十分ではないでしょうか?

認知症の人は自ら楽しい気分になることがなかなか難しいのです。
楽しい気分になれるよう、介護者が手助けしてあげましょう。

父は新しいことをやったり、覚えることは出来ませんでした。
簡単に出来ることといえば、歌を歌ったり、おしゃべりしたり。

人によってはお裁縫が上手だったり、掃除が得意だったり…色々あるようです。
それらをやってもらったり、一緒にすることも良いのではないでしょうか?

父は歌うことが好きだったので、一緒に父の好きな歌を毎日たっぷり歌いました。
昔の歌を教えてもらいました。
父も歌うことで、忘れていた歌を色々思い出してくれました。
歌い方も手拍子しながら楽しく歌いました。

父の話を聞いてあげることも多かったのですが、そのままにしていると、
いつのまにか暗い話や愚痴話になってしまうこともあったので、
敢えて楽しい話題に切り替えたり、その時の状況に合わせました。
昔の話はこちらから切り出して、色々話してもらいました。

生年月日と出生地はかなり後期まで言えたので、折に触れ、忘れないように繰り返し言ってもらうよう努めました。
言えない時は「○○県だったよね?○○県のどこだっけ??」と聞くと、そのあとがすらすら出ることもありました。
座ってじっくり会話をしていると、徘徊はありませんでした。

しかし、「さて、そろそろ帰らなくちゃ」と言って、自宅に居ても帰宅願望が起きます。
そしたら、状況によっては一緒にちょっとその辺を一回りしてみるだけでも、落ち着くと思います。
介護者に余裕があれば、機転を利かすことや対応策も取りやすいでしょう。

介護者が楽しくなければ、楽しい気分の手助けは出来ません。
介護者が楽しい気分でいられるためには気持ちに余裕があること。
余裕を持つためには、楽な介護をすること。
楽な介護とは、自分だけで頑張らない介護。
介護サービスやその他の支援を積極的に受けること。
介護のはけ口の場を持つこと。

認知症のご本人の要望を重視するあまり、
訪問ヘルパー、デイサービス、ショートステイなど他からの支援を受けないケースも見られます。
介護者が元気で楽しく居られることも大切なことです。
他所、他者の支援も状況に合わせて利用することが楽な介護に繋がると思います。

また、状況によっては施設や病院などの入所も範疇に入れて考えてみましょう。
これらは思い立ったらすぐに入れるものではありません。
待機期間も長くなる場合が多いものです。
長い待機期間のことも考慮した上で、早めの判断が必要だと思います。

入所してしまったら介護は終わりではないと思います。
場所が自宅でなくなっただけだと考えましょう。
大変な部分は施設のプロに任せても、通って介護することで、楽な介護が続けられます。
家族ならではの介護」をすることです。

家族ならではの介護とは、認知症の人を楽しくさせられる介護だと思います。
プロは人数的にも時間的にも制約があります。
じっくり一人一人に取り組みたくても出来ない場合があります。
それらを補う介護です。

特養に入った父には、家族なら知っている事柄の会話をしました。
家で一緒に歌ったように、歌をいつも一緒に歌いました。
話しかけて、父が好きなように話してくれる雰囲気を作りました。
晩年は色々話しかけながら食事介助を続けました。
家でなくても密な関係で居られるのだと思いました。
そのせいか分かりませんが、父は認知症13年でも、最期まで話すことが出来ました。

介護者がその気になって蜜に接すれば、簡単なことでも進行緩和策になるのではないかな?と思いました。
そして、最初が肝心かな?と。
何だか幼児期の子育てと同じだなと思いました。


<参照>
私のブログのリンク先で、「快刺激」になる介護をされている内容のブログがあります。
あしたがあるささんの「つやちゃん日記」です。ぜひ、参考にされて下さい↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/djgrk323


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NHKスペシャル他、認知症関連番組 TB:0 CM:2 admin page top↑
NHK「認知症 その時、あなたは」第1回を観て その2
2006 / 12 / 20 ( Wed ) 19:43:28

第1回の放送は「常識を変えよう」がテーマで、この放送について個人的に興味深かった内容についてだけ取り上げて、すでに放送内容の概略を書きました。

興味深かったこととは、認知症の進行を止める新薬「トラミプロセート」のこと、手術のこと、早期発見法、適切なケアで症状が緩和されるとして「センター方式」の導入などについて書きました。

が、放送後あまりにアクセスが多いので、先日書いていなかった内容についても概略を書いてみます。
書いておかないと、自分でも放送内容のことを忘れてしまいそうですし。

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●認知症の予防法
東京杉並区の浴風会病院の須貝医師の報告。
杉並区の浴風会病院は介護・福祉の施設も併設しており認知症研究として有名ですね。

何百人かの(800人と言ったかな?)認知機能の検査をしたところ、脳に萎縮があるのに認知症がない人(認知機能に問題がない人)が全体の10%もいたそうです。
調べてみると、何らかの活動を継続している人達でした。

つまり認知予備力が多ければ認知能力の低下に至らないとのことでした。
また、「快刺激」となる常に楽しいことをしていれば、脳の機能を保つことが出来るそうです。

予防法としてまとめると、

有酸素運動」・・・・・・・少しハードな運動、早歩きなど。
健康的な食生活」・・・・認知症は生活習慣病ではないかとも言われている。
知的活動を楽しむ」・・・人と会話するなど。

実例として、コーラス、社交ダンス、フォークダンス、山歩き、他色々。
男女一緒に行うダンスは刺激があって良いそうです。5倍位、なりにくいとか。
今流行の脳のトレーニングは楽しんでやれれば良いが、強制は楽しくないので良い結果は得られないとか。

ということで、

認知症の予防は・・・
「リスクは減らせる、ニコニコ笑って体にいいこと」


●早期発見 Part2
もしやと思ったら、身近な人と専門医へ
この「身近な人」とは、認知症ご本人の毎日を良く知っている家族などのことです。

専門医とは、
物忘れ外来、神経科、精神神経科、脳神経外科、脳外科、精神科、等々。

本来なら身近な掛かりつけ医が専門医を紹介するような形が望ましい。(高見氏談)

しかし、身近なかかりつけ医が認知症についての知識に乏しく、のちに専門医に診せた時には相当進んでしまった例を訴えた一般参加者が居ました。
これ、よくあることなんですよね。

一昔前は「早期診断、早期絶望」と言われた。
診断をつけるだけでなく、そこからどう支えていくのか、支えるチームを作る。
認知症対応の統一したシステムが欲しい。
そのためにも、早く記憶障害に気付くことが大切である。(以上永田氏談)

認知症患者を支えていく統一したシステムの一つとして、「センター方式」の紹介がありました。
それについては前のブログに書きました。

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●私の父の場合の進行緩和策
認知症発症13年で先日亡くなった父ですが、父の両親は早死だったので認知症にはならずに済みました。
父の五人の兄弟のうち一人が戦時中病死。他、父を含めて三人が認知症になっています。
遺伝子的に認知症になりやすい家系だと思います。

父は色々なことに忙しく没頭していましたが、父の生活に張り合いがなくなって、落とし穴に落ちたような時期に発症しています。
しかし、発症後の進行状態は非常にゆっくりで、発症後の8年間は今思うとのらりくらりでした。

当時、父はアルツハイマー型の認知症だと診断を受ける前から私は確信していました。
しかし、医師の診断を初めて受けたのは発症から8年も経ってからでした。

というのは、当時、アルツハイマー型は治らないと聞いていて、治らないなら仕方がないと思っていたからです。
それと、それまでの父は何とかしなくてはならない程、深刻な状況ではなかったからでした。
この深刻な状況とは、人によって感じ方が異なるかもしれませんが。

そして、初めて検査を受けた結果、「かなり進行している」と言われ、画像の脳の萎縮の状態もかなり進んでいました。
これでは、ご本人は何も出来ないでしょう」と言われました。

しかし、父は長谷川式テストの結果は散々でしたが、まだまだ日常的には私が付いてさえいれば、結構そこそこ出来ましたし、まだ問題行動もありませんでした。

これは今になって思うと、上記に書いた予防策としてのことが、発症後の進行緩和策にも値することと思いました。

つまり、認知症になってしまい脳の萎縮はあるものの、快刺激や心地よい生活があれば、認知症になっても在る程度生活レベルは保てる、進行は緩やかでいられる、ということなのではないか??と思いました。
何の薬も使わず、8年も進行が緩やかでいられたのですから。

ケアマネさんに言われました、「世間では、お父様のようなおとなしい方ばかりではないんですよ」と。
暴力がなかったことは「おとなしい」と言えるかもしれません。
相当に頑固な面もあって、他の方が羨ましいと思ったこともありましたが。

とは言え、認知症の父との比較的穏やかで楽しく暮らした日々。
いえ、正直に言いますと、私は顔で笑って、心で父に文句を言ってましたが(笑)
それが、薬を使わずとも、緩やかな進行で介護も楽な結果を生んだのかな??と。


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NHKスペシャル他、認知症関連番組 TB:0 CM:3 admin page top↑
認知症介護の孤立を防ぐために
2006 / 12 / 19 ( Tue ) 19:47:34

昨晩放送されたNHKスペシャル「認知症 その時、あなたは」第2回の放送はかなりの反響のようです。
私のブログに、この放送を観て検索されて来たと思われるブログ始まって以来の多数の来訪者があります。
ここまで大勢の人が訪れるとは思いませんでした。
ただ単にチラッと見ただけの方も多いかもしれませんが。

NHKスペシャルの辛口批判を昨日書いた私としては、かなり責任を感じております。
批評だけするのは誰でも出来るのかもしれません。
断っておきますが、
私が批判したのはNHKの番組作りについてであって、介護の方法などを批判した訳ではありません。

私は批判だけしてやり逃げするズルイ人にはなりたくありません。
今までの私のブログを読んで頂ければ、私が行ってきた介護のある程度のことは分かってもらえるかと思います。

今回は改めて、昨晩のNHKスペシャルのテーマである「介護の孤立を防ぐために」を受けて、私なりの「介護の孤立を防ぐために」やってきたことを書いてみたいと思います。

長文で読みにくいと思いますが、慌てて書いたのでお許し下さい。
ご参考になれば幸いです。

-------------------------------------------------

◆認知症介護の始まりと経過
私の父は1993年頃(今から13年前72歳)認知症を発症したと思われます。
私の弟と二人暮しの父でしたが、私の住まいからはかなり遠い地域に住んでいたので、認知症の父の面倒を弟一人に任せて置けないと思った私は、強引に、しかし最終的には父の了解も取って、
父と弟を私の近くに引越しさせました。

弟の性格からやりかねない、最近多い介護地獄で親を殺してしまうようなことは避けたいと、その頃思ったのです。
父の認知症はまだかなり軽い状態で、引越した環境の変化にも適応出来ました。

1994年に私の近くに越してきた父と弟ですが、日中は弟が仕事に出て父一人になるため、ほぼ毎日通って父の面倒を看ました。
まだ認知症はたいしたことはなく、家事をしたり父の話し相手をするような毎日でした。
父の認知症の進行は非常に遅く、問題行動と呼ばれるような行為は幸い殆どなく過ぎました。

ただ、内科に3回ほど入院した時にだけ、徘徊、失禁、帰宅願望なとが起きましたが、退院して自宅に戻ると、そのたびに全く治ってしまう状態でした。
この頃、父、認知症発症1年から7年の時期で、一般に言われる認知症初期から中期にかけてです。

退院して自宅に戻ると治ってしまう問題行動は本当に不思議でした。
多分、私が自分で言うのもおこがましいですが、
自宅に戻ると治ってしまうという事実は、「介護の仕方次第で、問題行動はある程度は抑えられる」という実証なのではないでしょうか?

たいしたことのない病気での入院が3回ほどありましたが、父は体は元気でよく食べ、よく歩きまわり(家の中を徘徊して)、一見何ともない年寄りにしか見えない感じでした。
こうして、2001年までは(認知症発症8年)問題行動と呼ばれる出来事は殆どなく過ぎました。

父の問題行動は発症8年から始まりました。
徘徊、失禁は突然訪れました。
帰宅願望、せん妄などもありました。
暴力行為や弄便(ろうべん)などはありませんでした。

父を叱ったり、怒ったり、はしませんでした。
父の意に反することをしようとすると怒るので、時間が許す限りは父のペースに合わせました。
なるべく私の方から父が楽しくなるようなことを勧めて一緒に行いました
同じ話を何度もする父でしたが、父の話をゆっくり聞いてあげるよう努めました。
とにかく、怒った父を見たくないし、
父を怒らせないため、楽しくなるよう私は笑顔で父に接するようにしました。

ただし、認知症発症1〜2年の頃、私は認知症への接し方が分からず、父を怒ったり、注意したりすることがありました。
「何で、こんなことも出来ないのかしら?」と思ったりしました。
その頃の父は、いつも嫌な顔をしていました。
私が
認知症への対応の仕方を本などで知って、私が変わってからは父も嫌な顔をすることがグッと減りました。

暴力がなかったのは、なるべく父と楽しく過ごしたせいでしょうか?
若い頃の父は、子供の私を殴って言うことを聞かせようとする怖い父でしたが、認知症になってからは私を殴ることはありませんでした。

排便については、様子を見てトイレに誘導する。
トイレの外でいつも様子を伺って、出来ない時は介助してあげたせいか、便を弄ぶなど、特に困ったことは起きませんでした。
目が行き届いていたせいだと思います。

このように、父の気持ちや立場を踏まえて接することで、問題行為は最小限で済みました。

しかし、私の場合、通い介護という状況や、夜間は仕事で疲れた弟が父を看ることが続き、父の失禁が始まってから、私と弟との介護だけでは無理だと思うようになりました。
この頃、2001年秋(父80歳、発症8年)でした。


◆介護を外に求め、孤立しない介護を始める
それまでは、私と弟だけの閉ざされた世界?での介護でした。
私は介護の不満などを話す友人などがいたお陰で、介護のはけ口はありました。
しかし、介護