二人の父の10大ニュース
2006 / 12 / 31 ( Sun ) 01:02:05
私から見た二人の父の10大ニュース2006です。
1. 10月26日に85歳で肺炎で亡くなる 楽しいことも実際はあったのですが、ここに上げてみると楽しいことは少なくなってしまいました。
1. 1年半居た老健から有料老人ホームへ移った(12月) イズさんは今年はとても健康的に過ごせました。
|
タクさんの好きな歌 その3 歌謡曲編【認知症中期】
2006 / 12 / 30 ( Sat ) 07:57:27
いよいよ今年も押し詰まって参りました。 年末といえば、NHK紅白歌合戦。 今日はタクさんが好きだった歌謡曲を書いてみます。 「お父さんは歌手で誰が好きなの?」小学生の頃父に聞くと、 直立不動で燕尾服、髪はくせっ毛でボサボサ気味、丸眼鏡を掛け、口をはっきり大きく開けて歌う東海林太郎。 他にも霧島昇の「旅の夜風」(「愛染かつら」主題歌)、花もあらしも ふみこえて〜♪と父は認知症になってからも歌ってくれました。 熱海の海岸 散歩する 貫一お宮の 二人連れ〜♪の「金色夜叉」。 父は歌わなかったけれど、私が歌集を見て歌うと喜んでくれた曲として、「東京ラプソディ」。 他にも渡辺はま子とか、五月みどりなども好きでした。 父はお風呂に入ってご機嫌が良いと、ババンババンバンバン〜♪と「いい湯だな」を私と掛け合いで歌いました。 父が知っている曲は昭和30年代位で止まってしまっていますが、この頃は戦後の日本が復興して高度成長時代の良い時代だった頃です。 「俺たち二人、歌上手いもんだな〜♪一緒に歌って金儲けしようか?!」と言っていた4年程前の父。 そんな歌を父はたまに歌っていました。
|
タクさんの好きな歌 その2 軍歌編【認知症中期】
2006 / 12 / 29 ( Fri ) 02:31:23
父が持っていた軍歌集「雄叫(おたけび)」は、仕官学校の歌集なので、 以前に書きましたが、父は大東亜戦争で中国内陸部へ出征しました。 映画「三丁目の夕日」のワンシーンで、 父と一緒に軍歌を歌っていると、たまに戦争を思い出して この歌集の中に「仰げば巍々たる」(ああ玉杯の譜)という曲が載っています。 仰げば巍々たる市ヶ谷の 九重深き雲の上 国のためには北海の 雪踏み分けん旭川 これは一番と三番なのですが、こんな調子で九番まであります。 この歌集の支那事変・大東亜戦争の項目に載っている曲で、 金鵄かがやく日本の〜♪と昭和15年2月11日に紀元2600年(紀元節)を迎え、 TVアニメ「巨人の星」(昭和40年代)のテーソングは殆ど軍歌と同じ調子ですよね。 そして、やっぱり父は「同期の桜」。
ボチッと一押しするだけです。応援のクリックをお願いします↓↓ 最近クリックがまた減ってしまい残念です。
|
タクさんの好きな歌 その1 童謡編【認知症中期】
2006 / 12 / 28 ( Thu ) 02:20:05
父は認知症以前にはそんなに歌を歌いませんでした。 ところが、デイサービスに通うようになって、デイでよく歌い、家に帰ってからも大きい声でとてもよく歌うようになりました。 今回はタクさんが好んで歌っていた曲を思い出してリストアップしてみます。 なんたって十八番は、貴様と俺とは〜♪の「同期の桜」。 次にお得意なのは、踊り踊るなら〜♪「東京音頭」。手拍子しながら、なかなか楽しく歌いました。 今日は主に童謡や小学唱歌の曲を取り上げてみました。 大きな声で元気良く歌う「我は海の子」。 「めだかの学校」「どんぐりころころ」「おさるの籠屋」「七つの子」「里の秋」 逆に歌は知っているのに歌詞を知らず、過去にあまり歌ったことがないらしい曲として「ふるさと」。 どうやら小学唱歌は学校時代真面目に歌ったことがないらしく、だから歌詞を覚えていないようなのです。 「青い山脈」は知っているけれど歌詞を覚えてない曲の一つで、父はいつも「チャンチャンチャン〜♪」で歌っていました。 童謡でも父にとっては新しい方の曲「犬のおまわりさん」などは、私がいつも「ワンワンワワーーン♪」と歌うので、喜んで聞いてくれました。 2004年頃にはじゃんけんが出来なくなりました。 もっと一緒に歌っていた曲がありましたが書き切れません。
|
一緒のお墓に入る人は??
2006 / 12 / 27 ( Wed ) 02:44:56
イズさんは自分が建てたお墓に皆で入るのが前々からの希望です。 イズさんのお墓には跡取りである長男一家が入り、その直系が代々入れば十分だと思うのです。 「イズさんの後に誰も入らないってことは、まず有り得ないのだから、心配いりませんよ♪」と話すのですが、それだけでは不安のようです。 タクさんが居た特養でも、ある認知症の方は、「墓場」「死ぬ」などの言葉をよく使っておられました。 ある程度の年齢になったら、自分の死や死に関することが気になることでしょう。 延命措置のこと、葬儀のこと、葬儀に使う写真のこと、お墓のこと、財産のことなど、気持ちがしっかりしているうちに家族に伝える、または遺言する必要があるな〜と、大いに感じています。 亡くなったタクさんは今から30年弱前に先祖代々の墓を建て直したのですが、その時私に「お前もこの墓に入っていいんだぞ」とニヤッと笑って言っていました。 当時は私も若くてそのようなことに殆ど関心はありませんでしたが、今はそれなりにお墓のことなど色々考えています。 イズさんは、そんな私の心を見透かしたかのように、「皆で一緒に仲良くお墓に入ろう」と言っています。 私はもしかして、イズさんと同じお墓に入らないかもしれないけれど、イズさんが建てたお墓は当分代々続くと思うから、そんなに心配しなくてもいいのに…と心の中でつぶやきます。
|
親子の立場
2006 / 12 / 26 ( Tue ) 00:57:39
イズさんが移った今度のホームは老健に居るのと違って何かと手が掛かります。 イズさんは実の子供達に言えない話をよくしてくれます。 親が考える子供達のこと、実の子供達が考える親のこと。 父親と息子達って、同性同士で難しいですね。 息子達はいつも言っています。 けれど、長い年月と介護をしたことにより、その考えは一掃されました。 男系家族の中に居て、私はイズさんの息子の、時には母親代わりであり、イズさんにとっては、時には妻代わりになっているとよく感じます。
|
しゃれっ気がない人へのクリスマス・プレゼント
2006 / 12 / 25 ( Mon ) 02:11:24
クリスマス・イヴの今日は有料老人ホームのイズさんの所へ行きました。 でも、イズさんには冬の帽子がないので、プレゼントとして買って持っていきました。 「お菓子もいらないよ」と言われていましたが、クリスマス・イヴだから、ホームで出されて重なってもいいように、とても小さいケーキを持って行って一緒に食べました。 私が来た時はまたまたベッドで寝ていました。 着替えるのが面倒なので、パジャマは着た形跡がないし、毎日同じ服でそのまま寝る模様です。
|
タクさんの納骨
2006 / 12 / 24 ( Sun ) 01:19:33
今日はタクさんの四十九日法要と納骨でした。 お父さん、私達と一緒の最期のお出掛けが良い天気に恵まれて良かったね♪ とうとう、父はお墓の中に入ってしまいました。 でも、父は、私のブログの中では生き続けているもんね〜♪ お墓のカロートは父の骨壷を入れたら、あと2つ入れられるかどうかの満員状態。 納骨の時、私はうっかりしていたことに気付きました。 沢山あるので、骨壷には全部父が名前と没年月日を書いていたのです。 仕方ない、次にお墓を開ける時、名前を書くしかないですね。
向こうに見えるはヒノキの新緑 畑の中に可愛いヒノキ ヒノキの葉 写真をクリックすると大きくなります ボチッと一押しするだけです。良かったらクリックをお願いします↓↓ 応援のクリックがとても励みになります。 |
ちょっと咳コンコン
2006 / 12 / 22 ( Fri ) 00:39:39
土曜日は大事な四十九日法要と納骨が遠方であるというのに、風邪が治らない。 NHKがらみでアクセスが急に増えたここ数日だったので、 今度は、もっと肩の力を抜いた楽しい記事を書こうっと♪ ということで、ランキングに応援のクリックが頂けると嬉しいです〜♪ |
これなら出来る!!認知症の進行緩和策
2006 / 12 / 21 ( Thu ) 21:12:38
昨日は、NHKスペシャル「認知症 その時、あなたは」の放送内容の「認知症の予防法」「早期発見」についてまとめました。 以前からブログにも書いてきましたが、すでに認知症になってしまっても、対応の仕方で進行を緩やかにすることがある程度は可能だと思います。 認知症の人を怒らない。 認知症の人は「不安」でいっぱいなのです。 認知症の人も介護者も、良い刺激のある楽しい毎日を過ごすこと。 また、特に変わったことは必要ないかもしれません。 認知症の人は自ら楽しい気分になることがなかなか難しいのです。 父は新しいことをやったり、覚えることは出来ませんでした。 人によってはお裁縫が上手だったり、掃除が得意だったり…色々あるようです。 父は歌うことが好きだったので、一緒に父の好きな歌を毎日たっぷり歌いました。 父の話を聞いてあげることも多かったのですが、そのままにしていると、 生年月日と出生地はかなり後期まで言えたので、折に触れ、忘れないように繰り返し言ってもらうよう努めました。 しかし、「さて、そろそろ帰らなくちゃ」と言って、自宅に居ても帰宅願望が起きます。 介護者が楽しくなければ、楽しい気分の手助けは出来ません。 認知症のご本人の要望を重視するあまり、 また、状況によっては施設や病院などの入所も範疇に入れて考えてみましょう。 入所してしまったら介護は終わりではないと思います。 家族ならではの介護とは、認知症の人を楽しくさせられる介護だと思います。 特養に入った父には、家族なら知っている事柄の会話をしました。 介護者がその気になって蜜に接すれば、簡単なことでも進行緩和策になるのではないかな?と思いました。
|
NHK「認知症 その時、あなたは」第1回を観て その2
2006 / 12 / 20 ( Wed ) 19:43:28
第1回の放送は「常識を変えよう」がテーマで、この放送について個人的に興味深かった内容についてだけ取り上げて、すでに放送内容の概略を書きました。 興味深かったこととは、認知症の進行を止める新薬「トラミプロセート」のこと、手術のこと、早期発見法、適切なケアで症状が緩和されるとして「センター方式」の導入などについて書きました。 が、放送後あまりにアクセスが多いので、先日書いていなかった内容についても概略を書いてみます。 ------------------------------------------- ●認知症の予防法 何百人かの(800人と言ったかな?)認知機能の検査をしたところ、脳に萎縮があるのに認知症がない人(認知機能に問題がない人)が全体の10%もいたそうです。 つまり「認知予備力」が多ければ認知能力の低下に至らないとのことでした。 予防法としてまとめると、 「有酸素運動」・・・・・・・少しハードな運動、早歩きなど。 実例として、コーラス、社交ダンス、フォークダンス、山歩き、他色々。 ということで、 認知症の予防は・・・
専門医とは、 本来なら身近な掛かりつけ医が専門医を紹介するような形が望ましい。(高見氏談) しかし、身近なかかりつけ医が認知症についての知識に乏しく、のちに専門医に診せた時には相当進んでしまった例を訴えた一般参加者が居ました。 一昔前は「早期診断、早期絶望」と言われた。 認知症患者を支えていく統一したシステムの一つとして、「センター方式」の紹介がありました。 ------------------------------------------- ●私の父の場合の進行緩和策 父は色々なことに忙しく没頭していましたが、父の生活に張り合いがなくなって、落とし穴に落ちたような時期に発症しています。 当時、父はアルツハイマー型の認知症だと診断を受ける前から私は確信していました。 というのは、当時、アルツハイマー型は治らないと聞いていて、治らないなら仕方がないと思っていたからです。 そして、初めて検査を受けた結果、「かなり進行している」と言われ、画像の脳の萎縮の状態もかなり進んでいました。 しかし、父は長谷川式テストの結果は散々でしたが、まだまだ日常的には私が付いてさえいれば、結構そこそこ出来ましたし、まだ問題行動もありませんでした。 これは今になって思うと、上記に書いた予防策としてのことが、発症後の進行緩和策にも値することと思いました。 つまり、認知症になってしまい脳の萎縮はあるものの、快刺激や心地よい生活があれば、認知症になっても在る程度生活レベルは保てる、進行は緩やかでいられる、ということなのではないか??と思いました。 ケアマネさんに言われました、「世間では、お父様のようなおとなしい方ばかりではないんですよ」と。 とは言え、認知症の父との比較的穏やかで楽しく暮らした日々。
|
認知症介護の孤立を防ぐために
2006 / 12 / 19 ( Tue ) 19:47:34
昨晩放送されたNHKスペシャル「認知症 その時、あなたは」第2回の放送はかなりの反響のようです。 NHKスペシャルの辛口批判を昨日書いた私としては、かなり責任を感じております。 私は批判だけしてやり逃げするズルイ人にはなりたくありません。 今回は改めて、昨晩のNHKスペシャルのテーマである「介護の孤立を防ぐために」を受けて、私なりの「介護の孤立を防ぐために」やってきたことを書いてみたいと思います。 長文で読みにくいと思いますが、慌てて書いたのでお許し下さい。 ------------------------------------------------- ◆認知症介護の始まりと経過 弟の性格からやりかねない、最近多い介護地獄で親を殺してしまうようなことは避けたいと、その頃思ったのです。 1994年に私の近くに越してきた父と弟ですが、日中は弟が仕事に出て父一人になるため、ほぼ毎日通って父の面倒を看ました。 ただ、内科に3回ほど入院した時にだけ、徘徊、失禁、帰宅願望なとが起きましたが、退院して自宅に戻ると、そのたびに全く治ってしまう状態でした。 退院して自宅に戻ると治ってしまう問題行動は本当に不思議でした。 たいしたことのない病気での入院が3回ほどありましたが、父は体は元気でよく食べ、よく歩きまわり(家の中を徘徊して)、一見何ともない年寄りにしか見えない感じでした。 父の問題行動は発症8年から始まりました。 父を叱ったり、怒ったり、はしませんでした。 ただし、認知症発症1〜2年の頃、私は認知症への接し方が分からず、父を怒ったり、注意したりすることがありました。 暴力がなかったのは、なるべく父と楽しく過ごしたせいでしょうか? 排便については、様子を見てトイレに誘導する。 このように、父の気持ちや立場を踏まえて接することで、問題行為は最小限で済みました。 しかし、私の場合、通い介護という状況や、夜間は仕事で疲れた弟が父を看ることが続き、父の失禁が始まってから、私と弟との介護だけでは無理だと思うようになりました。
|



2008 / 10 / 07 ( Tue ) 00:15:52











