認知症になって治ったこと
2007 / 07 / 31 ( Tue ) 01:24:23

父タクさんは認知症になる少し前、70歳位の頃、よく膝が痛いと言っていました。
特に階段の下りなどで痛いようでした。

ところが、認知症になってから膝が痛いと言わなくなりました。
いえ、正確には認知症のごくごく初期には言っていましたが、その後はパッタリ。

医者に行って治した訳でもありません。
聞いても何ともないと言って、確かに本当に痛くなさそうなのです。

認知症になると、気持ちの問題がもっと別のことに向いてしまい、痛さなど感じなくなることもあるようです。
そういうことは、父の場合、認知症後期に多少ありました。
ある種の痛みに鈍感になること。
逆にある種の痛みには敏感になることも。
それまで何ともなかった注射を非常に痛がりました。
様々な不安があって、痛みを我慢することが出来なくなったようです。
痛くもないのに、触られると嫌なので痛いと表現することもありました。

でも、この膝の痛みについてはどうして痛くなくなったのか不思議です。
お年寄りに膝の痛みを訴える方は多いと思います。
持病になっている方が殆どではないでしょうか?
それが父の場合は、いつのまにか治ってしまったのです。
不思議です。


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父の爪の変形
2007 / 07 / 27 ( Fri ) 21:30:56

夏が来れば思い出す〜♪ 父タクさんの足の爪〜♪

父タクさんの足の爪が水虫のため変形していました。
雲母のように、ちょっと薄く削げかかっていたり、白っぽくなっていたり、分厚くなっていたり。
認知症初期の頃は頻繁に、認知症後期になってもたまに皮膚科に通いました。
皮膚科で調べてもらうと、水虫菌が見つかる時と見つからない時と、時期によって異なりました。
足の指の間や足の裏は少し赤くなっている程度で、痒くはないようでした。

最近は飲んで治す水虫の薬があるようですが、父の場合は高齢のためクリームタイプの塗り薬だけの対応でした。

ところが認知症が進むにつれ、この塗り薬を付けるのを大変嫌がるようになりました。
認知症初期の頃は、喜んで塗ってもらっていたのに。
父をおだてながら、主に入浴後に付けるのですが痛くないのに「痛い!」と言って、とても嫌がり、ササッとしか付けられなくなりました。
敏感な足の先に何かをされることが、嫌だったのでしょう。

毎日デイに通いだすと日中は靴を履いている時間が非常に長くなりました。
自宅に帰ったら、すぐ靴下も脱いで素足に。
父も素足が好きで、冬でも家の中では素足で平気でした。
ただ、フローリングの部屋に居ることが多いのでスリッパは履きます。

特に痒くもなく大したことない水虫でしたが、昔サラリーマン時代になった水虫は治りませんでした。
殆ど足の爪だけの水虫でしたが…。

特養に入所してからは、家に居る時のようにスリッパは危険なのでダメ。
一日中靴を履かなくてはならず、そりゃ水虫にはよくありません。
そこで、父だけ特例で、以前にもブログに書いた脱げにくいフォールディングタイプのスリッパを一年中履きました。
初夏から秋までは勿論素足で。
このスリッパのせいで転んだ、つまづいた、脱げた、などは有りませんでした。
この履きやすいスリッパ、宣伝ではありませんが、ユニクロのスリッパ(ルームシューズ)です。

こうして、父タクさんは、夏は特に爪の水虫の対応にちょっぴり苦労しました。

ところが、私が特養の介護職になって入所者の皆さんの足の爪を見ると…。
な〜んだ!!どのお年寄りも皆、父と同じに足の爪が変形しているではありませんか!!
これって、水虫でなくても、年寄りになると多くの方がこうなるのでは??
父の場合も爪が変形していても、水虫菌が出ない時がたびたびあったし…。

ついでながら、父の足のむくみのこと。

むくみが気になって、検査したりしましたが、結局原因がはっきり分からなかったことがありましたが、特養の入所者の皆さん方も、殆どの方の足がむくんでいます。
入所者でない世間のお年寄りの足首を気になって見ると、何と多くのお年寄りの足がむくんでいることか!!
それぞれ原因は違うのかもしれませんが…。

私は父の爪の変形やむくみに敏感になっていましたが、世間のお年寄りの多くはそういう方が多いのですね。
だからといって、ほっとけば良いと言うことではありません。
きちんと原因を調べたり、それなりの対応はしなければなりませんが。



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父のことを覚えていたショートの利用者さん その2
2007 / 07 / 24 ( Tue ) 11:09:17

今年4月に、父タクさんのことを覚えていたショートご利用のNさんの話しを書きました。
今回は父とデイの送迎車が隣席だったMさん(女性80歳代後半位)のお話。

Mさんは少し腰は曲がっておられますが、お元気でクリアな方です。
毎月ショートを定期的にご利用されておられて、今回私がショートの担当になって初めてお顔を合わせました。
デイにはまだ通っておられるのかと声をおかけして、父がデイの車でご一緒だったことをお話するとビックリなさいました。

Mさんはもう7年もデイに通っておられるそうです。
父がデイの利用を止めグループホームから特養に入ったのが3年前。
Mさんとは3年余りお会いしていませんでした。
Mさんは私が声をお掛けするまで誰だか気づかなかったそうですが、父の名前を言うと3年も経っているのにハッと思い出され、みるみる笑顔になりました。

父のことを「あんなにお元気だった○○さん(父の苗字)がお亡くなりになったなんて…」と。
デイに通っていた頃の父は本当に元気でした。
欠席したのは転んで膝にひびが入った時の一日だけ。

「○○さんは軍歌がお好きで上手でしたね」
「『同期の桜』をよく歌っておられましたね」
父のそんなことまで覚えておられたなんて感激でした。
父はデイの送迎車の中でも歌っていたそうですから。

Mさんはクリアな方ですから、デイでの多くの時間は父とは別のはず(父は認知症専門のデイルーム)ですが、3年以上も前の父のことをよく覚えていて下さいました。

「いつもお父さんの送り迎えをしてらっしゃって、本当によくお世話していらっしゃいましたね」
「○○さんがお守りを忘れてしまい、届けに来られたことがありましたね。私はそれを忘れてはいませんよ。私もそれから息子に貰ったこのお守りを(お守りを見せる)いつも持っているのですから…」と。

父のお守りって、徘徊探知機を入れた袋のことです。
私は忘れていましたが、1度だけ届けたことがあったかもしれません。

父は亡くなってしまいましたが、今度は父以外の方々を父と同じようにお世話したいのでこの仕事に就いたと話すと、Mさんは益々感激されて私の手を握って下さいました。

「お父さん、きっと娘さんのことを今も見て下さってますよ!!」
「お父さんと同じように他の人を看たいなんて、本当に感激しますよ。なかなか出来ることじゃありませんよ」と。

Mさんは潤んだ目で暫くお話をされ、私も少しウルウルしてしまいました。
「気持ちばかりが先立って、技術が伴っておりませんが…」と私。

Mさんはショートの滞在期間中、その後も毎日のように他のご利用者さんと「よく働くね〜ずっと動いているよ。若くなきゃ勤まらないよ」などと私を見ながらお話されていました。

う〜む、確かに若くなきゃ勤まらないです、この仕事(汗)
しかし、私は若くないんですよね〜(笑)
私は多分、この特養の介護職で年長者のトップ争いの50うん歳。でもでも、新米なんです(苦笑)

Mさんが父のことを覚えていて下さって、そして、感激して私にエールを送って下さって…私も感激しました。
父が通っていたデイ、ショート、特養、ここに勤務しているからこその出会いでした。
Mさんもいつまでもお元気で、また次回のショートでお会いしましょう。


参照↓↓
父のことを覚えていたショートの利用者さん



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訪問歯科による自宅での抜歯
2007 / 07 / 20 ( Fri ) 22:25:38

グループホームAでお世話になった訪問歯科に、その後グループホームを退去して2ヶ月後位に、1度だけ家に来て頂きました。
グループホーム退去後の在宅でも、いつでもどうぞ!ということだったので、父の歯が腫れて困り、電話で依頼して翌日には即来て頂き助かりました。

使う水から道具類まで全てご持参で、歯科衛生士さん2名を引き連れていました。
家のソファに座っての抜歯。
歯槽膿漏のためグラグラになって腫れてしまった歯でした。
父に優しい言葉掛けをして下さって、嫌がる父をちょっと押さえつけましたが、手早く抜歯。
嫌がっても本人のため、さっさとしてしまうしかないんだな〜と妙に感心してしまいました。
私は父が嫌がる事は極力避けてきましたから、嫌がってもしなければならないことは手際よくやらなくてはならないのだと思い知りました。

また何かあったらいつでもどうぞ!ということで、通うのを嫌がっても自宅に来て貰えればラクなんだな〜とつくづく思いました。
診察料金も通常の歯科料金と変わりなく、後日、請求書が来て口座に振り込む形でした。

当の父は、抜歯後はケロッとしていて、抜歯の恐怖の後引きなど全くありませんでした。
その後は、歯が悪くても痛いことは特になかったので、在宅での訪問歯科の利用はこの時だけで終わりました。
この約半年後、特養入所となりました。

認知症が進むと歯の治療はしにくくなります。
それまで使っていた入れ歯が合わなくなっても、微調整などしにくくなります。
早めに治しておくことが一番ですね。

でも、歯がなければないで、歯茎の状態が悪くなければ、慣れで歯茎だけでも結構食べられるものです。
歯がないからといって悲観することもないと思います。


参照↓↓
歯を全て失ったタクさん



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歯科治療を拒否した父
2007 / 07 / 18 ( Wed ) 19:20:12

父タクさんが認知症になってから歯科に通うようになったきっかけは、父自身の訴えからでした。
まだ認知症初期で、私が通い介護を始めた数ヶ月後のことだったと思います。

認知症になってからの父の話によると、父は子供の頃から虫歯が多かったそうです。
(こういう話も、父が認知症にならなかったらしなかったかもしれません)

虫歯で苦労したため、定年退職後はどこで探したのか、多分、本などの情報からでしょう、電車に乗り時間をかけて都心にある歯科にわざわざ通っていました。
私の職場に近かったため、私もその歯科に一時期通っていました。
よく診て下さる歯科でした。

父は歯に関してはかなり気を遣い、電動歯ブラシが出た当時、いち早く使ったり、お口クチュクチュの口腔洗浄剤なども早くから使っていました。
歯の治療に熱心な父でしたが、認知症になる数年前ぐらいからは、歯が悪くても歯科通いはしていなかったようでした。

そして、認知症になってからは、あんなに歯の手入れに熱心だった父でも、歯の手入れを面倒がって、爪楊枝で食後突っつくのが主な手入れ法となってしまいました。
その代わり、爪楊枝は父にとって絶対欠かせない小道具でした。

言わなければ、自ら歯磨きをすることはありませんでした。
父をおだてて準備をしておけば、歯磨きも何とかしてくれましたが、それもいつも成功する訳ではありませんでした。
こうして
父の歯のケアは認知症の進行と共に行き届かなくなっていきました。

父が認知症になってから自ら通院を訴えたのは、歯科治療の件だけでした。
まだ認知症初期で物事がよく分かっていたから、自ら通う気になったのでしょう。
その後、大した病気はしていませんが、認知症が進行するにつれ、自分から通院を望むようなことはありませんでした。
通院に関しては、全て私の判断でした。

歯科に通って部分入歯を作り直しました。
私が指示したように、入歯を外して洗浄液の中に浸けておくことも当初何年かはちゃんと出来ました。
そのうち、せっかく作り直した入れ歯は、時々家の中で見当たらなくなり、流しの排水溝に入っていたこともありました。
何度も失くすことを繰り返すうちに、ついに見つからなくなって、再度部分入歯を作り直ししました。
しかし、その入歯もデイに通っていた頃、つまり認知症中期に再び家の中で失くしてしまいました。
無くても食べることに不自由しなかったので、もう作り直しはしませんでした。

この頃、父は歯科通院を拒否することが増えてきたからです。
今日は歯医者に予約しているから行こうと誘うと、「歯は何ともない!!」などと色々文句を言って行きたがらなくなりました。
そのため、歯科に行くとは言わずに連れ出しました。
出掛けてしまえば、「歯医者はボロ儲けしている」などと文句は言いましたが、何とかなりました。

しかし、認知症中期の後半、治療中に「何をする!!」と、歯医者さんの手を振り払うことがあってからは、もう無理かもしれないと判断して、キリの良いところで通院を止めました。
歯の治療をしているという意識がなくなっていた父でした。

まだ虫歯が何本かと、歯槽膿漏でグラグラになっている歯が何本かあって、行く行くはこの歯は抜かなければならないと歯医者さんに言われました。

今思うと、「何をする!!」の一件程度で治療を止めずに、もう少し頑張って通えば良かったかもしれません。
その後、グループホームAに入居して、訪問歯科の診察を皆と一緒に拒否することなく受診していた父でしたから。
そして、在宅の頃、前歯の治療だけでもしておけば、亡くなる年に全ての歯の抜歯ということをしなくても済んだかもしれません。

  <注>全ての歯の抜歯については、以前のブログにも書きました。
      カテゴリー「歯を全て失ったタクさん」
  
まだ、父の歯科については続編がありますが、今日はこの辺で…。



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タクさんの歯科診療の思い出 CM:3 admin page top↑
過去の記事のご案内
2007 / 07 / 17 ( Tue ) 09:29:42

このブログを開始して1年経ちます。
内容によって、カテゴリー別、月別などで分類されています。

カレンダーをクリックすることで全ての記事がご覧になれますが、こちらをクリックすることで過去1年の全ての記事が日付順にダダーッと一覧表示されます。
日付ごとのタイトル表示と冒頭文も表示されますので、内容を選んで読むことが出来ます

また、リンクの一番最後にある「二人の父の雑記帳の全ての記事タイトルと内容を表示」をクリックしても同様にご覧になれます。

どうぞご利用下さい。



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父の歯科治療の思い出
2007 / 07 / 15 ( Sun ) 09:39:44

父の歯の治療には付き添って何年も通いました。
私、及び家族が20数年お世話になっている信頼できる歯医者さんに連れて行きました。

この歯医者さんはとても良い歯医者さんで、気に入っているのですが難点があります。
予約制ですが、予約時間に診てもらえず1時間2時間遅れなんていつものこと。
それでも治療したい人が通う歯医者さんです。
従って、予約時間通りにならないことを見通して予約します。

父と通い出した初日に歯医者さんには「父はアルツハイマーですから」と小声で伝えておきました。
当時「認知症」という言葉はまだなく、「痴呆症」と父のことを言うには、まだまだ普通っぽくて忍びなく、横文字の「アルツハイマー」と言った方が聞こえが良かったからです。

予約しても1時間遅れの診察になるのはいつものことでしたが、狭い待合室で認知症初期の頃の父は何とか待ってくれました。
「ここはどこなんだ?そうか、歯医者か…」
そんなやり取りを、待っている間何度も繰り返しました。

待っている間にトイレにも毎回行きます。
トイレは歯科のあるビルの急な階段を下りたところにあるので、危ないのでトイレまで一緒に行きました。
父のトイレに付き合うのに、心の中で「やれやれ…」と思っている私でした。

認知症初期の頃は父も通常の人と何ら変わりなく、静かに治療を受けました。
ベッドのような形で傾斜がある診察台なので、「ここにこう座ってね」と教えるのですが、どのように座るのか戸惑って、毎回「これでいいのか?」と聞きました。

そのうち、歯科に通うときに「歯医者は大したことしていないのにボロ儲けしているんだ!」などと、文句を言うことが増えました。
待ち時間が長いので「何をしてるんだ!長く待たせて!」と待合室で文句を言うこともあって、狭い待合室なので、コソコソっと父をなだめるのに気を遣うこともありました。

治療中、うがいをするとき、とても丁寧に「ガラガラッ!プッ!」と何度も繰り返す父が印象的で、傍に居る衛生士さんと顔を見合わせて笑いました。

ある時、父の治療中、傍に立ってじっと見ていた私がなぜかクラクラッ!と眩暈がしてうずくまりそうになってしまいました。
今までに貧血症状に似たそのような状態になった事は一度もないのですが、それがその後も再びあって、付き添いの私にはいつも椅子を用意されるようになりました。
それからは、一度もそのようなことは起きていません。
一体あれは何だったんでしょう?

そんなこともありましたが、認知症初期から中期にかけての父の歯科治療は何とか上手く行っていました。
歯科についての続きは次回に。



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タクさんの歯科診療の思い出 CM:4 admin page top↑
父の新盆
2007 / 07 / 12 ( Thu ) 20:38:12

父タクさんが亡くなって早8ヶ月が過ぎ、新盆を迎えます。
昨年の夏からこの1年間は本当に慌しい日々で、時の流れが早過ぎるようです。

私の家には仏壇はありません。
父が私の弟(父の長男で独身)と住んでいたマンションに、父が買った仏壇があり、そこに父の位牌も入っています。
父の新盆は、そのマンションにお坊さんをお呼びして拝んで頂くことになりました。
地方では8月のお盆を本格的にするのでしょうが、東京では7月なので、その通例に合わせました。

父をマンションに呼び寄せ、私が通い介護をして10年。
父が特養に入居し、このマンションを出て3年。
父が居なくなって私が通わなくなり、弟だけの生活になって、父のマンションはすっかり荒れ果ててしまいました。
とてもお坊さんを呼べるような状態ではないのですが、恥ずかしながら来て頂きます。

父が買った自慢の仏壇。
でも、今その仏壇がある家は、仏壇に相応しくない荒れた家で情けないです。
弟には、きちんとするように言っているのですが、全くダメで、ゴミ屋敷のようです。
父はきちんとしている人なのですが、弟は前の家でもそうだったので、こうなることは分かっていました。
私が通い介護をすれば、家が荒れ果てないで済むという考えもあったので通い介護をしたのです。

お盆の道具類も、父が母の新盆の時に買った自慢のもの。
父が25年前に「これ、いいだろう!!」と得意気に言っていましたが、
「そんなにするの?そのちょうちん。そんなに見えないよ〜」と、冷たく言った私。
あの時、褒めてあげれば良かったな〜。

あの頃、若かった私は仏事のことには無関心でしたが、父が若くして亡くなった母のために何かと動いていたことはよく覚えていました。
父が母にしたと同等なことを、父のためにしてあげなければ…。
弟が出来なければ私がするしかない。
父が亡くなる前から、そう考えていて、父の志を何とか受け継いでいます。


今日の花262262
名前のイメージとは違って、ガッチリと大きく、ドでかい花と葉っぱの「浜木綿(ハマユウ)」。いかにも丈夫そうです。海辺の花だそうですが、海辺でなくても普通に育っています。近所では鉢植えでも見かけました。丈夫で大きいので「通り抜け禁止」の場所に植えられているのを見たこともあります。


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散歩の思い出「車が怖い」【認知症中期後半】
2007 / 07 / 10 ( Tue ) 10:58:38

父タクさんの認知症がもっと進み認知症中期の後半頃になると、散歩中に車が通るのを怖がりました。
特養に入る半年位前のことでした。

父と腕を組んで歩くのですが、車の往来をかなり不安に思っていました。
広い通りで歩道があっても、車が自分に向かって来るのではないかと心配していました。
狭い道で車が徐行して擦れ違うだけでも、「危ない!!」と声を出して、車と擦れ違うのをかなり嫌がっていました。
いちいち危ながっているので、以前のような楽しい散歩ではなくなりました。
車が来なければ父の機嫌も悪くはなかったのですが…。

信号のある横断歩道を渡る時も、かなり慎重になっているため歩みが遅く、渡りきらないうちに信号が変わってしまいました。
「青になったら渡りましょう」「今は信号が青だから渡っても大丈夫なのよ」と、わざわざ言っても、この時期、歩道のことも信号のことも分かっていませんでした。

そのため、散歩に必要以上に時間がかかり、散歩しながら車のせいで父が不機嫌になることも多く、またこの頃は以前より歩き方も遅くなり、散歩に出るのを私の方が躊躇したくなりました。

それでも、陽気が良い時期にはデイから帰ったその足で、夕方散歩に出ました。
この時期、毎日デイに通っていたので、デイ帰宅後の夕方しか散歩に出られませんでした。

認知症初期には、信号がある横断歩道の少し手前で、車が来ないと隙を見てすぐ渡ろうとする程、判断力があった父でした。
せっかちな父は信号や横断歩道を分かっていながら、早く渡ろうとするのでした。
この頃は、「横断歩道が近くにあるんだから、ちゃんと横断歩道で渡らないとダメよ!転んだりしたら大変。若い頃とは違うんだからね」と、父を諭したものでした。

認知症が進むと、車に対する身の危険を必要以上に感じていた父でした。
歩道や信号のこと、交通ルールのことが分からなくなったので、不安が一層募ったものと思われます。
それでもまだ、周囲のことに無関心になる認知症末期の状態よりはマシでした。
交通ルールを知っているからこそ、私達は身の安全を分かっていて生活出来るということですね。


今日の花262262
雑草ですが大好きな花「ツユクサ」。ブルーの色合いと形が素敵です。午後にはしぼんでしまうのが残念です。藪が少なくなり最近あまり見かけなくなったので、見られるとラッキーな気分です。我が家周辺では宿根草の「紫露草」の方をよく見かけます。


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認知症中期のタクさん TB:0 CM:6 admin page top↑
散歩の思い出【認知症中期】
2007 / 07 / 07 ( Sat ) 23:10:27

父タクさんとの散歩の思い出は色々あります。

認知症中期、デイがない日で天気が良いと午後近くを散歩しました。
基本的に外出好きの父なので、突然散歩に行こうと誘っても断る事はまずありません。
「いいね〜行こう!行こう!」と二つ返事でした。
散歩に出るととても機嫌が良く、逆に家の中で機嫌が悪い時でも、外に連れ出すとご機嫌良くなりました。
この頃は健脚で、1時間半程度の散歩をすることが多かったです。

「あれは何だ?」と遠くに見えるものを訊ねます。
大体は花や木だったり、看板や建物だったり…。
聞いてもすぐ名前は忘れてしまうのですが、何なのかよく聞いてきました。
父と歩いた父の家の周辺の住宅街…懐かしいです。

でも、家々の表札を声に出して読むのには参りました。
まだ文字が読めるという証拠ですね。
表札にも関心があるという証拠です。

犬好きの父ですので、犬がいると「おい!ワン公!!」と必ず声を掛けました。

父が家の中で不機嫌だったある日、家の中に居てもどうしようもないので、散歩へ連れ出しました。
雨が降りそうな日で、案の定途中から雨が降り出し、一つの傘に二人で入って歩きました。
雨の時は安全のため、私が大きめの傘を持って、いつも一つの傘に二人で入りました。

この雨になった散歩の日は、父も途中から歩くのを嫌になり、グスグス文句を言い出しました。
そのため少し先の地域センターにある喫茶室に入ることにしました。
「あそこに喫茶店があるから、そこまで頑張って歩こうね!!」と。
ボランティアさんが運営している喫茶室に入り、不機嫌さも吹っ飛び、帰路につくことが出来ました。

父は喫茶店が大好き。
母が生きていた頃も母と二人で外出する時には、必ず喫茶店に入りパイプタバコを吸っていたようでした。
新宿の談話室「滝沢」がお気に入りでした。
この歴史ある店も、時代の流れで昨年辺り閉店したことが新聞に載っていました。



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認知症中期のタクさん TB:0 CM:3 admin page top↑
地震・雷・火事・親父
2007 / 07 / 05 ( Thu ) 19:46:27

父タクさんは認知症後期、分かってくれないことが何かと増えました。

たとえば、地震。
2004年10月23日の新潟県中越地震の時、東京でもかなり揺れ、確か震度4か5でした。
この時、父は特養に入所していて、毎月1回特養で夕方から開催される「居酒屋」に父と一緒に居ました。
まだ普通食が食べられた頃で、毎月父とこの居酒屋で、お酒は飲まないけれど、色々注文して楽しく食べました。
その時、この地震が起きて、店内は一時騒然としました。
しかし、父は揺れに全く気付かず、悠々としていました。
「今、大きな地震があったのよ」と言っても、「そうかぁ??」と。
地震も感じなくなっちゃうのかな〜??うん、感じてなかったです。

この時を最後に父とは特養の居酒屋に行かなくなってしまいました。
翌月に父は脱水を起こし、状態が何かと良くなくなって、普通食をさっさと食べることが出来なくなり、居酒屋へ行くことを断念したのです。

たとえば、雷。
これは在宅時代(認知症中期)でも、全く気にならなかった様子でした。
「凄い雷が鳴ってるよ!」と言っても、雷が聞こえていない訳でもないのに、気にならないようでした。
家の中に居たせいもあったかもしれません。
すぐ傍で、はっきり目に見えることでないと、音が大きくても分からないのでしょう。

たとえば、火事。
これは前にも書きましたがエピソード有り。
認知症初期から中期、何かと父は自分の状態にイライラするようで、
何かあると「火つけてやる!!」と、さながら放火魔でした。
同義語として「首くくって死にたい」とも言っていました。
認知症になって変になった自分の状態がとても嫌だったようでした。

たとえば、親父。
親父については、父は母親のこと以上に、40代で亡くなった父親のことをよく話しました。
とても尊敬していた自慢の父親だったようでした。
「親父さん、優しかった?」と聞くと、「優しかったよ〜」と、認知症中期の後半でも、嬉しそうに語りました。

たとえば、アコーディオン。
雷や地震のようにすぐ目の前のことでないものについては無反応、無関心でしたが、先に書いた特養の居酒屋にボランティアのアコーディオン奏者が来て鳴らしていた時は、「うるさい!!」の連発で困りました。
傍で鳴る大きな音は、たとえ音楽であってもピアノのような音でない限り、うるさく感じていたようでした。

たとえば、花火大会。
特養の父の部屋からは、比較的近くにある昭和記念公園の7月末の花火大会がとてもよく見えました。
目の前に大きく見えて私は感動するほどでしたが、父はあんなに花火がよく見えるのに、何度教えても「何?花火??どれだ??」と、全然分かってくれません。たまに父が気が付いたときには、一瞬で花火は消えてしまうし、ダメですね〜認知症後期ともなると、分かっちゃくれません。

このようなことがまだ分かるうちは良いですよ〜。
分かるうちに色々楽しんでおきましょう。
父のように地震に動じないのは、却って有難いことですが…(笑)


今日の花262262
梅雨時の花、「クチナシ」が咲いています。良い香りですが、花の終わりに白が茶色になるのがちょっと悲しい。白いままで散ってしまう方がもっと爽やかな印象になるのに…と、いつもそう思います。


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きっかけは…
2007 / 07 / 03 ( Tue ) 21:54:25

このブログを始めてそろそろ1年になります。
過去に何度か書いたことですが、もう一度、父のことを思い出してみました。

父タクさんを介護することの始まりは、滅多に電話して来ない私の弟の電話からでした。
これについては前にも書いていますが、遠くなった記憶を呼び戻してみました。

1993年。タクさん72歳の頃。
始まりは…。

父と二人で住んでいた弟が「父は最近酒ばかり飲んで、昼間もボーッとしているようだ。ボケたんじゃないのか?」という内容の電話からでした。
私は一緒に住んでいたのではなく、年に1〜2回程度しか会わなかったので父の毎日の様子など分かりませんでした。
けれど、その時「そういえば…」と思える出来事が少し浮かびました。

期限までにお金を振り込むのを忘れる。
その程度のお金ならあるはずなのに、なぜか私に借金を申し込んだ。
私の夫の母の葬式の時、何だか父は頼りなくて一人で帰れるか心配になった。
「72歳の老人を一人にして!!」と、急に大変な剣幕で怒り、「よく覚えておくように!!」と大事な物の場所や伝えたいことを言った。

弟の「父がボケたのでは?」のたった1回の電話で、父の様子を直接見ることもなく、私は父を私の家の近くに呼び寄せ、通い介護することに決めたのでした。
今から思うと、父の様子を見ることもなく相当大胆な考えでした。

父と弟だけの生活は絶対ダメだと思った。
同居は出来ないので、近くに来てもらい私が毎日通うこと。
父がボケる以前から、父には近くに来てもらおうと思っていて、父にも多少その気があった。
父と弟が住むのに丁度良いマンションが私の家の近くにあり、目を付けていた。

そして、父を説得し、近くのマンションに弟と移り住んでもらい、私の通い介護が始まりました。
この頃、小学校低学年だった我が息子も、今では社会人になって独立してしまいました。

ボケると数年で亡くなると、当時何かの本で目にした記憶がありました。
数年通ううちに父は亡くなるだろう。
数年なら、ま、いいか。何とかなるだろう。
安易に考えていましたし、酷い娘でした。

この頃、今のように認知症についての介護の仕方や状態など、あまり一般的になっていなかったと思います。
TVや新聞でも取り上げていなかったように思います。
それとも私が関心がなかっただけか?

認知症がこんなに奥が深いもので、大変なことだなんて、これっぽっちも考えていませんでした。
年取れば誰でもなる??ならない人もいる。何で??
こんな調子でした。
「これは大変な病気になってしまった」なんて、ぜーんぜん思っていませんでした。
でも、だから逆に、当初気楽にやって来れたのでしょう。

この頃「アルツハイマー」という言葉が世間で日の目を浴び出した頃だったと思います。
アメリカの元大統領がこの病気になったことを世間に公表し、闘病生活をしているとニュースになったからでしょう。

今、改めて思うと、父について結構トントン拍子で上手く行くことが多かったようです。
それとも、思い出となると、過去の苦労も全部良い思い出に変わってしまうのでしょうか?

そんな父との長い介護生活のことを思い出しながら書いておこう。
現在のことも書こう。
父の記録として。
なぜなら、父の先は長くはなさそうだから。

そう思って1年前に始めたのです。
そして、読んで頂いた方に少しはお役に立てば…とも。

義父イズさんとのことも、色々とありましたし、二人の父のことを書けば、ネタは結構あるのでブログとしては続くでしょう。
そう思って始めました。

<注>
最近、イズさんのことはすっかりご無沙汰になってしまいましたが、イズさんは元気です。イズさんのホームにも行っています。

しかし、ブログ開始後、タクさんは予想以上に早く、3ヶ月で亡くなってしまいました。

あともう少し、あともう少し、父のことを書かねば、忘れないうちに…。


今日の花262262
今年、我が家の鉢の「キキョウ(桔梗)」は咲いてくれません。白の株と紫の株の両方ともダメです。毎年夏から秋までずっと咲き続けていたのに。日本的な風情の花で、形も色も気に入っているキキョウ。今年はよそで咲いているのを見て楽しもう。


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認知症全般 TB:0 CM:3 admin page top↑
延命治療とは?
2007 / 07 / 01 ( Sun ) 14:09:22

延命治療(措置)に関しては大変重い内容であり、ここで私が簡単に書ける内容ではありません。
昨年(2006年)、読売新聞に延命治療に関する連載記事があり、私は切り抜きをして読んでいました。
私の基本スタンスとしては、「父の延命治療はしたくない」でしたし、父も元気な頃は自分自身そう言っていました。
それでも、父の、もしも来るかもしれない延命治療については迷いました。

読売オンラインに、その連載記事が掲載(全てではないが)されていますが、新聞掲載と異なり分割されて分かり難い記事になっていました。
私も再度読んでみたいと思いまして、連載記事のアドレス(リンク)をまとめてみました。
分かりやすい内容なので、ぜひ参考にされて下さい。

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「読売オンライン」の延命治療に関する昨年の連載記事

延命治療に関する連載 「医療ルネサンス 延命措置を考える」は6月12〜16日、「延命 最期の選択」は社会面で7月31日〜8月7日に掲載した。いずれもヨミウリオンライン(http://www.yomiuri.co.jp/iryou/)に収載。
(2006年8月18日  読売新聞)

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◆基礎からわかる 延命措置

どんな装置を使う?
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/feature/20060425ik08.htm

中止のルールは?
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/feature/20060425ik09.htm

どんな時行う?
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/feature/20060425ik0a.htm

患者として備えは?
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/feature/20060425ik0b.htm


◆延命措置を考える

1人で1回で決めない
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/renai/20060615ik01.htm

判断託せる代理人契約
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/renai/20060616ik03.htm


◆延命 最期の選択

(1)ルール不在 病院揺らぐ
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/feature/20060731ik07.htm

(2)呼吸器 誰のため?
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/feature/20060801ik03.htm

(3)呼吸器以外の「措置」
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/feature/20060802ik05.htm

(4)決断 家族に罪悪感
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/feature/20060803ik09.htm

(5)届かぬ本人の意思
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/feature/20060804ik02.htm

(6)組織で結論 家族納得
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/feature/20060805ik04.htm

(7)「外すなら、ご家族で」
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/feature/20060807ik05.htm

(8)読者の意見・体験300件…過剰な措置 「望まない」8割
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/feature/20060807ik07.htm


◆「延命 最期の選択」反響

(1)墓前「これでよかったよね」
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/renai/20060818ik03.htm

(2)治療を決めた兄と絶縁
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/renai/20060821ik04.htm

(3)治療希望したのに…
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/renai/20060822ik01.htm

(4)意思表示に公正証書も
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/renai/20060823ik01.htm

(5)経済的負担 のしかかる
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/renai/20060824ik01.htm

(6)病院の早すぎる見限り
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/renai/20060825ik03.htm

家族で話し合う機会を
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/renai/20060828ik01.htm

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(下)延命治療…ただ一つの「正解」はない
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/renai/20061226ik04.htm

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延命中止手順、呼吸器取り外し明示
救急医学会が指針案
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/iryou_news/20070220ik09.htm

終末期医療の指針案(要旨)
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/iryou_news/20070220ik07.htm

終末期患者「延命施さず」病院の56%…読売調査
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/iryou_news/20060731ik06.htm



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